アンダルシア州とは、スペイン南部の州である。
州都はセヴィリア。
スペインの南部を占めており、大西洋と太平洋の両方に面する。
西はポルトガルと国境を接している。
地中海性気候で、晴れが多く、夏は暑く冬も温暖であり、ヨーロッパの中でも屈指の暖かい地方である。
アンダルシア州は少しだけ田舎で、商業や工業の発展が少しだけ遅れている。
主な産業は農業と観光。
農業の特産品は、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ周辺で作られるシェリー酒である。
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラは馬産も盛んで、乗馬用に使われるアンダルシア馬を生産している。
アンダルシア馬は芦毛(白い馬)が多く、スペインや英国やデンマークの王室が好んで採用している。
シェリー酒や馬産については、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラの記事も参考にしてください。
アンダルシア州は観光で成り立っていて、大西洋沿いや地中海沿いの海岸をリゾート地にしている。
大西洋沿いはコスタ・デ・ラ・ルス(光の海岸)と呼ばれ、カディスやウェルヴァなどがある
地中海沿いはコスタ・デル・ソル(太陽の海岸)と呼ばれ、マラガやマルベーリャなどがある。
画像検索すると絵に描いたような美しい砂浜、白い壁の建物がヒットする。
こうした陽光に満ちた暖かい海岸はヨーロッパ北部の人たちにとって憧れの土地で、
ドイツ、イギリス、オランダ、ベルギー、北欧諸国から大挙して観光客がやってくる。
ヨーロッパの北部は5月までが寒くて6月になってやっと暖かくなるような寒い所なので、
スペインの南海岸はまさしく楽園。
アンダルシア州も観光の重要性を理解していて、アンダルシア州観光局という部署が公費を使って
広告を出している。
二輪レースの最高峰であるMotoGPにおいてもこのような広告看板を出し、観光客誘致に努めている。
アンダルシア州の州都はセヴィリアで、マドリッドから高速鉄道AVEが伸びている。
大航海時代にスペインが中南米の植民地へ人を送り出すときは、セヴィリアの港から船を出していた。
(セヴィリアは内陸部の都市のように見えるが、市内を川が流れていて、大西洋とつながっている)
そのせいで、現代の中南米で話されるスペイン語にはアンダルシア州の方言の影響が見られる。
大航海時代はここが経済の中心だった。その頃の富を使って、大聖堂が建設された。
セヴィリアには世界3位の大きさを誇るセヴィリア大聖堂がある。
内部はこのように巨大で、金色に輝き美しい。
大聖堂の隣にはイスラム時代に建てられた高さ98mのヒラルダの塔がある。
また、ここには大航海時代のアメリカ大陸到達で有名なコロンブスの墓がある。
大航海時代が終わるとセヴィリアの繁栄も陰りを見せ、アンダルシア州の他の都市とともに
経済的に低迷していた。
そこをなんとかしようとスペイン政府は万国博覧会の誘致をして、
1992年にセヴィリア万国博覧会が開催されることになった。
1992年というのはスペインにとって特別な意味を持つ年で、
コロンブスがアメリカに到達したのが1492年、
イスラム教国のグラナダ王国が陥落してレコンキスタが終了したのが1492年。
この1492年から500周年を記念して、セヴィリア万国博覧会を開くことができた。
セヴィリア万国博覧会に合わせて高速鉄道AVEも建設された。
高速鉄道AVEが一番最初に建設されたのはマドリッド~セヴィリアの路線で、
セヴィリア万国博覧会の開幕日の翌日に開通した。
アンダルシア州の人には1992年のセヴィリア万国博覧会は特別な思い入れがある。
アンダルシア州南西部にあるヘレスサーキットの1コーナーにはセヴィリア万国博覧会にちなんで
「Expo 92」という名前が付けられている。
アンダルシア州の名物といえば、フラメンコと闘牛である。
フラメンコというのは、要するに、
女の人がドレスを着て格好いいダンスをピシッと決めるものと思っておけば良い。
男性フラメンコダンサーもちゃんと存在するが、女性のダンサーが比較的に多い。
フラメンコについては個別記事のフラメンコも参照してください。
闘牛はかつてスペイン人最大の娯楽だったが、近年はサッカー人気に押され、
「闘牛は残酷である」という動物愛護の声もあり2011年にテレビ中継がとりやめとなった。
このため闘牛の人気は低迷気味だが、アンダルシア州では闘牛の文化が残っている。
特に毎年4月頃に州都セヴィリアで6日掛けて行われるフェリア・デ・アブリル(セヴィリア春祭り)で
レアル・マエストランサ・デ・カバジェリーアという広大な闘牛場にて連日闘牛が行われる。
画像検索しても動画検索しても、闘牛の場面がヒットする。
闘牛については個別記事のマタドールも参照してください。
アンダルシア州は800年間ほどの長い間イスラム圏に入っていた時期があり、
各地にイスラム文化の影響が色濃く残る史跡がある。
グラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータ、セヴィリアのアルカサルが名高い。
いずれも桁外れに豪華な宮殿であり、往時が偲ばれる。
8世紀のイスラム世界の中心地は中東のダマスカスだったが、政争が起きて王朝が替わることになった。
そのとき旧王族の1人が命からがらイベリア半島まで逃げてきて、そこに後ウマイヤ朝を建国した。
後ウマイヤ朝はイスラム世界のもう一つの中心地として繁栄して、世界最先端の科学技術や建築技術や
音楽や美味しい料理がイベリア半島にもたらされた。
米作もこのとき伝わり、バレンシア地方で長く続き、パエリアという郷土料理を生みだしている。
トレドに大規模な図書館が建てられ、アラビア語の文献が多数収集された。
非常に優れた文献ばかりだったので熱心に翻訳され、ヨーロッパ諸国の大学の教材になっていった。
イベリア半島のトレドこそがヨーロッパの学術の中心地だった。
この「イスラム時代のアンダルシア地方の繁栄」をアンダルスという。個別記事あり(→アンダルス)
レコンキスタ(キリスト教徒によるスペインの領土回復)の際もイスラム風の建物は破壊されなかった。
モスク(イスラム教の礼拝所)をそのまま残して看板だけ替えて、キリスト教の教会にした例が多い。
州名の由来はゲルマン民族のヴァンダル族。
もともとヴァンダル族はハンガリーあたりに住んでいたが、5世紀にゲルマン民族の大移動が起こり、
ヴァンダル族もドナウ川にそって西に移動した。
ガリア地方(今のフランス)を経てピレネー山脈を越え、ガリシア州を通ってアンダルシア州に着き、
ジブラルタル海峡を越えてカルタゴ(今のチュニジア)まで到達、そこでヴァンダル王国を建国した。
ヴァンダル王国の影響が残り続けたのがスペイン南部のアンダルシア州だった。
ヴァンダル(Vandal)のvが抜けて、アンダルシア(Andalucía)という名前になった。
アンダルシア州のサッカークラブというと以下のクラブが挙がる。(太字は大百科に記事あり)
上3つが1部リーグ常連、下4つが2部リーグ常連。
セビージャFCとレアル・ベティスの対戦はセヴィリアの街を二分するセヴィリアダービーとなる。
アンダルシア州西部のヘレス・デ・ラ・フロンテーラにはヘレスサーキットがあり、
二輪レースの最高峰であるMotoGPが毎年5月に開催される。
大勢の観客が押し寄せて、大きな盛り上がりを見せる。
このサーキットは冬も暖かいので車両のテスト走行に最適であり、冬のテストにも多用される。
MotoGP関係者にとっては聖地のような存在となっている。
詳しくはヘレスサーキットの記事を参照してください。
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最終更新:2024/05/13(月) 09:00
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