益田競馬場(ますだけいばじょう)とは、島根県益田市に存在していた地方競馬場である。
1947年に益田町(現:益田市)で開場。開場当初はいわゆるヤミ競馬として開催され数回開催された後、1948年10月、島根県馬匹組合の主催で開催。
1951年に経営不振のため一時廃止された後、1952年3月から益田町主催として再開された。
アラブ系の競走馬の競走を中心に開催され、遠方からの観客も多く親しまれた。
だが、1990年代頃から経営が徐々に悪化。2000年頃から経営の縮小・廃止が益田市議会で議論され始め、2002年「益田市が財政再建団体へ転落しないために、益田競馬の累積赤字が15億円を越えた時点で休止し、廃止に向けた手続きを始めることはやむを得ない」と行財政改革審議会から答申があり、結局この年の7月に「9月以降の競馬は開催しない」事が決定。8月14~16日の開催をもって休止し、事実上の廃止となってしまった。
最終開催日には来場以来最多の4600人以上が来場した。
跡地は一部が益田場外発売所として活用され、その他の土地の一部は公共職業能力開発施設や市の給食センターとしてなどとして運用されている。
「日本一小さな競馬場」[1]として親しまれ、スタンドは2500人まで収容可能とかなりコンパクト。日本海にほど近い立地に建てられており、スタンド裏からは日本海を望むことができた。入場料100円。
石見空港に非常に近い位置にあり、徒歩10数分でたどり着ける距離に位置していた。
パドックは珍しい円形となっており、ラバーなどで舗装されていない砂の馬場。また、閉場時点で日本で唯一の手動式の着順表示板となっていた。また、コースとスタンドの間には公道が通っていた(競馬場外扱いなので開催中でも無料で通行可能)。
アラブ系競走が充実していたこともあり、アラブ系競走馬の活躍馬が多い。
アングロアラブ競走馬の最多出走記録(250戦、15勝)を持つウズシオタロー、通算48勝のニホンカイキャロル、「益田の怪物」の異名を持つニホンカイユーノスなどが有名。
最大8頭立てと少頭数だったこともあり、閉場時に所属していた騎手はわずか9人のみだったが、その中には、後に大井競馬へ移籍し地方競馬のトップジョッキーのひとりとして活躍する御神本訓史が若手有望株として所属していた。
この他にも閉場時にすでに引退していたが、積極的に海外競馬に挑戦したりJRA移籍も試みた道川満彦や、当時の女性騎手の最多勝利記録を保持していた吉岡牧子も過去に在籍していた。
ダートコース右回り1周1000メートルのコース。ゴール前直線は200メートル。フルゲート8頭。
施行距離は800メートル、1200メートル、1350メートル、1600メートル、1800メートル、2200メートル。
2月~3月の間は開催休止。日本海特別、益田大賞典など重賞競走はすべてアラブ系競走。
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最終更新:2024/12/11(水) 09:00
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