やしきたかじん 単語

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ヤシキタカジン

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やしきたかじんとは、関西人、歌手会者、コメンテーターである。

)1949年10月5日- 2014年1月4日

概要

東京の人にとっては、あまり知られていない芸能人かもしれないが、逆を言えば「東京以外は見たことあるかもしれない。関西では嫌でも見る。」と言う人物。
実際、「たかじんのそこまで言って委員会」では甲信越地方よりも西にあるほとんどの都道府県で視聴する事が出来(沖縄県を除く)放送エリアにおいては、首都圏に近接する山梨県にまで勢力を伸ばしてる他、北海道宮城県秋田県でも放送されている。

また、BPOPTAなど表現の規制摘するクレーマー団体を一切恐れず、自身が思った事や感じた事をそのまま番組内で喋る、好き嫌いがハッキリ分かれて、決して万人受けする芸ではなかった。

また、関東地方では「たかじんnoばぁ」がかつて放送されており、現在でも「そこまで言って委員会」は(東京を除く)関東独立局で放送されており、生前はレギュラー番組が軒並み高視聴率を出すことから「浪速の視聴率男」という異名で呼ばれていた。

また、たかじん自身が「東京TV局嫌い」を言しており、その理由に

  • 「ハミ出し者を嫌う」
  • 「組織の歯車める、在マスコミの体質」
  • 「本当のことを言うと、すく利権団体から抗議が来る気質」
  • 「徒党を組まずに一人で動いても、何も出来ない『利権』」

    であることなどを挙げている。ただし「東京が嫌い」という訳ではなく、銀座など飲み屋にフラッと立ち寄ってお酒を飲んでいる姿をよく撃されていた。

関西TV番組に冠番組(たかじん胸いっぱい、たかじんのそこまで言って委員会)があるが一、在阪のテレビ局の中で「朝日放送」のみ、32年間にわたり出演しなかった。その理由は、19881992年放送していた関西ローカルワイドショー晴れ時々たかじん」の番組終了慰労パーティーの席で、(朝日新聞社からの天下りで来ていた)朝日放送局長が言った、「なぜこんな番組が視聴率を取るのかわからない」という発言に激怒
たかじん自身が「役人・官僚天下り体質」を嫌っていたのもあり、「朝日放送での仕事は、死ぬまでしない。」と断言。これ以降ABCとはの仲となり、亡くなるまでレギュラー番組を持つことはなかった。(因みに同じく官僚気質の強い、NHKのことも毛嫌いしていた。)

歌手としての代表曲は「やっぱ好きやねん」「東京砂の十字架」(劇場版機動戦士ガンダムⅠテーマ曲)など。

自身最大のヒット曲は「東京」が60万枚以上を記録し、1994年全日本有線放送大賞では審員特別賞を受賞している。ただ、良くも悪くも「大ヒットした」と言えるのは本人が「人生最大の汚点」と言及して避けている「砂の十字架」を除くとこの1曲だけであるため、自身のコンサートでは「もう『東京』歌ってしもうた、最後に歌う歌がない、もっとヒット曲がほしい」などど自虐ネタに走ることも見られる。

他の受賞歴は日本放送演芸大賞・ホープ賞(1986年)、上方お笑い大賞・審員特別賞(1993年)。上方お笑い大賞受賞が内定していたのだが、「歌手お笑い大賞を受賞するのは「本職の芸人に対して申し訳ないし、シャレにならない」という理由で辞退したため、審員特別賞の受賞となった。
無論、特別賞であっても歌手が受賞するのは異例中の異例であった)

砂の十字架」に関しては、発売までの経緯で揉めたためにあまり好きではないと長年語っていた。
(近年では以前よりも嫌悪感がくなっている様である)
冬のソナタが大ヒットしているときに、日本語版のソナ主題歌を発売したが、まったく売れなかったという。

本業である歌手活動をしばらく休業していたが、'08年には松山千春大阪に招いて、復活コンサートを行い2009年からはコンサート活動開始と60歳を迎えてなお、躍動的な動きを見せていた。

ちなみにたかじんのコンサートは、「歌よりもトークに多く時間を割く」ことで知られており、その配分はおおむねトーク6割:歌4割である。2曲歌う毎に30分前後のトークを挟み、終盤のアンコールでまとめて歌う構成が通常で、「コンサート」ではなく「独演会」とイジられることも度々あった。

50代に入ってから病気を患うことが多くなり、近年では以前よりも健康に気を使っていた。しかし、2012年初期の食がんであること発表。(※逝去後に「実は初期ではなかった」と明かされており、既にリンパ節への転移等が起こっていた。)初めて休養を伴う療養生活に入ることとなる。

その後休養から1年2ヶを経て、2013年3月仕事復帰。精力的に仕事をこなす…かと思われたが、体力の低下が見受けられるため、再び5月に療養に入り再度復帰をしていた。

2014年1月7日・所属事務所が「1月4日に死去した。」ことを表。葬儀はたかじん本人の意向で、密葬で済ませた。僅か1週間前に同じ音楽家で1歳上の大瀧詠一の急逝が報じられた矢先の相次ぐ巨訃報であった。この日まで死を表させなかったのも、生前「正月気分でめでたい時期に、自分の死での間を悲しませてはならない」というたかじん自身の意向であった。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140107-1240967.htmlexit

亡くなる直前まで全テレビ番組チェックを欠かさず、2013年紅白における「綾瀬はるか会ぶり」にもダメ出ししていた。自分が会だった番組の代役を務めていた出演者を病室に呼び出しては、番組へのアドバイスをし、共演者を叱励していた。

亡くなった直後に20年来の友人であったタレント洋子に「決して自分の訃報を一人で聞かせてはならない。」と夫人に、アフターケアを託すなど、共演者や友人たちへの気配りも忘れない人間であった。死装束には「たかじん胸いっぱい」1000回記念で着用するはずであったスーツが選ばれには、生前好きだったお酒「オーパスワン」と「し棒」が納められたという。

なお生前から担当していた、レギュラー番組は今後も「たかじん」の文字を外さない方針を示しているほか、「いつ、たかじんさんが戻ってきてもいいように」ということで楽屋も準備されることになっている。(※この方針は2015年に撤回され、レギュラー番組から「たかじん」の名は外されている。) 

関西マスメディアでは「たかじんさん死去」の報道で各地で騒然となり、関西限定で号外が配られたり軒並み追悼番組を放送し、レギュラーコーナーを全て潰して「たかじん特集のみ」の番組もあった。芸人タレントのみならず、宮根誠司橋下徹といった関西出身の著名人の多くもショックを受けた。

最期を看取った夫人によると、最期の言葉は
ちょー飲みに行ってくるわー
だったという。

 

今頃天国(いやあるいは地獄か?)で、三宅久之先生と共に閻魔様と「向こうの世界の今後」について語りながら、佐々木さんが焼いたハンバーガーを食べて、を片手に大暴れしていることだろう。

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