赤道ギニア共和国とは、中央アフリカに位置する共和制国家である。
ギニア湾沖に浮かぶエロベイ諸島などの島々を領有する、大陸部と五つの島で形成される国。
アフリカ大陸の中部に位置し、赤道近くに位置しているが赤道直下にはない。
国旗は、赤が独立戦争で流された血、白が平和、緑が農業と天然資源、青が大西洋、真ん中の紋章は神木であるパンヤの木と六つの地域を表している。
スポーツ選手では2000年に行われたシドニーオリンピックの100m自由形に出場し、溺れかけながらもゴールしたエリック・ムサンバニが有名。
実は大統領一族による独裁が40年以上続く知られざる独裁国家である。
1992年に巨大な油田が発見されて以降、急速な経済成長を遂げているが、それらの利権も彼らが独占している。このためインフラの整備などは比較的進んでいるが、貧困率は7割に上るなど貧富の差が非常に激しい。
大陸部はカメルーンとガボンに挟まれムビニと呼ばれる。ムビニは内陸に行くほど標高が高くなり、大部分が熱帯雨林に覆われている。首都のマラボがあるビオコ島は火山活動によって生まれた島で、北部には国内最高峰のマラボ山(3011m)がそびえ立つ。
高地以外の国土全体が高温多湿の熱帯性気候。平均して降水量が多く、特にムビニ沿岸やビオコ島の熱帯雨林がある地域では年間降水量が4000mmに達することも珍しくない。
15世紀後半、ポルトガル人が上陸したことでビオコ島とムビニはポルトガル領とされた。
1788年にブラジル南部の領有権との引き換え券としてスペインに譲渡され、19世紀後半にはイギリスに占領された。イギリスはこの地を奴隷貿易の拠点とし、多くのアフリカ人がアメリカ大陸へと運ばれかの地で奴隷となった。
その後ふたたびスペインの支配下に置かれたが、民衆の間で独立を求める声が高まり、1968年、国民投票を経て赤道ギニア共和国として独立を果たした。
しかし、初代大統領に就いたマシアス・ンゲマが独裁を振るい、批判的な人々を処刑。景気も悪化し、30万人以上が国外へ亡命した。
1979年にクーデターが起こると、マシアスは処刑された。しかし、後任はマシアスの甥のオビアン・ンゲマで、今現在、オビアンが設立した赤道ギニア民主党による政治が続いている。
長期政権に反対する国民は多く、何度もクーデターが画策されるなど情勢は非常に不安定。
アフリカ有数の産油国のため経済の中心は石油産業。1980年代から油田の探索が開始され、1990年代に油田が発見されて以降、主にアメリカ合衆国の企業によって石油や天然ガスの採掘が進められている。
国土の多くを覆う森林を利用した林業や、カカオ豆やコーヒー豆を中心とした農業も盛ん。
住民の五割はファン人。ビオコ島は植民地時代に移住してきたヨーロッパ人を祖先に持つ人々も少なくない。
公用語はスペイン語だが周りの国々がフランス語やポルトガル語を公用語としているため、これらも日常的に使用されている。
スペインの植民地だった時代に宣教師による布教活動が熱心に行われたため、国民の8割ほどはキリスト教のカトリックを信仰している。
ファン人の伝統工芸品である木製の仮面や鉄の彫刻は世界的に評価が高く、ヨーロッパにはその影響を受けた芸術家も多い。
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最終更新:2024/06/07(金) 23:00
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