三権分立とは、権力分立原理の一種である。
概要
法律を制定する立法権、制定された法律を執行する行政権、法律の適用について終局的な裁定を下す司法権の三権はいずれもその担い手が別々であり、かつ相互に監視抑制しあうものでなければならないとする原理。
かつてはこれらの権力を君主などの個人や集団が独占していたため、その濫用がしばしば問題となった。こうした中で様々な権力分立の理念が考案され、1748年にフランスの哲学者モンテスキューが自著「法の精神」の中で三権の概念とその分割均衡の必要性を提唱。これが現在の三権分立原理の原点となった。
なお立法権と行政権の関係については議院内閣制か大統領制かで大きく異なる。議院内閣制では行政の長である首相を立法府の多数派が選出し、行政権を担う内閣は立法府の多数派の信任の下でその権限を行使する仕組みになっている。そのため立法府と行政府は基本的に対立せず、両者の権力分立は非常に緩やかである。
他方で大統領制の場合、国民からの直接選挙で選ばれた大統領の支持基盤が立法府では少数派に留まるという事態が生じうる。この場合は立法府と行政府がしばしば激しく対立することになる。権力の濫用を防ぐという点では優れているものの、政治の停滞を招くおそれもあるため、どちらが優れているとは一概には言い難い。
日本は議院内閣制を採用しているため、立法権を行使する国会の多数派と行政権を行使する内閣は同じ政党勢力で構成されている[1]。ただし二院制である都合上、上院にあたる参議院で内閣の支持基盤が少数派に転落し、こちらで立法と行政の対立・緊張が発生することはある(ねじれ国会)。また地方自治体では行政の長である首長を直接選挙で選ぶため、首長と議会の多数派が対立するシーンが見られることもある。
日本の場合
日本では立法権は国会が、行政権は内閣が、司法権は裁判所がそれぞれ保有している。相互の抑制均衡を図るために各機関に与えられた主な権限は以下の通り。
- 国会(立法府)
- 国会(実質的には衆議院)は内閣総理大臣の指名権を持ち、また衆議院は内閣不信任決議を可決させることで内閣に解散か総辞職かを迫ることができる。そのため内閣は国会、特に衆議院の信任無くして存続しえない。
- また国政調査権を行使し、国会に証人を召喚して証言をさせたり、官公庁に資料を提出させたりすることで内閣の監視監督を行うこともできる。こちらは参議院でも可能。
- 裁判所に対しては弾劾裁判を行うことで裁判官を罷免することができる。ただし罷免事由があっても辞職せず罷免判決に至る裁判官はほとんど居らず、戦後7人だけである(大半が犯罪を犯した裁判官)。
- 内閣(行政府)
- 内閣は衆議院を解散して衆議院議員の身分を失わせる権限を持っており、これにより立法府や与党内の対立勢力を牽制するとともに、議会内で少数派に転落した際には選挙による多数派奪回に挑戦することができる。ただ参議院を解散させることはできないため、こちらで少数派となった内閣は対応に苦慮することになる。
- 裁判所に対しては裁判官の任命権を行使することで影響力を及ぼしている。行政権を担う政権党が最高裁判事を選ぶという構造上、政権党(日本の一党優位政党制の下では基本的に自民党)に都合のいい人材が多数を占めるという傾向は避けられず、司法権の独立度が低くなる一因となっている[2]。
- 裁判所(司法府)
- 国会が制定した法律の憲法適合性を審査し、違憲無効判決を下す権限を持つ…が選挙法関係を除いては滅多に行使されることは無い。また違憲判決を下した場合でも国会議員がそれに基づく法律改正に抵抗したり[3]、内閣の判事任命権を利用して判事の構成を少しづつ変更し、合憲判決への判例変更を促す場面も見られる[4]。
- 行政府に対しては、個々の行政機関が行った処分等を行政訴訟の場で審理し、憲法や法律・条例に照らして無効であるとの判決を下す権限を与えられている。
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関連項目
脚注
- *なお当記事の初版~第7版では、当時国会の多数党で内閣を構成していた民主党の菅直人副総理の「国会で多数の議席をいただいた政権党が、立法府でイニシアチブを取るだけではなく、内閣も組織する。あえて言えば、立法権と行政権の両方を預かる」との発言を取り上げ、「中学校の公民で習う三権分立を理解していない」「権力の癒着を宣言」などと非難する内容になっていた。上述の通り議院内閣制の下では立法権を行使する立法府の多数派が行政府を組織するので、政権党が立法権と行政権の両方を預かるという表現は格別おかしなものではない。ちなみに初版~第7班の記事では議院内閣制と大統領制の三権分立の相違点について一切触れていない。
- *外国に目を向けると、アメリカでは政権交代を繰り返すことで結果的に大統領に指名された最高裁判事の党派構成が偏らないようになっており、ドイツでは左右の二大政党が半数ずつ連邦裁判事を推薦して互いに賛成票を投じる旨の合意を交わすことで党派的なバランスを取っている。
- *近年では非嫡出子の相続分格差に対する違憲判決を受けて出された民法改正案に対し、西田昌司ら自民党右派の議員が抵抗し最高裁を非難する一幕が見られた。最終的に西田を始め大半の議員は三権分立を尊重して改正案に賛成票を投じたが、宇都隆史ら一部の議員は自らのイデオロギーを重んじて採決を棄権した。
- *一例を挙げると、1966年の全逓東京中郵事件をきっかけに最高裁が公務員のスト権を一部認めたことを受け、官公労と社共両党の勢力拡大に繋がりかねないと危惧した自民党は司法制度調査会を設置。最高裁判事任命時のチェックを厳しくすることで判例変更を促し、1973年の全農林警職法事件において8対7の僅差で再び全面規制を合憲とする内容の判例変更に成功した。
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