パーソナルエンスン(Personal Ensign)とは、1984年生まれのアメリカの競走馬・繁殖牝馬である。
ラフィアンやゼニヤッタらと並んでアメリカ史上最強牝馬の候補に挙げられる名馬である。カナ表記では「パーソナルエンサイン」と表記されることも。
ブラッド・ホース誌選定「20世紀のアメリカ名馬100選」第48位。
デビュー、故障、そして快進撃
父は本馬の誕生時点では初年度産駒が2歳を迎えたばかりだったが後にインサイドインフォメーション(ブリーダーズカップ・ディスタフ制覇)や仏二冠牝馬イーストオブザムーンら牝馬の活躍馬を多数輩出することになるプライヴェートアカウント、母は南米で発展した牝系の出身であるグリーシャンバナー、母の父は凱旋門賞連覇のアレッジドを輩出したホイストザフラッグという良血馬として、バックパサーなどで名を馳せた名門クレイボーンファームによって生産・所有された。
なお、全兄にサバーバンハンデとワイドナーハンデの2つのGIを勝利したパーソナルフラッグがいる(初GI制覇はパーソナルエンスンの方が先だが)。
2歳になり、前年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬ヴァンランディンガムを手掛けて名声を高めていた新進気鋭のクロード・R.マゴーヒー3世調教師に預けられた本馬だったが、皮膚病でデビューは少し遅れた。しかしベルモントパーク競馬場でのデビュー戦を12馬身3/4という大差で圧勝すると、2戦目のGIフリゼットステークスもアタマ差で制して、早くもBCジュヴェナイルフィリーズ、そして翌年の牝馬三冠戦線の主役になるかと騒がれた。
しかし、パーソナルエンスンの圧倒的な能力はまだまだ幼い脚には負荷がかかりすぎたのか、調教中に骨折。競走能力喪失寸前の大怪我を負い、復帰できたのはほぼ1年後。
牡牝両方の三冠競走が上半期に全て終わるアメリカ競馬において、それは三冠を棒に振ることを意味していた。
だが、スタッフの懸命の努力もあって、翌年9月に復帰したパーソナルエンスンは、そんな怪我の鬱憤を晴らすかのように圧勝。しかもこのレース、一般競走で相手が弱いとはいえ、脚に5本のボルトが入ったままで走ってこの結果である。
故障明けという決して万全ではない状態でこの結果なのだから、「じゃあ怪我が完治したら?」などとは考えるまでもない。
たたき台の一般競走をまたもや圧勝すると、GIIレアパフュームS、GIベルデイムSと楽勝して続いてはアメリカ競馬最大のお祭り、ブリーダーズカップ……と行きたいところだったが、ローテーションが詰まりすぎていたため、故障明けの脚への負担を考慮して再び休養へ。
休養を挟んだ翌年も快進撃は続き、7月のGIIモリー・ピッチャーHを勝つ頃には連勝を9と伸ばし、重賞6勝(うちGIは4勝)と、秋のブリーダーズカップの本命馬の一頭として俄然注目を集めるようになっていた。
ただ、それでもパーソナルエンスンを評価しない向きがなかったわけではなかった。
ここまで勝ってきたGIは、ブリーダーズカップのステップレースであるベルデイムS以外は格が落ちるとされるレースばかりだったし、相手も一線級ではないという見方をされていたのだ。
だが、続くGIホイットニーHでは、3頭立てではあったもののここまでGI6勝(この年のブリーダーズカップスプリントを制して7勝)の強豪牡馬ガルチを下して、パーソナルエンスンは一線級を相手取っても十分に戦えることを示す。
強豪牡馬を倒せる実力があるのなら、当然牝馬限定戦なら敵がいるわけがない。秋のブリーダーズカップ・ディスタフなら圧勝できるだろう……と言いたいところだが、ここに至ってもまだパーソナルエンスンが圧倒的な本命視をされるには至らない。
なぜならこの年、1世代下の牝馬たちが牡馬顔負けの大暴れをしていたのである。
史上3頭目となる牝馬のケンタッキーダービー馬ウイニングカラーズと、そのライバルでありアメリカ競馬史上屈指のアイドルホースであった*グッバイヘイローの実力は同世代牡馬たちの実力をも凌ぐとされ、パーソナルエンスンがブリーダーズカップ・ディスタフに挑むのなら彼女たちが最大の障壁になるだろうと予想されていた。
日本競馬で言うなら、ウオッカとダイワスカーレットが一世代下にいて、エリザベス女王杯での激突が確実視されているようなものである。
彼女が絶対的な本命視されなかった理由もわかってもらえるだろう。
実際、その片割れであるウイニングカラーズと初めて激突したGIマスケットSでは、2歳時のフリゼットS以来の僅差となる3/4馬身差まで詰め寄られ、本番が楽なレースにはならないであろうことを示唆するような結果となった。
激闘、ブリーダーズカップ・ディスタフ
故障明けということもあってローテーションが制限された前年と違い、今度は万全の状態でブリーダーズカップに臨むことになったパーソナルエンスン。前走のベルデイムSも当然の大楽勝で終え、もちろん1番人気。
ウイニングカラーズ、*グッバイヘイローは共に前走で黒星を喫していたため2番人気・3番人気となったものの、勝つならこの3頭のいずれかだろうと言われていた。
ハリケーンの影響で大雨の降りしきる中でスタートしたレースは、先行したウイニングカラーズが快調に飛ばし、*グッバイヘイローは2番手。パーソナルエンスンは少し離れた中団を進む。
4コーナーでウイニングカラーズの脚色が鈍ったところで*グッバイヘイローが捕まえにかかるが、腐ってもダービー馬である。なんと、ウイニングカラーズは直線に入った瞬間に突き放しにかかったのだ。
負けじと*グッバイヘイローも脚を伸ばし、再びウイニングカラーズとの差をじわりと詰め、もはやこの2頭でレースは決まったかと思われたその時、*グッバイヘイローの外からなんかバタバタしながら襲いかかる影が見えた。
そう、パーソナルエンスンである。一気に*グッバイヘイローを抜き去ると、残る獲物は先頭を走るウイニングカラーズただ1頭。
ダービー馬の意地で粘り込みを図るウイニングカラーズと、無敗馬のプライドを守るために襲いかかるパーソナルエンスン。
意地と意地のぶつかり合いは、ちょうど2頭が並んだところでクライマックスを迎えた。
このレースを最後に彼女は無敗のまま引退。アメリカ競馬の一線級における無敗馬の誕生は1908年のコリン以来80年ぶり、あのマンノウォーやセクレタリアト、ネイティヴダンサーすら成し得なかった。その戦績から、ミス・パーフェクトという異名で呼ばれている。
牝馬限定戦の出走が多かったため無敗の価値を疑問視する向きもあるが、戦った相手を考えればそんなものは彼女の栄光になに一つ傷をつける要素にはならないだろう。
繁殖牝馬として
繁殖入りしたパーソナルエンスンは母としても活躍。
ジョッキークラブゴールドカップを制したマイナーズマークを皮切りにGI馬を次々と輩出。第4子マイフラッグとその産駒ストームフラッグフライングはBCジュヴェナイルフィリーズを制し、3世代連続のBC制覇も達成。1996年にはケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選ばれ、さらに1998年には自身の名を冠したGIレース・パーソナルエンスンハンデキャップ(旧名ジョン・A.モリスハンデキャップ)が誕生するなど、引退してなおその名声を高めた。
なお、現役時代に激闘を繰り広げたガルチ(イーグルカフェの父)、*グッバイヘイロー(キングヘイローの母)、ウイニングカラーズ(ゴールデンカラーズの母)ほど産駒が日本競馬に縁がないものの、競走馬としては大成しなかった第二子アワエンブレムが種牡馬として二冠馬*ウォーエンブレムを輩出。*ウォーエンブレムは種牡馬として日本に輸入され、金髪ロリ好きとして有名に種付けに苦戦したもののブラックエンブレムを筆頭に活躍馬を輩出している。また、マイフラッグの曾孫(本馬の玄孫)のマドラスチェックが外国産馬として日本で走り、交流重賞を賑わせている。
数々の栄光に包まれたパーソナルエンスンは2010年4月、老衰で死亡。父プライヴェートアカウントの眠るクレイボーンファーム内の墓地に埋葬された。
血統表
Private Account 1976 鹿毛 |
Damascus 1964 鹿毛 |
Sword Dancer | Sunglow |
Highland Fling | |||
Kerala | My Babu | ||
Blade of Time | |||
Numbered Account 1969 鹿毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Intriguing | Swaps | ||
Glamour | |||
Grecian Banner 1974 黒鹿毛 FNo.6-a |
Hoist the Flag 1968 鹿毛 |
Tom Rolfe | Ribot |
Pocahontas | |||
Wavy Navy | War Admiral | ||
Triomphe | |||
Dorine 1958 栗毛 |
Aristophanes | Hyperion | |
Commotion | |||
Doria | Advocate | ||
Donatila | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:War Admiral 5×4(9.38%)
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関連項目
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