マニー・パッキャオ(Manny Pacquiao)は、フィリピン人プロボクサーである。
愛称は「パックマン」。または「メキシコ人殺し」(The Mexican Killer)。
パッキアオ、パキャオとも表記される。
現在までのプロ戦績は、67戦 58勝 (38KO) 7敗 2分。
概要
以上が、パッキャオが獲得したタイトルである。オスカー・デ・ラ・ホーヤに次いで世界で二人目となる6階級制覇の王者である。なお、フライ級からスーパーウェルター級は10階級異なり、体重差は下限と上限で実に21キロとなる。デ・ラ・ホーヤの6階級制覇はスーパーフェザー級からミドル級までのもので、間を飛ばさない6階級で体重差は15kgである。さらに言えば、パッキャオはデビュー時はライトフライ級であり、そのキャリアにおいて実に11の階級を渡り歩いている。しかも当時は更にその下のミニマム級の体重しかなかったために、計量時に石を隠し持ってライトフライ級の体重をクリアしたというエピソードがある。
サウスポースタイルからの闘争心を剥き出しにしたファイトスタイルを持ち、強豪選手を相手に一歩も引かず、アグレッシブに攻撃することで知られている。また、ボクシング大国であるメキシコの超一流の選手に度々勝利したことでも知られる。以下の選手は、パッキャオが勝利した有名選手である。
タイトルを獲得していない階級においてもその階級をスキップしたのではなく、非タイトル戦の契約体重マッチで、世界チャンピオン級の強豪ボクサーとの対決を行っている。世界タイトルの獲得と防衛よりも、階級にこだわらず強いボクサーとの対戦を優先するキャリアを選択した。
来歴
マニー・パッキャオは1995年1月22日にライトフライ級のボクサーとしてプロデビューした。地元フィリピンで一度の敗北を除いて連勝を続け、1997年6月26日にOPBFフライ級王座を獲得。1998年5月18日には、OPBF王者として来日し寺尾新と対戦した(結果は1RKO勝ち)。寺尾戦の次に、チャチャイ・ダッチボーイジム(タイ)の持つWBC世界フライ級王座に挑戦。8RTKOで初の世界王座を獲得した。
パッキャオが世界的に名が知られるようになったのは、マルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)に勝利してからである。当時、圧倒的に知名度があったバレラに、世界王座の獲得経験があったといはいえ無名に近いフィリピン人がKOで勝利したことは多くの人を驚嘆させた。
次の試合では、これまた強豪のファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦。マルケスの持つIBF・WBA統一世界フェザー級王座に挑戦したが、引き分けに終わった。しかし、マルケスから1Rに3回もダウンを奪ったことにより、パッキアオは有名になった。
スーパーフェザー級に階級を上げると、2005年3月19日に、WBC・IBA世界スーパーフェザー級王座決定戦で、「恐怖の男」の異名を持つエリック・モラレス(メキシコ)と対戦。試合は12R判定負けだったが、王者を度々追い詰めた。2006年1月21日にモラレスと再戦。自身の持つWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座を賭けて闘い、10RTKOで今度こそ勝利した。同年7月2日に、オスカー・ラリオス(メキシコ)と対戦。12R判定3-0で下し2度目の防衛を果たし、11月18日にモラレスと3度目の対戦を行った。結果は3R2:57TKOで勝利し、今度こそ引導を渡すことに成功した。
2007年10月6日に、バレラと再戦。12R判定3-0で下し、またもや超強豪のメキシコ人に勝利すという快挙を成し遂げた。
2008年3月14日にマルケスと再戦。マルケスの持つWBC世界スーパーフェザー級王座に挑戦し、12R判定2-1で辛くも勝利し、3階級制覇に成功した。さらに階級を上げ、6月29日にデビッド・ディアスの持つWBC世界ライト級王座に挑戦。試合は、パッキャオの一方的なペースで進み、9RKOで勝利し、4階級制覇に成功した。12月6日には、世界6階級制覇に成功したオスカー・デ・ラ・ホーヤ(アメリカ)とノンタイトル戦で対戦。デ・ラ・ホーヤはスーパーフェザー級出身ながら世界ミドル級王座も獲得したこともある超強豪選手だった。しかし、試合はパッキャオがデ・ラ・ホーヤを圧倒。9R開始直前のインターバル中に、デ・ラ・ホーヤのセコンドが試合の続行は不可能と見てレフェリーに試合放棄を宣言した。
2009年5月2日、ラスベガスのMGMグランドで開催された「The Battle of East and West」で、リッキー・ハットンと対戦。1Rに2回もダウンを奪うと、2Rにはボディへのフェイントから放たれた左フックでアゴを打ちぬきKO勝ちした。なお、この試合はIBO世界ライトウェルター級タイトルマッチであり、同時にリングマガジン同級王座もかけられていた。
11月14日、WBO世界ウェルター級王者ミゲール・コットとのタイトルマッチをMGMグランドで行う。序盤はコットのペースであり、パッキャオも何発か被弾する。しかし、3Rに右ストレート、4Rにカウンター気味の左アッパーでダウンを奪うと、後はパッキャオのペース。8Rにコットが肩を痛めると同時に顔面に二発ストレートを受けて鼻骨を骨折すると、コットの心が折れたのかパッキャオの猛攻に逃げたと取られかねないアウトボクシングを行う。そんな姿を観て観客は大ブーイング。そして12ラウンド。パッキャオの右ストレートがヒットすると、レフェリーはこれ以上は無理として試合を止めた。このTKO勝利によって、5階級制覇、フライ級から数えて9階級目での勝利となった。なおこの試合にはWBCダイヤモンドベルトもかけられており、WBC世界ウェルター級ダイヤモンド王座も獲得している。
2010年11月13日、一度のWBO世界ウェルター級防衛をはさみ、WBC世界スーパーウェルター級に階級を上げ、挑戦。身長差リーチ差、ともに10センチ以上のアントニオ・マルガリートと対戦。序盤から切れのあるフットワークやコンビネーションで圧倒し、12Rにはダウン寸前にまで追い込み、3-0で判定勝ち。相手のマルガリート選手は顔面骨折を負った。この試合の勝利により、世界で2人目となる6階級制覇を達成した。なお、フライ級から数えると10階級目となる。
その後もキャリアを重ね続け、ついに2015年5月2日にWBA・WBC世界ウェルター級王者であるフロイド・メイウェザー・ジュニアとのビッグマッチに臨んだ。日本円にして両者のファイトマネーの総額が450億円を超えたボクシング史上最大のビッグマッチといわれたこの試合は終始メイウェザーがパッキャオをコントロールし、0-3の大差判定負けを喫した。会場からブーイングが飛ぶなど世紀の凡戦とも揶揄されもした試合であったが、両者の持ち味が出た高度な技術戦であったことも明記しておきたい。
2016年4月9日に再起戦及びラストマッチとして、過去の対戦成績が1勝1敗のティモシー・ブラットリーとWBOインターナショナルウェルター級王座決定戦として対戦し、7Rと9Rにダウンを奪うなど3-0で判定勝ち。
その後わずか4ヶ月で引退を撤回し、復帰戦の相手としてWBO世界ウェルター級王者のジェシー・バルガスと2016年11月5日に対戦。終始押し気味に試合を進めて3-0で判定勝ちし、3度目となる同級王座を獲得。
その後一度は同級2位のジェフ・ホーンと2017年2月26日に対戦する予定だったが、ホーンの知名度の無さから白紙となり、元WBA・IBF世界スーパーライト級王者のアミール・カーンと交渉を進めて2017年4月23日で試合を行うことに合意したと一旦は発表されたものの、この話も消滅。結局当初の予定通りホーンとの対戦が決定し、2017年7月2日にオーストラリアで対戦することが決まった。
試合予想では圧倒的にパッキャオ優位であったが、屋外でのアウェーの試合に加えてパッキャオのモチベーションや状態が過去最悪レベルであったこと、さらにホーンの体格差を徹底的に生かした攻めに苦しんだ結果、ある程度接戦ではあったものの0-3の判定負けを喫しWBO世界ウェルター級王座の防衛に失敗。その結果、自身のコーチであるフレディ・ローチ氏から「国会議員を続けるなら完全に引退しろ!」と通告を突きつけられ、ファンからも無名のホーンに実質的に完敗したことから冷ややかな目で見られる羽目となった。
上記の影響で、長年のパートナーであったコーチのフレディ・ローチ氏(後に和解し再契約)とプロモーターであったトップランク社(後に円満契約解除)と訣別、新たにアル・ヘイモン氏とプロモーター契約した。
2018年7月25日、再起戦でいきなりWBA王者のルーカス・マティセと対戦、終始圧倒して7RKOで勝利し、再起を飾った。ほぼ9年ぶりとなるKO勝利に加え、ウェルター級では4度目となる王座を獲得。
2019年1月15日、ここ数戦は階級の壁やサバイバルマッチに苦しみ、苦戦や負けが込んでいるものの、元四階級王者である強豪のエイドリアン・ブローナーと対戦。予想はパッキャオ優位ながらも苦戦ならありうると見方があったものの、蓋を上げてみればパッキャオが圧倒。大差判定で勝利し、WBAウェルター級王座の初防衛に成功した。
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