74
61 ななしのよっしん
2020/05/30(土) 16:55:16 ID: MKNKKvuAaO
『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』のソフィア・アスカルトって文学少女だと思う?
62 ななしのよっしん
2020/07/16(木) 15:32:15 ID: D9bbI2MIOS
>>59
漫画の読みすぎ
そんくらい見た目の良い女の子が
よりにもよって文学とかいうクソ陰気キャ通り越してヒトモドキレベルの
オワコンなコンテンツ好むと思う?
63 ななしのよっしん
2021/06/27(日) 00:20:15 ID: 5xQkzFAbxK
>>62
辛辣だけど心理なのよね
その程度に見た目が良い=周囲に合わせ自己を客観視して装いを整えられる、だからむしろ真逆の方向性なんだよね
言っちゃなんだが文学がイケイケで周囲とも良好な関係を築ける人の趣味だった時代なんか無いし
遥か昔からひねくれて隅っこでウジウジしながら周囲をねたんでる能無しが書き散らした文章を面白がっているコンテンツが文学
やっていることとしては、嫌儲や2chの底辺が書いたレスを面白がるまとめサイトみたいなもん
ノンケがホモは文豪と感心したり心のままに書き散らしたハチャメチャな罵倒を面白がったりするような行為が、本来的に文学的な営み
64 ななしのよっしん
2021/06/27(日) 00:23:17 ID: MGaUGlOFR+
65 ななしのよっしん
2021/09/25(土) 18:24:29 ID: +9vUefWQzK
夢破れたか
66 ななしのよっしん
2021/09/25(土) 18:26:52 ID: ZMPFk/uWkW
67 ななしのよっしん
2021/09/25(土) 18:28:50 ID: hQOfXlKUqZ
>>66
現実でも良いぞ(メンヘラ文学少女と付き合ってる人並の感想)
68 ななしのよっしん
2021/09/25(土) 18:30:54 ID: hQOfXlKUqZ
>>62-63
教養なさそう
それくらい物を考えずに生きられたら悩みもないだろうな
69 ななしのよっしん
2021/09/25(土) 18:33:23 ID: +9vUefWQzK
映画とかドラマが好き、それと同列に文学も好き、くらいならまあ美人も見かける
単にフィクションが好きなんだな、きっと。
しかし現実の美人の文学少女を見かけないというのは、存在が稀有なだけじゃなくおれらの社交下手も原因じゃないか?
大して親しくもない相手に「泉鏡花が好きです」とか「白樺派が好きで~」言うか?
インテリぶってる。マウントとってる。偉そう。そう思われそうじゃん
70 ななしのよっしん
2021/09/25(土) 18:36:34 ID: hQOfXlKUqZ
初対面で朔太郎と賢治の話で盛り上がったよ
71 ななしのよっしん
2021/09/25(土) 18:37:24 ID: ZMPFk/uWkW
72 ななしのよっしん
2021/11/15(月) 20:56:06 ID: F0BSPiu3Vr
文学好きなら自分が「異性から見て魅力的かどうか」を考えてから考慮すればいいんじゃない?
陰キャでヒネてて頭も悪くて運動もできない野暮ったい見た目のコミュ障の癖にやたらと上から目線な人間が好む趣味が
美男美女に好まれるか?って話だし
>大して親しくもない相手に「泉鏡花が好きです」とか「白樺派が好きで~」言うか?
メッシについて語らなくとも「サッカーが好きです」くらいは言うだろ
そこで小説や読書が挙がることはあっても「文学が好きです」と言わないのはまぁそういうことだ
話は変わるがなんで文学好きって自分がものを考えてると思うのだろうかね?
>>68なんか、典型的な「考えていると自称するだけでその実何ら論理的思考は持っていない」典型例じゃん?
彼の言う「教養」とやらが何なのか、自ら説明できるだけの知能もコミュ力も無いのがお約束になってるし
73 ななしのよっしん
2022/09/09(金) 02:20:36 ID: MKNKKvuAaO
自分は『アイドルマスターシリーズ』は原作ゲーム未プレイでアニメ版『無印』しか視聴していないにわかファンだが、鷺沢文香や氏家むつみが文学少女なら橘ありすは文学少女(ミステリー少女?)ではないのか?
74 ななしのよっしん
2024/01/25(木) 12:20:40 ID: xgaXtK+y50
>>68を見てこれ思い出した
https://
>『ヒトラーの哲学者たち』…訳者らによると、人文学者がナチスという暴力を擁護したことは、ある種の「人文学の敗北」、「【教養】主義の挫折」である。何故なら、人間は【教養を身に付けたり本や音楽に感動したりすることで素晴らしい存在になるはずだったにも関わらず、そのような人文学的人間が不条理な暴力を認め加担している】からだという。批評家ジョージ・スタイナーも次のように批判している。
【人間というものは、夕べにゲーテやリルケを読み、バッハやシューベルトを演奏しながら、朝(あした)にはアウシュヴィッツで一日の業務につくことができるものであることを、<あとに>きたわれわれは知ってしまった。
そんなことができる人間は、ゲーテ読みのゲーテ知らずだとか、そんな人間の耳は節穴も同然だとか、逃げ口上をいうのは偽善である。こういう事実を知ってしまったということ──このことは、いったい文学や社会とどういうかかわりをもつのか。
プラトンの時代、マシュー・アーノルドの時代このかた、ほとんど公理になっているあの希望──《【教養】は人間を人間らしくする力である》、《精神のエネルギーは高位のエネルギーに転ずることができる》という希望は、<あとに>きたために知ってしまったこの事実と、いったいどういうかかわりをもつのか。】
>『ヒトラーの哲学者たち』を2014年に翻訳した、三ツ木道夫(比較社会文化学博士)と大久保友博(人間環境学博士)は
【ヒトラーをして<哲人総統>と自称せしめた一九三〇年代ドイツの精神的雰囲気は、まさしくドイツ哲学の淵源から来るものである。】
と述べている。
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