蛭子能収(えびす・よしかず)とは、一応は日本の漫画家である。
概要
1947年、熊本県天草市に生まれる。その後長崎県長崎市で育つ。
高校時代に美術クラブに入部。そこでグラフィックデザインに興味を持ち、卒業後に地元の看板店に就職する。
この頃から看板店の同僚と漫画同人誌を制作するなど創作活動を始め、つげ義春の「ねじ式」に衝撃を受けた蛭子は1970年に「大阪万博を見に行く」と嘘をついて無断で上京する。
上京後は別の看板店に就職し、一時は映画監督にも憧れてシナリオ学校に通ったものの挫折。漫画の持ち込みを始め、1973年に「月刊漫画ガロ」で漫画家デビュー。
しかし、デビュー当初は全く売れず、ダスキンの営業マンに転職し糊口をしのいだ。1970年代末から活動の場をエロ劇画誌や自販機雑誌に移してから「ヘタウマ」な絵で一部の注目を集め始め、ダスキンを退職し漫画家として独立。
一方、その頃に柄本明に劇団のポスターを依頼されたことで知りあい、蛭子もその劇団で役者として活動し始める。それに目をつけた「笑っていいとも!」に蛭子が出演するようになってからテレビでの活動が増え、バラエティ番組やテレビドラマの出演が増える。以降はテレビタレントとしての活動もメインとしていく。
ドラマの本番中だろうが葬式だろうがいつも笑っている。「笑っちゃいけないという空気に笑っちゃう」とのこと。
かなり独特の倫理観の持ち主。裁判員制度について「行くのがめんどくさいから反対」という本音を堂々と語っていたり、自著では痛烈な世相批判を展開したりと結構黒い。
有吉弘行曰く「こんなクズ日本になかなかいない」らしい。
でも娘さんはかわいい。
2014年11月、軽度認知障害を患っていた事が明かされた。息子の一郎が一年前から父の物忘れがひどい事を気にしており、検査の結果判明した。好きなギャンブルのひとつである手と頭を活用する麻雀を実は止めていた事も発症の原因の一つとされる。
ギャンブル好き
競馬・競艇・パチンコなど熱狂的なギャンブル好きとしても知られる。
特に競艇はファンの間でも色んな意味で伝説になっているほどの競艇通である。
最近は「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」でのフリーダムっぷり活躍が認められ、バラエティ番組やCMでの露出が再び増えている。
まさかの生放送コミュニティ
2011年5月にユーザー生放送を行い、生主デビューした。
コミュのサムネが死んでるみたいとか言わない
主にニコニコ本社や長崎の自宅などで生放送される。
放送中に飽きちゃったり眠くなったりとフリーダムだがどうか生温かく見守ってください。
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関連項目
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