とんねるず 単語

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とんねるずとは、石橋貴明木梨憲武によるお笑いコンビ歌手である。個人事務所アライバル」所属。

概要

1980年結成。同じ帝京高校に通っていた石橋と木が、それぞれ野球部とサッカー部の中で一番面いとお互いに思っていた二人で結成された。高校時代から二人ともテレビ素人参加番組に出演していた「名物素人」であった。

1980年3月素人参加バラエティ番組「ドバドバ大爆弾」(東京12チャンネル現在テレビ東京)に出場する際、参加資格がペアでの出場であったため、石橋が木を誘って出場。これが2人っての初のテレビ出演となる。

高校卒業後、石橋ホテルマン、木自動車会社の営業マンとして就職したが、「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ)で「明&武」名義で出場し4週勝ち抜きを果たし、これをきっかけに退職して「とんねるず」として本格的にお笑い歩くこととなる。そして悲願の10週勝ち抜きチャンピオンとなりデビューする。

お笑いスター誕生!!出演時は、審員に酷評されていたが、審員の一人であったタモリが「お前らなんだかわからねえけど面!」と大絶賛し、10週勝ち抜きの大きな要素となった。会社を辞めて芸能界入りするか、2人は非常に悩んだ時にタモリが「オールナイトニッポン」のスタジオに2人を呼んだ。2人はタモリ真剣芸能界入りするかどうか悩んでいる事を打ち明けるとタモリは「やりたいんならやればいいじゃないの」と軽く返し、2人の悩みは吹っ切れ、芸能界入りを決意した。2人にとってはタモリは最大の恩人であるとしている。

当初はなかなか売れなかったが、ブレーンとなる秋元康と出会い、お笑い芸人らしくないファッショブル装、そして段取り無視の勢いで押し倒す芸が受け入れられ、1985年に「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」(フジテレビ)「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)で一躍人気芸人仲間入りをする。女子中高生からの絶大な人気もあったが、男子中高生からもカリスマ的扱いを受け、熱狂的なファンを生んだ。
1987年、自らがフジテレビの上層部に懇願し、単発特番「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ)がスタート1988年レギュラー放送が開始され、「仮面ノリダー」「モジモジくん」などが大ヒットし、お笑い界の頂点に立った。

デビュー当時の芸能界を流であった「芸人アイドル歌手の前座(格下)」という意識に抗い、イジることがご法度だったアイドルへのイジりを行ったり、時には大御所芸能人にも容赦ないツッコミを入れる傍若人っぷりが持ち味。現在でも後輩に対してに勝手に乗り込んでは暴れたり、圧力をかけて高額な商品を買わせるなどその勢いは衰えていない。が、「ひどい」「後輩がかわいそう」などという批判も常に一定量存在している。一方、舞台裏では体育会系らしく礼儀正しい姿勢を貫いており、番組前後にはきちんと挨拶を行ったり、番組で暴れた直後にアフターフォローをするなど紳士な面も兼ね備えている。大泉洋に対しては石橋が番組内で「北海道から出てくんな!」と番組内で言った後に収録外で「東京出てこいよ」と東京進出を促したこともある。

野球部&サッカー部出身とあってスポーツへの造詣も深く、古今東西野球選手・サッカー選手ゴルファー・格闘などのマネをいきなりすることも多々。また、毎年正月に放送される「とんねるずのスポーツ王は俺だ!」では50歳をえ、多少のハンデをもらってはいるものの野球サッカーゴルフテニスなどで一流選手と互の戦いを演じている。そのこともあり清原和博石川錦織圭などのスポーツ選手との交流も多い。

とんねるずにを受けたグループとして、お笑いではナインティナイン(「夕やけニャンニャン」の話題がきっかけで出会う)、ミュージシャンではDJ OZMAコント矢島工務店」を見てミュージシャンを志す)などがいる。

現在関東お笑い芸人ドン的存在であり、バナナマンおぎやはぎ、ずん、有吉弘行TIMと多数の人気中堅芸人と絡む事が多い。

石橋現在の妻は、鈴木保奈美。木の妻は、安田成美。

歌手・とんねるず

とんねるずを語る上で欠かせないのは音楽活動である。

お笑い芸人が番組企画などで曲を出す事はしくないが、とんねるずの場合は秋元康プロデューサー

迎えて本格的な音楽活動をした事は、他の芸人と一線を画す。

1995年頃までは、シングルアルバムリリースし、全ツアーも精力的にこなすなど、

一般的な人気歌手と遜色ないレベル音楽活動をしていた。

1984年、「一気!」でデビューする(本当は3作だが前二作は企画物であるため、一気を歌手デビューとしている。)、伝説カメラ破壊事件を起こすなど話題を呼び、とんねるずの人気知名度を大きく上げる。

1987年、12枚シングル「大きなお世話サマー」では高見沢俊彦作詞作曲をする。

1988年には芸人としては初となる東京ドームでのライブを行った。

1991年、17枚シングル「情けねえ」で紅白出場。

1992年、「ガラガラヘビがやってくる」が初のオリコン1位ミリオンヒットを達成。

1996年、23枚シングル「おまえが欲しい」を最後に「とんねるず」としての音楽活動は終了している。

このアーティストとしての活動が後の「野猿」、「矢島美容室」へと繋がっていった・・・

2024年11月8日、9日、29年ぶりとなる日本武道館ライブが行われた。

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