基礎データ | |
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正式名称 | フィリピン共和国 Republika ng Pilipinas Republic of the Philippines |
国旗 | |
国歌 | Lupang Hinirang (最愛の地) |
公用語 | フィリピノ語(タガログ語、国語)・英語 |
首都 | マニラ(マニラ首都圏, Metro Manila) |
面積 | 299,404km²(世界第70位) |
人口 | 約100,617,630人(世界第12位) |
通貨 | フィリピン・ペソ(PHP) |
概要
大小あわせて7000以上の島からなる島国で、面積、人口はともに日本の8割ほど。漢字表記では比律賓で、比と略される。
これまで計3回独立した経緯があり、最初の独立『フィリピン第一共和国』は、植民地支配していたスペインとアメリカが争った米西戦争において、独立を認める条件として協力を求めたアメリカの側について勝利した際で、結局アメリカは約束を破り支配を強要、米比戦争になだれ込み敗れたことでアメリカの支配下となる。
2度目の独立『フィリピン第二共和国』は、大東亜戦争において日本がフィリピンからアメリカを駆逐した際のことで、米比戦争後に国外へ追放され日本に亡命していた独立運動家たちの尽力と、彼らに協力していた日本からの助力により、正式に認められた独立が成された。
3度目は日本の敗戦により再びアメリカの植民地下におかれた後、親米派の暫定政府であるフィリピン・コモンウェルスが、戦前からアメリカ側と行っていた交渉の成果によるもので、現在の共和国はその経緯を経て独立した『第三共和国』である。
スペイン植民地時代のプランテーションを発端とする格差が今もなお存在する。また、国を支えられるような主だった産業が長く確立せず、海外への出稼ぎ労働に頼っている状態が続いている。
インフラが十分に整備されていないこともあり、工業化も遅れている。但し近年は海外からの投資も増えつつあり、サービス業や電子部品生産を中心にこれからの発展が見込まれている。
国語はフィリピノ語(タガログ語)。公用語はフィリピノ語と英語。アジア最大のキリスト教国家であり、国民の8割近くがカトリック信者である。
地理
フィリピンは大小合わせて7107の島からなる群島国家である。そのうち人が住む島は1000程度である。主な島は、首都マニラがあるルソン島や、南部のミンダナオ島、第2の都市セブがあるビサヤ諸島などである。
日本と同じく、火山の噴火や地震が多い。スプラトリー諸島(南沙諸島)で中国などとの領土問題を抱えている。
経済・産業
フィリピンの主な産業は農林水産業である。砂糖、ココナッツ、バナナの生産国として有名である。また、電子製品や半導体などの生産も盛んである。
公用語が英語であることからコールセンター業務やソフトウェアのプログラミングなどのアウトソーシング産業も成長している。
また、出稼ぎ大国としても有名である。海外労働者からの送金はフィリピンの重要な外貨獲得手段となっている。
第二次世界大戦後のフィリピンは東南アジアで最も裕福な国であった。しかし1960年代以降、フェルディナンド・マルコス政権の独裁により海外からの投資が伸びず経済成長は他のASEAN諸国に比べ停滞し、現在は後発のタイ、マレーシアなどの後塵を拝している。
近年のフィリピン経済は好調であり、2013年のGDP成長率は7.2%と東南アジアの中でも高い成長率となっている。
文化
フィリピンはアジア文化、ヨーロッパ文化の両方の影響を受けているが、特に植民地時代のスペインの影響は宗教や名前などに影響を与えている。祝日もイースターなどカトリック教会に関するものが多く存在する。
フィリピン人は食事の回数が多く、1度に少ない量の食事を1日に4~5回食べるといわれる。フィリピンの伝統料理として有名なものに、お祝い事の際に食べられるレチョン(子豚の丸焼き)や家庭料理の代表であるアドボ(煮込み料理)、ルンピア(フィリピン風春巻き)などがある。
スポーツ
旧宗主国であるアメリカ合衆国の影響からバスケットボールの人気が高く国民的スポーツとして愛好されている。
同じぐらいにボクシングの人気が高くマニー・パッキャオをはじめとして中軽量級を中心に名チャンピオンを数多く輩出している。
また、ビリヤード、バドミントン、サッカー、バレーボールの人気も高い。
日本との関係
日本とフィリピンは地理的にも近いことから昔から人の交流も盛んであった。首都マニラには中世から小規模な日本人町があったといわれている。キリシタン大名として有名な高山右近などのキリスト教徒は、日本でキリスト教が禁じられるとフィリピンに移住した。
その後、鎖国政策により一時は交流が途絶えるが、開国後は日本人の移民によって再び交流が盛んとなった。 第二次世界大戦ではそれまで統治していたアメリカに代わってフィリピンを占領した。第二次世界大戦後しばらくはフィリピンでも対日感情が良くなかったが、戦後の賠償や経済協力により、1980年代以降は記憶が薄れるに連れて対日感情も改善し、現在では友好国の一つである。
フィリピンは出稼ぎ大国であり、日本にも多くのフィリピン人(特に女性)が働きに訪れている。さらに1990年代、2000年代にかけて日本人とフィリピン人の国際結婚の増加により、フィリピン人の親を持つ子が多く誕生している。
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関連項目
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