日産・ブルーバードとは、日産自動車が1959年~2001年に10代・42年間製造をされていたセダン型乗用車である。日本を代表をするファミリーカーでもあった。バリエーションにはライトバン仕様や2ドアモデルも存在していた。
車名の由来はメーテルリンクの童話『青い鳥』から。日産のミドルセダンを代表する車種として、ライバルのトヨタ・コロナとの猛烈な販売競争を繰り広げていた。そのため、ファミリーカー定番としても有名であった。初代から六代目、八代目はモータースポーツでも活躍をしていた。
バリエーションは基本は4ドアセダンであるが、二代目から六代目までは2ドアが用意され、六代目から九代目までは4ドアハードトップが用意され、初代から六代目まで5ドアのステーションワゴン&ライトバン仕様も用意された。
エンジンは、直4気筒が基本となるが、四代目と五代目は、直6気筒エンジンが上級版で用意された。一度は途絶えたが七代目にV型6気筒エンジンも用意され、後のセフィーロに繋がるモデルでもある。
タクシーや教習車も用意されていた。特に六代目モデルのタクシー仕様は15年間も製造され続けていた。
後継車種はブルーバードシルフィとなる。
1959年に登場。車名も「ダットサン・ブルーバード」であった。エンジンも1000㏄と1200㏄の二種類が用意され、ミッションも3速MTのみで、4ドアセダンのみであった。駆動方式はFR方式であった。
1960年に日本初のステーションワゴン仕様も登場をし、同年にマイナーチェンジとなり、エンジンの馬力アップがメインとなり、形式も311型となる。
1961年に日本初の女性仕様車「ファンシーデラックス」が登場。ウインカーの音がオルゴールになるなどの他36点の専用装備が用意された。同年にマイナーチェンジをして、デザインを変更。形式も312型となる。
1963年に初のモデルチェンジ。デザインをイタリアのデザイン会社・ピニンファリーナに依頼。ヨーロッパ市場を意識をしたデザインとなる。エンジンは、先代モデルの1000㏄と1200㏄が流用された。
1964年に1200㏄エンジン搭載のスポーティーグレード「SS」が登場。同年マイナーチェンジとなり、2ドアセダンを追加した。エンジンも1000㏄を廃止。
1965年にマイナーチェンジで形式が411型となり、1200㏄エンジンが1300㏄となる。またライトバン仕様も追加される。ハイパワーモデルの1600㏄エンジンの「SSS」が登場。以後スポーティーモデルにはSSSの名称が付くようになる。
1966年にマイナーチェンジ。尻下がりなデザインが日本国内では不評となり販売台数がガタ落ちとなっていた。このデザインに異議を申した若手デザイナーが担当をし平凡なデザインに変更され、アクが強かったフロントデザインも落ち着いたものとなった。この変更により、売上も回復をしていった。なお、この若手デザイナーは後に1969年にデビューをする初代・フェアレディZを担当をしたデザイナーであった。
モータースポーツでは1966年に第14回東アフリカサファリラリーでクラス優勝を果たす。事故をした他の競技車を救助をしたこともあり、フェアプレー賞も受賞をする。
1967年に登場。先代モデルと比較をして直線的なデザインとなる。この時エンジンを新開発の直4の1300㏄と1600㏄エンジンとなった。「SSS」が1600㏄となる。サスペンションも日産車初の四輪独立懸架式を採用。乗り心地とハンドリングの良さが好評となる。
1968年には1600㏄エンジン搭載の「ダイナミックシリーズ」が登場。上級感を高めたモデルとなった。同年にはトヨタ・コロナにも追加された、2ドアクーペを登場させる。
1970年の一部改良により、1300㏄が1400㏄にパワーアップをし、1800㏄エンジン搭載の「1800SSS」が新たに登場する。
1971年に上級版のブルーバードU(六代目)の登場により、バリエーションを縮小。1400㏄と1600㏄のみとなった。
1972年に生産は終了。
このモデルは、歴代ブルーバードの中でも名車と言われる位に大ヒットをしたモデルでもある。そのためモデル末期になってもコンスタントに売上があった。またアメリカでも安い価格と充実をした装備と走りの良さで日本車で初のヒットモデルとなった。
1971年に登場。ブルーバードの上級版として登場をし、名称も「ブルーバードU」となった。ボディも大型化をしデザインも曲線を利かせたデザインとなる。開発期間中は景気が良く日産のデザイン部門にも女性デザイナーが増えたこともあり女性デザイナーの意見を取り入れていた。
また初の直6気筒2000㏄エンジンを搭載した「GTシリーズ」も登場。スカイラインやローレルに搭載されたエンジンを流用をしていた。直4は1600㏄と1800㏄が用意された。「GTシリーズ」は通称・サメブルと言われていた。
510型が廃止をされた後の1973年にサニーとブルーバードの間を埋めるバイオレットが登場をするが、このモデルが710型の形式を流用をしていた。610型にはタクシー仕様が廃止されていたので、バイオレットが510型のタクシー需要を引き受けていた。
1973年にマイナーチェンジ。フロントデザインとリアデザインを変更したが、当時の排ガス規制の影響で売り上げが
落ち込んだこともある。
キャッチコピーは「愛されていますか奥さん」と若い夫婦をターゲットとしていた。
1976年にモデルチェンジ。オイルショックの影響でモデルチェンジに資金がかけられないために、先代モデルの
雰囲気を残していた。エンジンも先代モデルからの踏襲であった。輸出用のモデルにはバンをベースにしたステーションワゴン仕様も用意されていた。また一度廃止されていたタクシー仕様も復活をし、1800ccのLPGエンジンも用意されていた。
1978年にマイナーチェンジ。形式も811型となり、フロントライトが丸目4灯から、角目4灯となる。なおタクシー仕様は
従来通り。また6気筒のロングノーズボディに4気筒エンジンを搭載した「Gシリーズ」も用意され、4気筒モデルの
最高峰モデルとなる。
1979年にはブルーバード誕生20周年特別仕様車として、サンルーフを設定したモデルが登場し、タクシー仕様には
日本初の3速AT車も登場をする。
先代に引き続き、オイルショックの影響で走りも良くなく販売不振が続いた。そのためわずか3年半のモデルライフと
なった。なお、イメージキャラクターに俳優・加山雄三を起用していた。
1979年にモデルチェンジ。このモデルで駆動方式がFRの最後のモデルとなり、2ドアモデルはこの代まで終了となる。
不振が続いた先代モデルとはうって変わって、直線的なデザインとなる。またエンジンも直4気筒に統一をされ軽快な走りを目指すようになる。
エンジンもガソリンは1600cc、1800cc、2000ccの三種類、また初の2000ccのディーゼルエンジン搭載車も用意。ノンターボとターボ付きの二種類が選択可能であった。すぐにステーションワゴンとバン仕様も追加される。
1980年に1800ccのガソリンターボエンジン搭載車が追加され、後にガソリンターボエンジンと1600cc車にAT仕様も
登場する。
1982年にマイナーチェンジ。2ドアモデルのラインアップが縮小をされた代わりに4ドアハードトップ仕様が追加される。
エンジンも1600ccと1800ccは新開発のエンジンCA型に転換される。
1983年にセダンとハードトップとワゴン&バン仕様がモデルチェンジ。2ドアは廃止され、タクシーと教習車仕様のみ
となった。
1986年に教習車仕様がモデルチェンジ。タクシー仕様は細かい改良を加えられ1993年にクルーにバトンタッチをするまで生産が続けられた。タクシーの場合は当時出たばかりのFF駆動に対して業界からの難色が出たのでFR駆動のままであった910型が生産され続けられた。
イメージキャラクターに歌手・沢田研二を起用し、スタイリングとジュリー人気と相まって大ヒットを飛ばした。
キャッチコピーは「ブルーバードお前の時代だ!」
1983年にモデルチェンジ。この型より駆動方式をFF駆動化をし、形式もU11型となった。それと同時に車名も「ダットサン・ブルーバード」から「日産・ブルーバード」となる。ガソリンエンジンはすべてCA型とした。またワゴンのバリエーション
には1800ccのターボエンジンも用意されていた。またディーゼル車はノンターボの2000ccとなる。
1984年にV型6気筒の2000ccエンジンを搭載した上級版「ブルーバード・マキシマ」が登場する。
1985年にマイナーチェンジ。バン仕様のガソリン車以外は、マニュアルが4速から5速化となり、1800ccのATは4速化がされる。またエクステリアも大幅に刷新をされた。また上級グレードには電動格納式ドアミラーも追加された。
1986年に1800cc車に教習車仕様が追加となる。同年ブルーバード・マキシマもマイナーチェンジをする。
1987年に4気筒シリーズは生産終了。ブルーバード・マキシマの車名がマキシマとなる。
1990年にワゴン&バンの生産は終了。後継車種はアベニールとなる。
1987年にモデルチェンジ。ボディは4ドアでセダンとハードトップの二種類となる。また初の4WD車も設定される。
また、バリエーションも歴代の中では幅広いバリエーションを誇っていた。スタイリングも丸みを帯びたデザインとなる。
エンジンもCA型の1600cc、1800ccのターボエンジンとノンターボ、2000ccのノンターボディーゼルが用意されていた。また、ラリー参戦を視野に入れたグレード、SSS-Rも用意されていた。
1989年にマイナーチェンジ。エンジンがCA型から新開発のSR型になる。またターボも排気量が2000ccとなる。
ディーゼルと1600ccは旧来型のエンジンとなる。
1991年にオーストラリア仕様である「ピンターラ」の5ドアハッチバックモデルが「ブルーバードオーズィー」として追加された。
この型は4WD車が追加されたことにより、かなりのヒットモデルとなる。また1987年にモデルチェンジをした六代目の
三菱・ギャランのライバルとしても有名であった。モデル末期にはブルーバード販売会社用のイメージキャラクターにとんねるずを起用していた。
1991年にモデルチェンジ。セダンとハードトップが用意されたが、ハードトップはBピラーを入れたピラードハードトップと
なる。これはボディ剛性と衝突安全性の両立をしたためである。セダンとハードトップではデザインがまったく違う
車種に見えるほど、別デザインとなった。セダンは北米のデザインスタジオ案を取り入れ「SSS」とその廉価版の
「EEX(イーエックス)」というシリーズとなり、ハードトップは日本人好みなデザインで「ARX(アークス)」の
名称となった。エンジンも1600ccがサニーと同じGA型となり、2000ccのディーゼルはFFと4WDの二種類が用意され、EEXシリーズとなった。またEEXシリーズには教習車仕様も用意され、ガソリンの1800ccも独自設定された。
SSSシリーズは、ガソリンの1800cc、2000cc、2000ccのターボエンジンも用意され、2000ccシリーズは4WDも用意された。ARXシリーズは1800ccと2000ccが用意された。
1993年にマイナーチェンジ。SSSとARXに2400ccのガソリンエンジンを搭載したモデルが登場。
居住性(特にリアシート)は全高の高いセダンの方が圧倒的に優れていたが、リアが尻下がりなデザインのセダンは販売不振となり、オーソドックスなデザインのARXシリーズが売り上げの殆どを 占める結果となった。なお、U13型がデビューをしてすぐの頃にとんねるずが出演をしていたCMバージョンもある。これは当時ブルーバード販売会社用の独自のCMに出演をしていたためである。なおU12型の最末期にも登場をしていた。
1996年にモデルチェンジ。日本ユーザーの声を聞いて直線的なデザインとなり、またボディも4ドアセダンのみとなる。
当初は全グレードに運転席エアバックが標準装備となった。後にOPのABSも標準装備となった。エンジンは、ガソリンの1800ccと2000cc、ディーゼルの2000ccが用意されていた。
1997年にマイナーチェンジ。2000ccのATがCVT化がされる。また2000ccの高出力版も登場する。これは同時期の
プリメーラにも搭載していたメカでもある。
1998年にマイナーチェンジをして前後のリファインが行われる。エンジンも1800cc車がSR型からQG型に変更をされる。また1800ccエンジンにはガソリンの直噴仕様も登場。
1999年に誕生40周年記念車が登場。専用色のホワイトパールを用意した。
2000年にブルーバードシルフィが登場。併売する形となった。
2001年に生産終了。42年に歴史に幕を下ろし、ブルーバードシルフィが後継となる。
当初のみイメージキャラクターに俳優・蟹江敬三と女優・常盤貴子を起用。親子の設定となった。
掲示板
5 ななしのよっしん
2013/11/26(火) 01:09:14 ID: mVXPJZ6Ex8
6 ななしのよっしん
2018/09/23(日) 23:09:18 ID: f/JGDQHFyj
U14のHyperCVT-M6車に一時期乗ってたけど、当時のCVTはレスポンスが良くてトルクバンドの維持も容易、最近のやつからは想像もできないくらい気持ちよく走った。
もちろん前提として、(たぶん)日系メーカーのこのカテゴリとしては抜群の車体剛性があったからこそ活きた特性。
7 410 Gone
2023/07/25(火) 15:38:53 ID: zRtkd+ncms
銭形「奴はとんでもないものを盗んでいきました…Twitterの心です。」
急上昇ワード改
最終更新:2024/05/27(月) 12:00
最終更新:2024/05/27(月) 12:00
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