フェニックス(艦これ) 単語


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フェニックスヘネラルベルグラノ

3.1千文字の記事


Hi! Broolyn級のPhoenixさまよ!
そう、あたしこそが不死鳥Phoenixってわけ!
あ、ちっこい不死鳥じゃないからね! OK?

フェニックス(艦これ)とは、艦隊これくしょん艦これ)に登場するUSS Phonix, CL-46 / ARA General Belgranoモチーフとする艦娘である。

IllustUGUME  CV華崎文嘉  図鑑番号:552 → 557(General Belgrano)

概要

フェニックス(艦これ)は、2024年イベント後段作戦『新MO作戦』のE4/E5でのドロップ艦として実装されたブルックリン姉妹7姉妹の5女で、改装によりアルゼンチン海軍ネラル・ベルグラノに改名することができる。(長ブルックリンも史実ではチリ海軍オイギンスとして再就役しているがゲーム上での改名・改修は実装されていない。現代艦としての改名modeを持つ初のブルックリン級ということとなる。)

艦名のフェニックスは他の軽巡同様都市名(フェニックスアリゾナ州フェニックス)に由来する。ただ、一般名詞のフェニックスには「不死鳥」等の意味も持ち、艦これには”不死鳥”の異名を持つとされる特型駆逐艦ゲーム開始当初から存在したため、フェニックスは「あのちっこい不死鳥といっしょにすんな」と時々言及している。

なお、今回のイベント前段作戦Operation Menace』で実装された英国戦艦Valiant同様、公式では…

さらに同作戦域では、ビアク日本艦隊と闘、運命峡での作戦にも参加、さらにその後数奇な運命であの現代戦をも戦った【新艦娘】との邂逅も可っ!

という具合に具体的な艦名の提示がなかった。一部ではスリガオ戦と戦後で再就役というキーワードからRichard P. Learyなども補にあがりそうにはなったが、Richard P. L.の場合はビアク戦や「現代戦をも戦った」には該当せず…邂逅した提督からの情報によりフェニックスであると判明した。

艦娘としてのフェニックス姉妹共通の飾りを装備し、「不死鳥」をイメージしたような朱。横向きの立ち絵のためアメリカンな悪な胸部装甲がしっかりその存在をしている。制服装は姉妹艦でほぼ共通の模様。

初期の所属ボイス「第9巡洋戦隊」は日本海軍真珠湾攻撃時のフェニックス所属部隊。側にはホノルルや未実装セントルイスヘレナ)がいた。改になると「第7艦隊」所属を名乗る。ビアク戦やスリガオ夜戦日本海軍駆逐艦時雨とも対峙している。

セリフ全体をみると鈴谷潮、らの系譜に近く、フレンドリーで軽いものが多い。(後刻加筆予定)現代戦の経験を有していることを自慢し、当時の艦にはない戦中の重厚な装甲を自慢しているが、フォークランド紛争で戦した原因が潜水艦原潜)の雷撃だったこともあり、潜水艦は苦手とのこと。

言及する相手は戦艦2扶桑・山巡洋艦1クルーザー:ここでは最上のこと駆逐艦4DD:言及するのは朝雲時雨Nishimura-Fleet西村艦隊。旗艦ととある駆逐艦には睨まれてしまう。

艦歴概略

米海軍Brooklyn級軽巡洋艦Phoenix

Phoenixフェニックス)は1935年4月15日ニュージャージー州カムデンのニューヨーク所で起工。1938年3月13日に進し、同年10月3日フィラルフィ海軍所で就役した。

真珠湾攻撃(日開戦の1941年12月7日(現地時間))時点では真珠湾に第9巡洋戦隊の僚艦(セントルイスら)と共に在泊していた。攻撃側の第二航空戦隊蒼龍爆撃機フェニックスに命中判定をしていたが実際には被害はなかった。僚艦のセントルイスと数隻の駆逐艦軽巡デトロイト重巡ミネアポリスと臨時の任務部隊を編成し南雲機動部隊探索を行ったが、ハルゼー提督麾下の空母エンタープライズ偵察機に敵艦隊(この場合日本艦隊)と誤認され、フェニックスらはエンタープライズ艦載機対空砲火で撃墜した。

その後セイロン沖海戦でムンバイ行き輸送団の護衛を務めたのち豪州方面で行動し、1943年後半は本土に戻りオーバーホールを受ける。1943年末に復帰後ナッシュビルと共にニューブリテングロスターにある日本軍施設を攻撃し上陸戦を支援グロスターの戦い)。

更にボイシを加えた姉妹1944年6月ビアクを巡る戦いに従軍し、日本海軍第十六戦隊日本陸軍歩兵第222連隊らと対峙した。(日本側:「渾作戦」)米軍側は駆逐艦春雨」を沈没させるものの、「時雨」らを取り逃がした。

レイテ沖海戦では第77.3任務群に属しスリガオ峡に布。同峡に突入する日本海軍第一遊撃部隊第三部隊戦艦2,巡洋艦1,駆逐艦4の艦隊を攻撃し、巡洋艦駆逐艦1を除く各艦を撃破した(スリガオ夜戦。ここでも時雨を取り逃がした。)。更に12月末のミンドロ戦(日本側:「礼号作戦」)でも日本軍機を追っ払う等の活躍をした。以降1945年2月頃までフィリピン周辺で活動した後真珠湾に移動中に終戦を迎え、9月6日パナマ運河を越え大西洋艦隊に配属された。

1946年2月28日フィラルフィアで退役し、保管艦となる。1951年1月27日除籍。同年4月9日ボイシと共にアルゼンチンに売却された。

アルゼンチン海軍 ARA General Belgrano

ボイシと共にアルゼンチンに売却されたフェニックスは、当初ディエシシエテ・デ・オクトゥブレ(Diecisite de Outubre)と命名された。この艦名は10月17日を意味し、当時のペロン大統領率いる政権が前政権をクーデターにより打倒した日(当時は祝日)に因んだものである。が、ペロン大統領自身も1955年クーデターにより政権を追われ、ヘレラル・ベルグラノ(「ベルグラノ将軍」の意味)と改名された。なお、ベルラー将軍アルゼンチン独立戦争英雄国旗制定者である。

1968年までにシーキャット個艦防ミサイルの搭載を受ける等の改修を受けた。ヌエベ・デ・フリオが退役させられヘレラル・ベルグラノの部品取りとなったり、当時の軍事独裁政権の監の扱いになったり、博物館として里帰りするはずが日本航されてスクラップにされるなどという扱いを受ける中アルゼンチン海軍の旗艦となっていた。

1982年3月末、アルゼンチンフォークランド諸島に侵攻した。これに対しイギリスのサッチャー政権は遠路はるばる艦隊を編成し英海軍アルゼンチン海軍フォークランド諸島で戦うこととなった(フォークランド紛争)。ヘレラル・ベルグラノ原潜コンカラーが発射した魚雷により1982年5月2日した。ヘレラル・ベルグラノ米海軍ブルックリン軽巡洋艦一の戦闘による喪失艦となった[1]

関連動画

関連静画

関連項目

脚注

  1. *準同セントルイス軽巡ヘレナを除く
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