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ウイニングカラーズ
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ウイニングカラーズ(Winning Colors)とは、1985年生まれのアメリカの元競走馬繁殖牝馬である。
アメリカ競馬史にいて、史上3頭にして初稿執筆時点で最後のケンタッキーダービー勝ちを決めたである。

な勝
1988年ケンタッキーダービー(G1)サンタアニタダービー(G1)サンタアニタオークス(G1)

栄光への疾走

グレイソヴリン系を現代に繋いだ大種牡馬CaroAll RainbowsBold Ruler直子のBold Hourという血統。
この系は活躍が多すぎるレベルで溢れかえっており、例を挙げるとの半トリプルティアラ達成Chris Evert、そのChris Evertの孫にChief’s Crown、他のラインからタップダンスシチーディープスカイとまあちょっと調べるだけでくたびれるレベルでいる。

譲りの芦毛で、アメリカが誇る名伯楽ウェイン・ルーカス師がキーランドセールで一目惚れするほどの好体の持ちだった彼女は57万5000ドルで購入され、このセールでルーカス師が代理人を務めた実業馬主ユージンクライン氏の持ちとなった。
ところが彼女は名伯楽ルーカス師を持ってしても制御に手こずる気性の持ちであった。他のがいると気が散るので調教場には一番乗りしないとダメ、いざ走り出すと必要以上に速く走りたがるので必ず抑えねばならないなど大変難儀したという。

ルーカス師は西海拠点だが彼女デビュー東海サラトガ競馬場であった。ここで1987年8月未勝利戦に出走。後にこの年のBCジュヴェナイルフィリーズを勝つ既出走のEpitome(当時2戦0勝)を2身半差付けて退けて初勝利
その後は一旦拠点西海に帰ってじっくり調教12月の一般競走で復帰。戦として共に数々の戦をくぐり抜けることになる名騎手ゲイリースティーヴンスを迎えたこのレースでも2着*フローラルマジック(ナリタトップロード)をぶっちぎり快勝。2戦2勝として2歳を終える。

その後1月ステークス競走を圧勝し、初GI奪取を狙い2月ラスヴァーネスステークスに向かう。そこにはBCジュヴェナイルフィリーズにこそ出なかったが、全という評価をすでに確固たるものにしクラシック役格と言われた*グッバイヘイローがいた。
いつものように軽快に逃げたウイニングカラーズであったが*グッバイヘイローも猛追をかけ、クビ差捉えきったのがゴールであった。
次走に選んだのは3月サンタアニタオークス。*グッバイヘイローの他にもBCジュヴェナイルフィリーズ2着のJeanne Jonesも出走していたがまとめて圧倒的なスピード叩き潰し2着Jeanne Jonesに8身差を付け、*グッバイヘイローはその後ろの3着に破り、西海女王補筆頭となった。
しかしながら、ウイニングカラーズがした女王の座は並のものではなかった。ケンタッキーオークストリプルティアラといった限定戦路線ではなく「ラン・フォー・ザ・ローゼス」、ケンタッキーダービー路線への参入を4月サンタアニタダービー出走を決めたのである。

栄光の色は何色か

そうして西海ケンタッキーダービープレップとして最も格のあるサンタアニタダービーに出走したが、当然そんな簡単な相手ではなかった。BCジュヴェナイル3着Tejanoら結構なメンツっていたのである。
その相手をもってしても彼女スピードは止められず、1番人気に推したファンの期待に応え2着に7身半差付けて圧勝。西海最強看板を背負って堂々とチャーチルダウンズに乗り込むこととなった。

1988年ケンタッキーダービーは多士済々の混戦模様であり、前年の最優秀2歳*フォーティナイナー、その*フォーティナイナーをフロリダダービーで破った*ブライアンズタイムレキシントンステークスで破ったSecretariatの最高傑作Risen Star、7戦7勝・敗のままやってきたPrivate Termsウッドメモリアル招待Sで彼に食らいついて食らいついて2着に入り出走権を獲得したSeeking the Goldカナダ代表でソヴリン賞最優秀2歳いたRegal Classicら錚々たるメンツった。
そのメンバーを相手にしても1番人気タイとなった彼女ハナを切りに行き、やや速いテンになったが*フォーティナイナーを2番手に控えさせると単騎逃げに持ち込み、四出口で差をつけ直線に向くと直線半ばまでセーフティリードを死守。最終的には*フォーティナイナーの猛追を受けたがギリギリ退けてゴールに飛び込んだ。
こうして1915年に勝利ケンタッキーダービーを全区の存在に押し上げたとされるRegret、1980年Genuine Riskに次いで史上3頭バラレイを獲得した女王となったのであった。
名伯楽ルーカス師とスティーヴンス騎手にとってもこれがキャリア初のケンタッキーダービー制覇となった、メモリアル勝利であった。

この後はGenuine Risk同様に三冠獲得をプリークネスステークスへ。
ケンタッキーダービーの有力に負けたままで終われないとばかりに例年より出走してきた。いつもならさっさと休養に入ったり別路線に解散していくのだが。
レースケンタッキーダービーでは引いた*フォーティナイナーが絶対ハナを譲るものかとガンガン押して出てきたためやむを得ず2番手で進むが、人気の*フォーティナイナーケンタッキーダービーが前でガンガンやりあってるのを後続も見逃してくれず突きに来るものだから、馬場が悪い中息を入れる間もなくハイペースで進んだ。
こうなるとスピードの勝った血統である*フォーティナイナーや、スタミナではやや分が悪いであるウイニングカラーズではなく、尽のスタミナスピードを併せ持つSecretariat息子Risen StarRoberto息子・*ブライアンズタイムの得意とする流れになった。
三角付近から一気にRisen Star捲りあげて直線で先頭に立つと*フォーティナイナー沈、ウイニングカラーズの方は必死に食らいつき差し返そうとしたがさすがにガス欠を起こし、後方待機の*ブライアンズタイムにも差されて1身1/4+1身1/4差の3着に敗れた。三冠は潰えたのである。
6頭立てとなったベルモントステークスにも出走したが、三角付近でいっぱいになるとRisen Star記録的圧勝劇をに最下位6着に敗れた。Genuine Risk以来の牡馬三冠競走皆勤を果たしたものの、Genuine Riskより結果を落としてしまった。
とはいえ逃げ一本に挑み、得意距離ケンタッキーダービープリークネスステークスではとても強い競馬を見せつけたのだから名誉に傷は一切つくことはなかった。

VSミス・パーフェクト

さて、長い夏休みを経て路線に帰ることとなったが、復帰初戦に選んだ9月GIマスケットステークスにはながら並の駕する怪物が出走してきた。
10戦敗、GIホイットニーステークストップクラスの一・Gulchを撃破してきたPersonal Ensignである。
逃げケンタッキーダービーと差しのミスパーフェクトの決戦となったが、軽快に逃げたウイニングカラーズを向こう正面から仕掛けたPersonal Ensignがグググッと追い詰め、直線入り口ではもう捕まえられる差、1身ほどに詰めてきた。
ウイニングカラーズも必死牡馬三冠競走で発揮したド根性でりにるが、ゴール前で力尽き3/4身差の2着に敗れた。対では*グッバイヘイローに敗れて以来のとなった。
BCディスタフに向け、久々勝利してPersonal Ensignのいない10月のスピンスターハンデに出走するが、ハンデ戦だったのがダメだったかHail a Cabの4着に敗退。本番前にずっこける結果になってしまった。

ついに迎えたBCディスタフ。12戦敗になってやってきた“ミスパーフェクト”Personal Ensignサンタアニタオークスでコテパンにされたがその後戦線で大活躍した*グッバイヘイロー、前走で本に苦杯をめさせたHail a Cab、同の同厩のBCジュヴェナイルフィリーズ勝ちで、3歳は順調さを欠いたが一般競争を使って体調を整えたEpitome、ルーカス厩舎の同輩・Chris Evertの孫なのでウイニングカラーズの近でもある*クラシッククラウン1988年戦線総決算! といえるとんでもないメンバーったこのレースであったが、ハリケーン中降り続く大雨不良馬場となった悪条件で迎えた。
ウイニングカラーズは当然逃げを選択。馬場もあってか突っかかるもおらず単騎でスイスイ逃げ、四付近で2番手から*グッバイヘイローが迫ってくるが、それを一旦突き放しセーフティリードを作って直線を向く。
全に勝ちパターンに持ち込んだのだが、*グッバイヘイローも簡単に諦めずに迫る。しかしそれはなんとかげる……と思われたその刹那、*グッバイヘイローの外からPersonal Ensignもんのすごいでぶっ飛んで来て、最後の一歩でバッチリ差し切ったところがゴールであった。
ルーカス師にケンタッキーダービーを差し置いて「ウイニングカラーズ最高のパフォーマンス」と呼ばしめた完璧レースをしたが、それでもミスパーフェクトだけは越えられなかった。
エクリプス賞では10戦4勝のウイニングカラーズと11戦5勝の*グッバイヘイローで最優秀3歳を争ったが、ケンタッキーダービー勝ちと直接対決2勝1敗の勝ち越しが評価されたかウイニングカラーズが受賞となった。

4歳時も現役を続けたが、喉鳴りで順調さを欠いたこともあり、一般競走で勝つのが精一杯で重賞では全く勝負にならなくなっていた。前年の闘が彼女の活力を奪ったのかもしれない。
最終的にBCディスタフで、*グッバイヘイローをボッコボコにして1989年だけでGI7勝を挙げ5歳にして本格化を迎えたアルゼンチン出身の女傑Bayakoaに向こう正面で逃げをぶっ潰されて惨敗したのを最後に引退した。通算成績は19戦8勝。
全盛期は長くなかったが、放ったきはそこらへんのGIには放てない、栄の色をしたきであった。

繁殖牝馬としてはあまり成功できていない。日本に輸入されたゴールデンカラーズが一番活躍したと言えるくらいなので近べるとパンチは弱い。
牝系日本ゴールデンカラーズがサンデー産駒チアフルスマイルタイキシャトル産駒マザーウィッシュらを通して繋いでいたり
ルートで輸入されたストームキャット産駒*ストーミンウィニーが孫世代から名古屋怪物…かもしれないコパノリッキー産駒・8戦8勝で東海ダービーを制したセブンカラーズを輩出したりとまだ健在ではある。いずれウイニングカラーズのような栄の色を見せてくれる産駒が出るかもしれない。セブンカラーズはその補だと思う。

2000年競馬殿堂入りを果たし、その8年後の2008年に23歳のときに疝痛を発症。その合併症で息を引き取った。

血統表

Caro
1967 芦毛
*フォルティノ
Fortino
1959 芦毛
Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Ranavalo Relic
Navarra
Chambord
1955 栗毛
Chamossaire Precipitation
Snowberry
Life Hill Solario
Lady of the Snows
All Rainbows
1973 鹿毛
FNo.23-b
Bold Hour
1964 黒鹿毛
Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Seven Thirty Mr. Music
Time to Dine
Miss Carmie
1966 鹿毛
T.V. Lark Indian Hemp
Miss Larksfly
Twice Over Ponder
Twosy
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 4×4×5(15.63%)

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