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熊本城
日本100名城 92
別名 千葉銀杏
構造 平山
守構造 連結式望楼3重6階地下1階
現:RC造、外観復元
出田秀信(千葉)
鹿子木員()
加藤清正(熊本城)
1469年(文明元年)
1487年(文明19年)頃
1874年(明治7年)

熊本城(KUMAMOTO Castle)とは、熊本県熊本市に存在する日本三名の一つである。本丸守閣前に現存している銀杏から銀杏という別名がある。築の中心人物は加藤清正大阪城名古屋城姫路城などとならび日本を代表するの一つである。日本100名城の一つでもある。

概要

もともと中世に存在した千葉を改修し現在が出来上がった。熊本という地名もこの頃本から改名されたものであるとされる。築年は諸説あるが、慶長12年(1607年)には完成していたとされている説が有力である。

塗りを基本とし、三重六階建ての三重四階建てのを中心に、五階櫓が六基、三階櫓が九基、櫓総数49、門29、櫓門18を数えたとされる(但し、これらの数については諸説あり)。また熊本城の魅力として、その優美な石垣が挙げられる。清正流と呼ばれる石垣は、最初緩やかに、上に行くほど直に近くなる。なお内には清正流の石垣の他、細川氏時代の石垣もあり、内の二様の石垣と呼ばれる場所では両者の違いがはっきりとわかる。の広さも広く、現在有料となっている本域だけでなく、二の丸や三の丸などを含めると98万キロメートルにも及ぶ。

このような堅固なおであったが、その固さが発揮されたのは、築から270年ほど後の西南戦争においてである。様々な変遷を経て、明治時代熊本鎮台となった際に、西郷隆盛率いる西郷軍に攻められることとなる。その際のゴタゴタで守含む要な建物を多く失ったが、約3倍の兵力差にもかかわらず、西郷軍の侵入を許さなかった。

※なおさらなる熊本城の詳細はネットや様々な資料・史料で紹介されているので興味ある人は調べてみると良い。また現在でも研究が進んでおり、今後情報が変わることもあるので注意。

現在

現在、遺構としては宇土櫓をはじめとして13棟現存している。宇土櫓は「櫓」でありながら、ほかのでいう守閣並みの大きさがあり、現在守閣がコンクリートであることなどから、熊本城のメインスポットと考える者も多い。さらに、石垣については、本域においては、かなり状態よく残っており、清正流の石垣を存分に堪できるため、宇土櫓と並んで人気がある。

復元も進んでおり、1960年には、コンクリート製ながら大守、小守が外観復元されている。また築400年記念として、2005年には飯田丸五階櫓が、2008年には本丸殿が木造で復元された。また小さな櫓や門もいくつか復元されているほか、今後も多重櫓などを復元していく計画が存在する。

また広大駐車場や案内ルートなどが整備されており、観光地として賑わっているほか、熊本シンボルとして、熊本市民の憩いの場としてしまれている。なお本域は有料なので注意。

また模型も充実しており、一般人でも手軽に組み立てることができる。

なおニコニコ動画内にはMinecraft江戸中期(いわば熊本城全盛期といえる)頃の熊本城を再現している方がおり、一見の価値アリ完成度である。

2016年震度7を計測した熊本地震も被災、石垣守、櫓などに甚大な損傷を受けた。修復作業のために足場に覆われた守の画像は、観る者に強い印を与えた。その後2021年守の修復は了したものの、全ての損傷が修復されるのは2037年見込みとまだまだ途上にある。

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最終更新:2024/12/22(日) 14:00

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