家中義雄殺害事件とは、1923年9月2日から3日にかけて起きた殺人事件である。
この前日9月1日に起きた関東大震災の混乱の中で、聴覚障害者であった「家中義雄」氏が朝鮮人と間違えられて殺害されたもの。
なお、犯罪被害者の実名を掲載することには倫理的懸念点があるが、近年の新聞報道でも本事件の被害者実名を記している記事が存在する[1]ため、本記事でも実名で記載することを選択した。
概要
家中氏は当時21歳の青年で、浅草で住み込みで働いていた。聴覚障害者であり東京聾啞(ろうあ)学校の卒業生で、同校に貞明皇后(大正天皇の皇后)が行幸した際には皇后の前で代表して口話の発声を披露した記録があり、おそらく優秀な生徒だったものと思われる。
だが1923年9月2日の夜、震災からの避難として浅草区新谷町にあった「第一飛行館」というビルにいたところを、「朝鮮人であると誤解された」ために捕らえられ、日本刀で頭や胸を斬られてしまった。その後も数時間経過して日付が翌日9月3日に変わるまでは息があったようだが、加害者らに生存していることを気づかれたために槍で喉を刺され、殺害された。
この事件は犯人が逮捕され裁判も行われたために、法律関係の資料に記録が散見される。1929年に出版されている『法律学説判例評論全集 第14巻 下』(高窪喜八郎 編、法律評論社)や1936年に出版された『判例体系 第19』(啓法会)などの判例書には以下のような裁判記録が記されている[2]。
被告人兩名ハ(中略)家中義雄ヲ捕ヘテ訊問シタル處同人カ聾啞者ニシテ言語通セサリシ爲不逞鮮人ナリト速斷シ之ヲ殺害セシト決意シ他數名ト共ニ針金ヲ以テ縛シアリタル義雄ヲ右飛行館前ノ路上ニ引倒シ携へ居リタル日本刀ヲ以テ同人ノ頭部胸部等ヲ斬付ケ創傷ヲ負ハシメ其ノ目的ヲ遂ケタルモノト誤認シテ其ノ場ヲ立去リ(中略)翌三日午前二時頃右義雄カ前記路上ニ於テ重傷ヲ負ヒ倒レ居ルヲ見不逞鮮人カ蘇生シタルモノト速斷シ之ヲ殺害センコトヲ決意シ「俺カ息ノ根ヲ止メテ遺ル」ト呼ヒナカラ携へ居リタル槍ヲ以テ同人ノ咽喉部邊ニ突刺シ遂ニ同人ヲ殺害シタルモノナリト認定(後略)
現代語訳:
被告人両名は、(中略)家中義雄を捕らえて訊問したところ、彼が聾唖者であり言語が通じなかったために彼が「不逞鮮人」だと速断し彼を殺害することを決意。他数名の者と共に針金を使って義雄を縛り、第一飛行館ビルの前の路上に引き倒し、携えていた日本刀を用いて彼の頭部や胸部を斬りつけて創傷を負わせ、殺害の目的を遂げたと誤認してその場を立ち去り、(中略)翌日9月3日午前2時頃に義雄が路上において倒れているのを見て「不逞鮮人が息を吹き返した」ものと速断して彼を殺害することを改めて決意、「俺が息の根を止めてやる」と言いながら携えていた槍を用いて彼の咽喉部あたりを突き刺し、遂に彼を殺害したものであると認定(後略)
この裁判では執行猶予の付かない有罪判決が出たが、これは類似の自警団が加害者となった事件においては前例がなかったそうであり、1924年4月20日の『法律新聞』は「執行猶予なしの自警団殺人事件判決」として特記すべきこととして報じている。
浅草新谷町(加害者の個人情報のため中略)同区千束町(加害者の個人情報のため中略)の両人は昨年九月二日午後九時頃新谷町一四第一飛行館に避難してゐた同町(被害者関連の個人情報のため中略)聾唖者家中義雄(二二)を言語の通じないため不逞鮮人と思ひ日本刀で惨殺した殺人被告事件は東京地方裁判所判事三部宮城裁判長係りで審理せされて居たが7日午後零時半同部二號法廷で宮城裁判長代理橋本判事北條検事立會ひの上各懲役三年に處せられたが自警團の殺人事件で執行猶豫の恩典のないのは之が初めてである
当時は「不逞鮮人」を見分けるためには「彼らが日本語がうまく話せないことを利用して見分ければいい」というアイディアが流布されていた。聾者であった家中義雄氏は、加害者によって「見分けよう」として行われた何らかの質問がうまく聞き取れなかったか、あるいは質問に回答する際の発音に不明瞭な点があったのかもしれない。
「言葉が不明瞭だった日本人が「不逞鮮人」と誤解されて自警団に殺害された」事件として有名なものには他に、「香川県から行商に来ていた人々が、千葉県の自警団に殺害された福田村事件」「秋田県出身の男性が、埼玉県の自警団に殺害された妻沼事件」「秋田県人と三重県人と沖縄県人の三名の男性が、千葉県の自警団に殺害された検見川事件」などがある。ちなみに、なぜ「朝鮮人だ」と誤解されると「殺害しよう」ということになるのかについては、「福田村事件」のニコニコ大百科記事に記載した時代背景について参照されたい。
なお、この事件については初期の報道が錯綜したようで、新聞記事などで細部が誤って報じられた例があったようだ。例えば「読売新聞」は1923年10月5日の紙面の「オシやツンボが澤山自警團に殺傷 東京聾唖学校の生徒は半數以上生死が判らぬ」という見出しの記事内で、この殺人事件の被害者について「家井義雄(25)」と苗字や年齢を間違って報じている。
また、この事件は聾者の中で語り継がれてきたが、その過程で話の細部が変質したのか、加害者が自警団ではなく「憲兵」に置き換わって伝えられている例もあったとのことである。
関連リンク
- 『日本聾史学会 報告書』第10集 第14回 東京大会 - 日本聾啞史研究会

(本記事の少なくない箇所は、上記リンク先からPDFをダウンロードできる、當間正敏による研究レポート「関東大震災における聾者殺害事件再検証」に依拠している) - 関東大震災で殺された聴覚障害者 生死分けた「15円50銭」の問い:朝日新聞
- 不安の中で:朝鮮人と疑われて斬殺された21歳 聴覚障害者に起きた災害時の悲劇 | 毎日新聞
- 関東大震災・不安の中で:/中 聴覚障害者を誤認虐殺 受け答えできず、朝鮮人と疑い | 毎日新聞
関連項目
脚注
- *本記事「関連リンク」の毎日新聞記事などを参照
- *書籍によっては加害者や被害者の個人名を伏せているものが多いが、『法律学説判例評論全集 第14巻 下』では個人名がそのまま掲載されている。本記事では被害者の氏名のみ掲載することとする。
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