この一瞬のために
いちど勝ち取った名誉を
手放す勇気はあるか
悩み苦しみながら
さまよう覚悟はあるか未来を夢見る者たちよ
君が挑もうとしているのは
それほどに厳しい世界だただ、これだけは言える
この一瞬のためになら
あがき続ける価値はある
イーグルカフェ(Eagle Cafe)は、1997年アメリカ生産・日本調教の競走馬、種牡馬。鹿毛の牡馬。
2000年のNHKマイルカップを制覇、その後2年以上の低迷を経て5歳秋に復活、ジャパンカップダートを制してJRAの芝ダート二刀流GI勝利を達成した。
46戦5勝[5-4-4-33]
主な勝ち鞍
2000年:NHKマイルカップ(GI)、共同通信杯4歳ステークス(GIII)
2002年:ジャパンカップダート(GI)、七夕賞(GIII)
概要
父Gulch、母Net Dancer、母父Nureyevのアメリカ産馬。
父Gulch(ガルチ)はMr. Prospector産駒で、アメリカダート界にてGI7勝。主戦場のスプリント・マイル路線ではほぼ馬券内を外さない安定感ある走りを続け、1988年のBCスプリント制覇・エクリプス賞最優秀短距離馬受賞を花道に引退した。種牡馬としても1995年のアメリカ二冠馬*サンダーガルチ、英チャンピオンSやプリンスオブウェールズSなどGI4勝のNayef(ネイエフ)、アメリカ芝マイル路線で活躍したCourt Vision(コートヴィジョン)などを輩出した。日本調教馬ではこのイーグルカフェが代表産駒だが、他に1997年のアーリントンカップ制覇後、長じて障害路線に転じ息長く活躍したブレーブテンダーなどがいる。
母Net Dancer(ネットダンサー)はアメリカで13戦2勝。イーグルカフェの3歳上の全兄・*ハセノガルチも日本に輸入され、中央で4勝を挙げたのち南関東へ移籍、地方重賞を複数勝利し活躍した。祖母Doubles Partner(ダブルスパートナー)の姉Danseur Fabuleux(ダンスールファビュルー)の子には2歳でカルティエ賞年度代表馬という快挙を達成した「ワンダーホース」*アラジがいる。3代母Fabuleux Jane(ファビュルージェーン)の弟妹にはGI馬が3頭おり、これら含めた4代母Native Partner(ネイティヴパートナー)の牝系には名牝*ダンシングキイや天皇賞馬スズカマンボが含まれる。
母父NureyevはNorthern Dancer系の一角を成す名種牡馬。日本で活躍したヌレイエフ産駒には*ブラックホークや*ハートレイクがいるが、それ以上に母父としての影響が多大であり、「母父Nureyev」には牡馬ではイーグルカフェの他にもジャングルポケット・ゴールドアリュール・アイルトンシンボリなど、牝馬ではトゥザヴィクトリー・フサイチパンドラ・スリープレスナイトらがいる。
1997年2月10日生まれ、美浦・小島太厩舎所属。馬主はマンハッタンカフェなど「カフェ」冠名の西川清氏(駐車場の「パーク24」創業者)。調教師・馬主ともに、このイーグルカフェが初重賞制覇・初GI制覇の馬である。騎手はかなり入れ替わったが田中勝春の騎乗が最も多く(初勝利時・七夕賞など)、他に重賞制覇時の騎手は岡部幸雄(共同通信杯・NHKマイルC)、ランフランコ・デットーリ(ジャパンカップダート)。
戦歴
府中マイルに鷲は舞う
1999年11月6日、東京ダート1200mで蛯名正義を鞍上に新馬戦を迎え1番人気に推されたが、逃げ馬を捕まえきれず3着。ちなみに、この後5年強にわたり46戦・重賞4勝の戦歴の中で1番人気はこの新馬戦のみである。芝に矛先を変えた12月11日の3戦目で勝ち上がりを決め、旧3歳を3戦1勝で終えた。
旧4歳の2000年は初重賞挑戦の京成杯2着から始動。続く共同通信杯4歳Sにて、後団待機から直線鋭く追い込み重賞初制覇。翌年の馬齢表記変更で競走名が変わる前の最後の勝ち馬となった。現在であれば、共同通信杯制覇とくれば「よし皐月賞への切符は確保だ、本番でも有力馬の一角だな!」というところだが、2000年は外国産馬に3歳クラシック競走の出走権がなかった最後の年[1]であり、イーグルカフェが目指すは「マル外ダービー」・NHKマイルカップただ一つであった。
前哨戦として臨んだ4月8日のNZT4歳Sは追い込みきれずエイシンプレストンの7着に敗れたが、NHKマイルカップを前にエイシンプレストンの骨折が判明。NZT4歳S2着のマチカネホクシンに次ぐ2番人気(4.3倍)で本番当日を迎えた。
6枠12番からスタートした岡部幸雄騎乗のイーグルカフェは中団後方に控えて直線勝負の構え。1000m通過57秒7のハイペースで逃げ先行集団が総崩れとなる中で直線大外から末脚を伸ばし、最後はトーヨーデヘアをハナ差で差し切った。小島太厩舎・馬主の西川清ともに初GI勝利である。
なお、この2000年のNHKマイルカップには、この時点ではダート馬が何とか芝で走ろうと苦闘しているという存在だったアグネスデジタル(7着)や、翌2001年にダート戦線で大爆発を起こす前のノボジャック(18着)も出走していた。
地に塗れる2年間
世代マイル王を獲得した勢いのままに古馬混合のGI・安田記念に挑戦。さすがにこの時期の4歳馬(現3歳馬)が古馬との混合競走に出るのは珍しく、イーグルカフェは7番人気。とはいえ7番人気のイーグルカフェでも単勝9.8倍という大混戦模様で、ひょっとしたらひょっとするかも、といった期待はあった。しかし勝ったのは香港からの刺客フェアリーキングプローン(10番人気)で、イーグルカフェは全く良いところなく13着に大敗した。
秋は、既に重賞2勝の東京競馬場にて毎日王冠・天皇賞(秋)とローテを組んで古馬に再挑戦、共に4着と健闘してみせた。さらにジャパンカップにも出走したが、これはいくら何でも距離が長すぎた。先行集団からズルズル後退し、ブービー15着。なお、イーグルカフェ以外にもダービー馬アグネスフライト13着、二冠馬エアシャカール14着、オークス馬シルクプリマドンナ16着と、2000年クラシック世代のGI馬たちが下から4頭独占という惨状で、前週のマイルCSで同期のアグネスデジタルとダイタクリーヴァが1着・2着を独占して上がったばかりだった世代評価は僅か一週間で大暴落することになった。
馬齢表記が変わって新4歳の2001年、ここで新馬戦以来のダートとなる根岸ステークスへ向かう。しかし久々の砂に初の1400m戦、しかも最重斤58kgでは如何ともし難く、10着。続いてフェブラリーステークスに挑戦も8着。と思いきや直後の3月はドバイに飛び、芝に転じてドバイデューティーフリー9着。
この辺で本格的に調子を崩してしまった感があり、帰国後は得意条件に戻ったはずのエプソムカップでも8着。
その後も芝ときどきダートというローテは続き、結局2001年は武蔵野ステークスの2着が最高。5歳となった2002年は、安田記念まで7戦使って全て馬券外という苦闘が続いた。
砂を巻き上げ再び翔ぶ鷲
デビュー以来、東京競馬場を主戦場に中央開催からほとんど動くことはなかったイーグルカフェだったが、この状況では中央だローカルだは言っていられない。2002年(5歳)、安田記念6着に敗れた後、初めて福島競馬場に向かい七夕賞に狙いを定めた。
すると、これが結果につながった。イーグルカフェは前半は最後方に控えると、田中勝春は3角からまくり上げにかかり、直線では先行集団を捉えて2着ロードクロノスに1馬身半差の快勝。NHKマイルカップから2年2か月振りの勝利で、重賞3勝目を挙げた。
さらに夏競馬でもう1戦札幌記念8着をこなした後、何と同厩・同馬主の1年後輩マンハッタンカフェが凱旋門賞に参戦するための帯同馬としてフランスへ飛んだ。現地では凱旋門賞の前日、ドラール賞(G2、ロンシャン競馬場芝1950m)に参戦、オリビエ・ペリエの駆るダノマスト[2]の3着に敗れたが、直線で鋭い追い込みを見せて状態の良さを示した。
フランスからの帰国後は11月23日のジャパンカップダートへ。ちったあ加減してやれ!と言いたくなるローテだが、当時のジャパンカップダートはジャパンカップの前日に東京競馬場2100mで開催されていたのが、東京競馬場の改修工事に伴いこの2002年に限って中山競馬場1800mでの開催だったのだ。(府中ダ2100mと中山ダ1800mじゃまるで別のレースやんけ!)
当然、イーグルカフェからすればこの距離短縮は歓迎である。さらに鞍上には、短期来日中のイタリアの剛腕、ランフランコ・デットーリを迎えることができた。当日の人気上位はアドマイヤドン、ゴールドアリュール、トーホウエンペラーら既にGI競走を2勝している3頭が1~3番人気を占め、4番人気に前々走で日本レコードタイムを記録して東海ステークスを2連覇したばかりのハギノハイグレイド、イーグルカフェはこれらに次ぐ5番人気(20.8倍)に支持された。つまりダート未勝利馬が同年の帝王賞馬カネツフルーヴや同年の川崎記念優勝馬リージェントブラフらダートGI馬よりも上位人気に支持されてしまったわけで、デットーリの鞍上人気すげえなという話である(そして実際勝っちゃうんだからなあ)。
ほぼ真ん中の5枠9番からスタートのイーグルカフェ。出足はあまり良くなかったが、デットーリはテンから促していき中団馬群の8、9番手で1・2コーナーを通過。さらに向こう正面で押し上げるという、イーグルカフェがこれまで勝ったことのない前目の競馬を採り、ラジオNIKKEIの木和田篤アナは「今日は早めの競馬!先団目指して上がっていきます」、フジテレビの青嶋達也アナも「強気の競馬」と特に実況している。4番手付近で3角に突入するが、最終直線の入り口では内からアメリカのアブリーズ、ゴールドアリュール、アドマイヤドンと、前に3枚壁をもらう形となった。しかし、直線でアブリーズが垂れ始め、内ラチ沿いが空いた瞬間をデットーリは逃さなかった。インに入れてゴールドアリュール・アドマイヤドンに並ぶと2頭を競り落とし、外から飛んできたリージェントブラフの追い込みも1馬身残してゴール。
NHKマイルC以来2年6か月振りのGI2勝目、芝・ダートの二刀流GI制覇も達成した[3]。好騎乗を見せたデットーリは喜びのフライングディスマウント(ジャンプしながらの下馬、通称デットーリジャンプ)を披露し、先日の凱旋門賞で厩舎のエース・マンハッタンカフェが屈腱炎発症で突如の引退に追い込まれていた小島太調教師は、後輩の無念を晴らすかのようなイーグルカフェの勝利に涙したという。
なおデットーリは翌日のジャパンカップも9番人気のファルブラヴで優勝、その剛腕を遺憾なく日本競馬界に知らしめたのだった。
芝芝ダダ芝芝芝ダダ…
一年限りの距離変更のチャンスをものにしてGI2勝目を掴んだイーグルカフェ。なおJCD後は有馬記念に出走したがドベの14着。その距離は無理だって2年前のJCで懲りろよ!
6歳となった2003年も、年始からフェブラリーS3着・アンタレスS2着と、砂での勝利がフロックではないところを示した。
今後はダート路線中心にローテが組まれていくことになるのか、……と思いきや、次走は芝のGI・安田記念に参戦。しかもなんとコースレコードで駆け抜けるアグネスデジタルの0.1秒差に迫る4着と好走してしまった。いや、好走自体は素晴らしいことなのだが、これ以降は2戦・3戦ごとに芝と砂が交互に試され、使い回しがより一層過酷になってしまった。また、従来は我慢して直線追い込み勝負、こらえきれず先行した時はまずダメという馬だったのが、デットーリが先行で勝つマジックを決めたもんで、先行なのかい?追い込みなのかい?どっちなんだい?と戦法面もブレてしまった感がある。結局、2003年秋のマイル南部杯4着を最後に以降は掲示板にも載れなくなり、2004年(7歳)も現役続行するものの同年のJCダート10着を最後に現役を退いた。
引退後
引退後は日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで種牡馬入り、その後2008年シーズンからはビッグレッドファームで供用された。芝ダートのGI戦績に手ごろな種付け料、また日本におけるGulchの後継種牡馬として、スタッドイン直後は年100頭以上の牝馬を集めた。しかし徐々に種付け数が減少し、産駒からも地方重賞馬は何頭か出たものの、中央での重賞馬は出ず。2011年シーズン終了後にマイネルセレクトとともに韓国へ輸出され、済州島の緑原牧場で繋養された。その後、2013年の札幌日経オープン(OP)をセイカプレストが制したのが産駒のJRA最高勝ち鞍となった。2016年9月30日に疝痛により死亡、19歳没。
同世代にアグネスデジタルという芝ダート兼用でより強烈な戦績を残したド変態勇者がいるため、その陰に隠れてしまっている感はあるが、イーグルカフェもまた芝ダートとっかえひっかえのローテの中、デジタルより1年長く大きな故障も長期休養もなく走り続けた丈夫な馬だった。そして、苦闘の中で若駒の時の栄冠をもう一度つかみ取れたのだから、彼の頑張りは報われたと言えるだろう。
血統表
Gulch 1984 鹿毛 |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Jameela 1976 黒鹿毛 |
Rambunctious | Rasper | |
Danae | |||
Asbury Mary | Seven Corners | ||
Snow Flyer | |||
Net Dancer 1989 鹿毛 FNo.7 |
Nureyev 1977 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Special | Forli | ||
Thong | |||
Doubles Partner 1984 鹿毛 |
Damascus | Sword Dancer | |
Kerala | |||
Fabuleux Jane | Le Fabuleux | ||
Native Partner |
クロス:Raise a Native 3×5(15.63%)、Native Dancer 4×5(9.38%)
- 3歳上の全兄*ハセノガルチは中央で4勝を挙げ1996年の朝日杯3歳Sにも出走、のち地方移籍し京成盃グランドマイラーズ・報知グランプリカップなど複数地方重賞を獲得した。祖母Doubles Partnerの姉Danseur Fabuleuxの子に2歳でカルティエ賞年度代表馬受賞の*アラジ。4代母Native Partnerの牝系には*ダンシングキイやスズカマンボが含まれる。
関連動画
関連リンク
関連項目
脚注
- *翌2001年にまず日本ダービー・菊花賞出走が外国産馬に開放され、2002年に皐月賞、2003年にオークス、2004年に桜花賞と段階的に出走権が開放されていった。
- *1996年生、父アンフワイン、イギリス生産デンマーク調教という馬。フランスにて2001年ジャン・ド・ショードネイ賞とこの2002年ドラール賞のG2を2勝。その他、1999年のデンマークとスウェーデンのダービーで共に2着、2002年末の香港カップでエイシンプレストン(5着)に先着して3着、2003年の独バーデン大賞で3着など、世界各国を股に掛けて走った。
- *JRAのグレード制定以降では、クロフネ・アグネスデジタルに次いで3頭目。
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