筑波高速度電気鉄道とは、かつて存在した鉄道事業者及びその計画路線である。
上記の2つが存在したが以下は2.について扱う。
1928年7月2日に設立された。略称は筑波高速。
常磐線が非電化路線であり、筑波山方面への観光アクセスとして省線から筑波鉄道線への直通列車が運転されていた時代に、東京府滝野川町(田端駅付近)から茨城県筑波郡田井村(筑波山の南側)までの63.2kmを電気鉄道で結ぶ路線として立ち上がった。
それに加え、松戸や船橋など千葉方面へ進出する支線も計画していた他、旅客輸送だけでなく貨物輸送も行う予定だった。
最終的には1930年10月21日に京成電気軌道(京成電鉄)へと合併され、大部分の区間は未成線に終わった。しかしながら、後につくばエクスプレスとして筑波高速本線に概ね並行する区間を走る鉄道路線が開業する事となる他、支線の一部区間は北総鉄道北総線とも重なる。また、つくばエクスプレスの延伸案の一つには筑波高速本線と同様に筑波山を目指す物もある。
発起人などは茨城ではなく東京側の人間が中心で、俗に言う投機筋的なメンバーも多い物であったらしいが、常磐線と東北本線に挟まれる広大な鉄道空白地への計画とあって当時の茨城県知事も大きな期待を寄せていたと言う。
1928年3月に免許が認められたものの、開業に際して既存の路線への致命的な打撃が見込まれるとの事から、地方鉄道補助法による補助は行わない事、流山鉄道(流鉄)や筑波鉄道から合併又は買収を求められた場合は拒まない事が条件として付けられた。
1928年6月には起点を田端駅から日暮里駅へ、また8月にはそれに伴い経路を三河島や千住へ通る形へ変更する認可を受けている。これは、当初は田端操車場の東側に駅を設置する予定であったが、西駅にある省線の田端駅への連絡が困難であった事が理由である。
1928年9月11日には早くも本線とは別に支線として東京府南足立郡梅島村~千葉県東葛飾郡国分村の区間と、千葉県東葛飾郡国分村松戸町~同郡国分村~同郡船橋町の区間の免許を申請しており、前者は1929年6月3日に許可を受けたものの後者は京成との競合の懸念から却下された。
更に、1928年10月には日暮里町からトンネルに潜り、寛永寺や上野恩賜公園の地下を通って上野駅前に至る区間を申請し、1929年2月8日に免許を取得している。これは、東京市が「市内交通市営主義」の下で私鉄の都心延伸を尽く却下していた市電と市バスの全盛期に特筆に値する快挙である。
こうもあっさり許可されたのは、東京府が東京市を諮問した際に東京市側の理事者が市会にかける程の問題ではないと認定し、公園課の意見を聞いただけで許可を与えて鉄道省へ送付した為だと言う。
上野まで乗り入れる路線を一線に限る事や、地下鉄として敷設する事、使用料の支払いと言った条件はあったものの、かくして東京市内へ直通する免許を取得するに至った。この事が今後の運命を左右する事となる。
免許こそ獲得したものの、茨城県を走る鉄道と言うだけあってやはり気象庁地磁気観測所の問題が立ちはだかる。茨城県新治郡柿岡町の観測所で行われている時期観測に、直流電化された鉄道からの漏れ電流が影響を及ぼす恐れがある事から、茨城県新治郡柿岡町にある観測所から30km圏内の電気鉄道事業は認められていないのである。
よって、逓信省電気局からは1928年8月9日付けで日暮里~谷田部間のみが直流電化が認可され、谷田部以北は却下されてしまう結果になる。
観測所の存在による電化の不認可は筑波高速にとってだけではなく、茨城県内で電気鉄道事業を行おうとしていた水戸電気鉄道や常南電気鉄道にとっても死活問題であった。1928年9月、「茨城県軌道連盟」は私鉄経営者の互助団体である「鉄道互助会」を通して、内務、文部、鉄道、逓信各大臣宛に事情を訴え観測所の移転を求める形の陳情を行った。しかし、これらの計画が失効するまでこの問題が解決する事はなく、常磐線や水戸線、そしてつくばエクスプレスも交流電化される顛末となっている。
免許の失効を避ける為に工事施工認可申請こそ行っていたものの、計画は行き詰まりを見せ、身売りを決意させる状況に追い詰められる。
当初は東武鉄道に話を持ち込み、根津嘉一郎社長の元へ3回程伺っていたが、そんな路線はいらないと断られてしまったと言う。
やむなく、京成電気軌道(現在の京成電鉄)の後藤圀彦専務へ話を持ち込むと、即座に「引き受けましょう」との返事を受ける。浅草や上野への延伸を何度も申請しながらも中々免許を取得出来ず、疑獄事件でも逆境に立たされた京成にとってもこの話は大きなメリットのある物であった。この辺の話は京成上野駅の記事でも詳しく扱われている。1930年4月には合併契約を締結し、5月に行っていた臨時株主総会でも満場一致で決議された。筑波高速の幹部は合併後は京成の監査役や取締役として迎え入れられている。
なお、京成との合併が決まった後に筑波高速の経営陣が根津嘉一郎社長に挨拶に行った所、大変な剣幕で叱られたと言う。東武と京成が浅草乗り入れを巡って争っていた情勢の中、後始末をするのは東武以外に無いと様子を見ていた所を出し抜かれた等と言われているが真相は不明。
元々の筑波高速の免許上と京成の既設の路線では接続する箇所が無かった為、1930年5月20日に支線の起点を上野寄りに移動し、青砥を経由する路線にしてそこで接続をする形に変更を申請し、1930年8月27日に認可を受ける。これにて現在の京成本線のルートが認可を受け、京成本線の起点が変更される事となった。この辺りの話は押上線の記事も参照。
その他、開業前の1931年から1933年に掛けて、筑波高速の地方鉄道法による免許を起業廃止の末に失効させ、軌道法による特許の認可を免許取り消しと同日付の処理で受けた。これは、軌道として認可されていた京成本線と揃える為の措置。鉄道の免許を軌道の特許に切り替えるには、一度取り消した上で新たに認可するしか方法が無かった為に行われた対応である。この際に、軌間を1067mmから当時の京成で採用されていた1372mmへ変更する事も認可された他、運輸省文書に合理化の為に貨物計画を放棄する事が記載された。
なお、肝心の、と言うには最早存在感が薄れているが、西新井~筑波山の区間は特許申請されず、そのまま消滅した。廃止申請の理由としては、合併後の会社の情勢に加えて気象庁地磁気観測所の存在によって電気鉄道の運転が不可能である事が挙げられている。
特許を取得していながら京成本線に組み込まれていなかった青砥~松戸間や千住町~西新井の区間も常磐線や東武線との競合を避けてか1936年に起業廃止されている。
結果を見れば京成が上野に直通する為に利用された感はあるが、前述の通り元々は筑波高速が東武鉄道から相手にされなかった末に筑波高速から持ち込まれた話である事は一応明記しておく。
また、京成の社史に拠る所では、「戦争さえなければ、当社線は一方で筑波まで延びていた」との言い分であるとか。
とは言うものの、時期的には戦争と無関係に起業廃止を行っていたり、当時の技術では交流電化等も未発達で将来の見通しも無いなど訝しむ声が多いのは公然の秘密である。
なお、戦後の京成は茨城県方面へも積極的に進出しており、1959年には常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道(現在の関東鉄道及び鹿島鉄道)を系列化したりしている。この事に筑波高速関連の意向が絡んでいるのかは不明。
吸収される形で名前と構想が失われた路線ではあるが、現在も使用されている京成上野駅とJR・東京メトロの上野駅を結ぶ連絡地下通路は、工事費を筑波高速が負担、建設は東京地下鉄道が実施する契約で地下鉄建設と同時着工された物であったりと、筑波高速名義で造られた物は存在している。ただし支払い自体は京成が行う事となった。
軌間は1067mm、全線複線、動力は直流電化1500Vを想定していた。
沿線には大小多数の河川が存在する為、橋梁費が多数掛かる事が見込まれていた他、東京市街地は高架で通過する予定だった。
| 駅名・経路 | 開業 | ■接続路線・備考 | 所在地 |
|---|---|---|---|
| 田端駅 | - | ■省線(山手線、京浜東北線 他) 当初は田端駅を起点に尾久を経由する予定だった。 |
東京都北区 |
| 上野駅 | 1933年12月10日 | ■省線(東北本線、常磐線、山手線、京浜東北線 他) ■東京地下鉄道(銀座線) 上野公園駅として開業。 京成上野駅に改称。 |
東京都台東区 |
| 日暮里駅 | 1931年12月19日 | ■省線(東北本線、常磐線、山手線、京浜東北線 他) | 東京都荒川区 |
| (三河島) | - | ||
| (千住) | - | 東京都足立区 | |
| 荒川信号所 | - | 支線(と言うか京成本線)への分岐点とされている。 実際には信号所も何も設置されていない。 |
|
| 梅島駅 | - | 支線への分岐地点予定だった。 後に「西新井駅」に計画上置き換えられた。 |
|
| 西新井駅 | - | ■東武伊勢崎線 梅島駅から置き換えられた。 |
|
| 八幡駅 | - | つくばエクスプレス「八潮駅」付近。 | 埼玉県八潮市 |
| 彦成駅 | - | ||
| 早稲田駅 | - | 武蔵野線「三郷駅」付近。 | 埼玉県三郷市 |
| 流山駅 | - | ■流山鉄道 | 千葉県流山市 |
| (初石駅) | - | ■総武鉄道 | |
| 田中駅 | - | つくばエクスプレス「柏の葉キャンパス駅」「柏たなか駅」付近。 | 千葉県柏市 |
| 守谷駅 | - | ■常総線 つくばエクスプレスと唯一共通の経路となる駅。 |
茨城県守谷市 |
| 小張駅 | - | つくばエクスプレス「みらい平駅」付近。 | 茨城県つくばみらい市 |
| 谷田部駅 | - | 常南電気鉄道谷田部線の計画も存在していた。 つくばエクスプレス「みどりの駅」付近。 |
茨城県つくば市 |
| 葛城駅 | - | つくばエクスプレス「研究学園駅」「つくば駅」付近。 | |
| 大穂駅 | - | ||
| 新北条駅 | - | 筑波鉄道「常陸北条駅」とは離れている。 | |
| 筑波山駅 | - | 筑波観光鉄道筑波山鋼索鉄道線「宮脇駅」から約1.5km。 筑波鉄道「筑波駅」とは別の場所。 |
| 駅名・経路 | 開業 | ■接続路線・備考 | 所在地 |
|---|---|---|---|
| 梅島駅 | - | 支線への分岐地点予定だった。 | 東京都足立区 |
| 荒川信号所 | - | 計画変更後の本線への合流地点。 | |
| 青砥駅 | 1928年11月1日 | 京成への接続の為に経路変更され追加。 京成本線及び押上線の分岐駅として開業。 |
東京都葛飾区 |
| 亀有駅 | - | ■常磐線 計画変更前の経路。 |
|
| 柴又帝釈駅 | - | 柴又帝釈天や京成金町線「柴又駅」の付近か。 | |
| 国分駅 | - | 梅島~国分の支線の終点。 松戸~国分~中山~船橋の支線との接続駅となる予定だったが、船橋方面は認可されなかった。 |
千葉県市川市 |
| 松戸駅 | - | ■常磐線 | 千葉県松戸市 |
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最終更新:2025/12/16(火) 10:00
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