ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!とは、日本テレビ系で放送されているお笑い番組である。通称「ガキの使い」「ガキ使」「ガキ」。
概要
ダウンタウンがMCを務めるお笑い番組。ダウンタウンにとって「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)と並ぶ代表作の一つとして数えられている。平成元年(1989年)のスタートからそのまま平成を駆け抜けついに令和の時代に突入し、日本テレビで現在放送中のバラエティ番組の中では「笑点」に次ぐ歴史を持つ長寿番組である。[1]
歴史
番組開始~絶頂期~安定期
1989年10月3日放送開始。
当時日本テレビは番組視聴率でフジテレビの後塵を拝しており、なんとしてもフジテレビに勝ちたいという思いが若手の現場スタッフの中で燻っていた。そんな頃にちょうど東京進出を目論見んでいたダウンタウンを知った若手スタッフの菅賢治(ガースー)と土屋敏男(T部長)。二人はダウンタウンの才能に惚れ込み、「二人の漫才を毎週見たい」という情熱が沸き上がる。そんな折に土屋が編成部へ異動となり、菅が書いた番組企画書を土屋が編成部の他のスタッフに見せもせず勝手に通して始めてしまったのがこの番組である。
番組開始当初はダウンタウンの漫才やコントを毎週放送していたが、さすがに10週ほどでネタは尽きてしまった。そこでダウンタウンの二人が舞台に立ち漫才のスタイルでフリートークをするという、後年よく知られる形へ変貌。また番組冒頭にロケやゲーム企画の「オープニング」も登場する(第一回の「オープニング」は三輪車レース)。こうして番組の骨組みである「オープニング」と「フリートーク」の二本立てというスタイルが確立し、ダウンタウン自体の人気上昇とともに番組も一躍人気深夜番組へと成長する。
ダウンタウンから飛び出すピー音だらけの過激なフリートーク、深夜ならではのチープさと尖った笑いで独特の雰囲気を醸し出すオープニングは一斉を風靡し、1990年代にフジテレビから視聴率トップの座を奪い取り日本テレビが黄金時代を迎えるのに一役買った。
1992年からは「ガキの使い」の前枠で「進め!電波少年」がスタート。ガキ使のスタッフから離れた土屋敏男がプロデュースしたこの番組でアポ無し突撃ロケや大陸横断ヒッチハイクという大ヒット企画を生み、両番組の最盛期には日曜夜22時半~23時半という遅い時間でありながらも毎週20%以上の視聴率を叩き出す驚異的人気を博した。
1990年代から2000年代前半まではこのスタイルを崩さない形で長らく継続させていた。しかし、2000年代半ばから徐々にフリートークのパートが無くなっていき、全編「オープニング」のみの回のほうが増えていった。
スタッフ入れ替えと大幅リニューアル
2017年、すでに日本テレビを退社しフリープロデューサーとして番組に携わっていた菅賢治らかつての主要スタッフの一部が降板し若手のスタッフへバトンタッチすることになった。これと同時に番組の大幅リニューアルが行われ、同年4月より番組タイトルの変更(最後についている感嘆符が「!!」から「!」になる)、番組開始当初から使用されていた番組主題歌や番組ロゴの変更、そして不定期企画としてフリートークが復活した。
フリートークが行われる回に関しては、かつてのような番組後半パートのみから全編に拡大、トークの内容についての見出しテロップやCM前に次のパートの予告テロップが追加されるなどの違いが見られる。
また、それまで番組の名物スタッフとして出演していたガースー(菅)に代わり、リニューアル後もアドバイザーというポジションで残留したヘイポー(斉藤)が番組企画へ全面的に登場するようになっている。
放送時間
当初は火曜深夜1時40分~の完全な関東ローカル番組として始まっているが、1991年に日曜のプライムタイム枠に新設された「笑撃的電影箱」の後半枠に移動してからは一部地域を除きほぼ全国ネットに近い多くの地域で放送されている(一部地方は深夜などに遅れ放送されている)。
前述の枠解消後も放送曜日と時間はその後23年半変わらなかったが、同枠にドラマ枠が新設されるに伴い2015年4月から放送時間がこれより30分遅い日曜夜23:25からの枠へ移動。放送枠自体は深夜帯へ繰り下げられることとなった。移動先もローカルセールス枠ではあるものの同時ネットとなる地方が増えている。
罰ゲーム~「笑ってはいけない」シリーズ
(「ダウンタウン」掲示板 >>2より)
この番組の名物企画といえば罰ゲームである。
罰ゲーム企画は番組が始まってわずか3ヶ月後の1990年1月に初めて登場。たまたま1989年年末の収録となった回のフリートークでなんとなく「NHK紅白歌合戦の勝利チームはどっちだ」という流れになり、予想が外れたほうが罰ゲームでもしようかという思いつきにより始まったものである。
番組初期は「松本人志が『鳩の休日』の鳩になる」「浜田雅功がフランスのエビアンにまで行ってミネラルウォーターの『エビアン』を汲んで来る」などシンプルながらも強烈なインパクトを残すものであったが、2000年に放送された「24時間耐久鬼ごっこ」から大型化する。この流れを汲む形で2001年には「廃旅館1泊2日の旅」が行われ、後の「笑ってはいけないシリーズ」の原型が出来上がる。毛色の異なる罰ゲームを挟んだ後、2003年に「絶対に笑ってはいけないシリーズ」が初登場。以降これが定着し、「温泉旅」「ハイスクール」「警察」「病院」「新聞社」「ホテル」「スパイ」「キャビンアテンダント」…と新作が年1回ペースで発表され現在に至っている。
[2]
2006年からは大晦日の年越し番組として放送され、「NHK紅白歌合戦」と並ぶ大晦日の名物特番として定着。それまで「紅白」と並び称される大晦日の名物番組だった「輝く!日本レコード大賞」(TBSテレビ)が視聴率低迷から2005年を最後に大晦日から12月30日へ放送日を移動したのも重なり、日本テレビや民放テレビ局における大晦日を象徴する番組としても「ガキ使」が知られるようになった。
しかしこの番組は事前収録なので、年越しの際にカウントダウンが入ることが無い。番組エンディングでようやく新年の挨拶が行われ番組が終わるという変則的な年越し番組となっている。
関連動画
主なスタッフ
- 菅賢治
- 「ガキの使い」の生みの親の一人。「ガースー○○」の名前の由来。扱いこそ酷いが元番組チーフプロデューサーであり、日テレ直系の下請け制作会社のADからキャリアをスタートさせて最後は制作局長代理という日テレ社内でもかなり上の地位にまで出世した超敏腕。ダウンタウンの他に明石家さんまとも深いつながりがあり、「恋のから騒ぎ」「踊る!さんま御殿!!」などを立ち上げて大ヒットさせた。2014年3月で日テレを退職、2017年までフリーのプロデューサー(総監督)として番組の製作総指揮に携わっていた。
- 斉藤敏豪
- ヘイポー。当番組の総合演出→アドバイザー(だが、松本曰く「部分演出もしてない」)。名前とは裏腹にかなり鈍くヘタレ。これでもかなり業界内で名の通った演出家だそうだ(「編集の腕だけは超一流。あとは全部ダメ」という声も)。中村喜伸 名プロデューサー。年末の笑ってはいけないではなぜか芸人枠に居ることが多い。
- 藤原寛
- 元ダウンタウンマネージャー。「笑ってはいけない」シリーズの進行役。アドリブが利かない。「乳、寄せまっせー」。現在はダウンタウンの所属事務所である吉本興業の副社長にまで出世した吉本の偉い人である。
- 土屋敏男
- 「ガキの使い」の生みの親の一人。菅と共にダウンタウンの上京から番組開始までの立ち上げまで深く関わった。「ガキ使」の番組開始から2年ほどでスタッフからは離れたが、その後「進め!電波少年」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」などヒット番組を連発して日テレの黄金時代に尽力した。一時は編成局専門局長という重要ポストにまで就いており、日テレの偉い人になっている。
関連人物
当番組が発祥の記事や当番組で有名になったものなど
- その発想は無かった
- ショウヘイヘーイ
- 今夜が山田
- ジュウシマツ住職
- カン・チョクト
- デデーン
- 今崎ホセ
- ほちぃ
- エリート塩
- ホウセイマイフレンド
- アイム方正
- M1号
- 浜田パンプキン
- サンシャイン斎藤工
- Screaming Asian Man
脚注
- *タイトル変更や大幅刷新を行っていない番組における順位。
- *なお、現在の「笑ってはいけないシリーズ」は2007年の「病院」から敗者による罰ゲームという形式ではなくなり、出演者全員参加の企画になっている。
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