死せる孔明、生ける仲達を走らすとは、「既に亡くなった人物が生きている人に影響を与える」ことを指す故事成語。
原文は「死諸葛走生仲達 (死せる諸葛、生ける仲達を走らす)」だが、日本では「死せる孔明、生ける仲達を走らす」のほうが良く使われる。
概要
既に亡くなった人物が、生きている人に影響を与えること。例えば、「先代の社長であったらどうしただろう」と当代の社長や先代の側近だった者が考えたり、「父があなたのことを良く言っていました」といってその子が助けを差し伸べてくれる、といったようなことを意味する。原典的には影響を与えた人は敵・ライバルであるが、実際の用法では恩人などの親しい人物であることが多い。
由来
由来となったのは中国の三国時代、つまり『三国志』で有名な蜀漢 (以下、蜀) の諸葛亮と曹魏 (以下、魏) の司馬懿の戦いである、五丈原の戦いである。なお、「孔明」は諸葛亮の字、「仲達」は司馬懿の字である。以下は『十八史略』より。
亮病篤。有大星、赤而芒、墜亮營中。未幾亮卒。楊儀整軍還。百姓奔告懿。懿追之。姜維令儀反旗鳴鼓、若將向懿。懿不敢逼。百姓爲之諺曰、死諸葛、走生仲達。懿笑曰、吾能料生、不能料死。
諸葛亮は病身であり、ある日ついに陣営のなかで亡くなった。そのため、蜀軍は撤退することを決めたが、地元の人はそれを司馬懿に伝えた。司馬懿は当然追撃しようとしたが、蜀の姜維 (蜀の将軍) がこれに対して楊儀 (蜀の幕僚) に反撃の構えを取るように勧め、蜀軍は楊儀の命令のもと陣太鼓を叩き、いかにも魏軍を迎え撃ちますよというような構えを見せた。
これに対して、諸葛亮に散々辛酸を嘗めさせられた司馬懿は「もしかしてまだ諸葛亮は生きているのでないか」と訝しみ、それ以上の追撃をせずに去った。これを見た地元の人達は、「亡くなった諸葛亮が、生きている仲達将軍を走らせた」と言いはやした。
後に部下から「こんなことを百姓どもは言ってますよ」と言われた司馬懿は笑いながらこう答えた。「生きている者の相手は得意だが、死んだ者の相手の仕方は知らないな」と。
『三国志演義』では諸葛亮は死んだときに備えて自分の木像を作らせており、司馬懿がそれを見て肝をつぶしたことになっている。
とはいえ、司馬懿がただ笑い飛ばしたというのもふたつの理由がある。1つは自分をとことん苦しめた稀代のライバルに対する称賛。死んでなお自分の計略を破ってくるのだから、そんな名軍師を称えるしかないだろう。
そしてもう1つは、どっちみち司馬懿の (というより魏の) 勝利で終わっているからである。五丈原の戦いは蜀の漢室復興という悲願の元、魏を攻める「北伐」という軍事行動からくる戦争であり、司馬懿は我慢強く蜀に対峙しつづけた。諸葛亮は病身であり後がない為、国力で上回る魏に守りに入られるとどうしようもなく、レディースの服を送りつけて「全然攻めてこないとかお前は女の子か?」と司馬懿を挑発するにまで至っている (なお司馬懿はブチギレはしたものの、そんなことをするほど諸葛亮には余裕がないことを見破って却って守りを継続してしまう) 。
そして諸葛亮が亡くなった以上、もはや国力でも魏に劣る蜀には勝ち目はなくなってしまった。だからこそ司馬懿はこう答えたのだろう――今の蜀 の相手は得意だが、稀代の天才 の相手の仕方は知らないな、と。司馬懿は諸葛亮には勝てなかったかもしれないが、蜀には勝っているのだ。
やがて司馬懿の子や孫は蜀を完全に滅ぼし、呉も滅ぼし、それどころか仕えていた魏さえ禅譲させて『晋』を建国。司馬懿こそが三国志の勝者になるのであった。まあ子孫によってその『晋』も滅びるんですけどね
関連リンク
- 十八史略 死せる諸葛生ける仲達を走らしむ - 寡黙堂ひとりごと
- 『死諸葛走生仲達(死せる諸葛、生ける仲達を走らす)』 書き下し文・現代語訳(口語訳)と文法解説 / 漢文 by 走るメロス |マナペディア|
- ええっ!成功事例もあった孔明の女物の衣服を贈る計略 - はじめての三国志
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関連項目
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