フジヤマケンザン(Fujiyama Kenzan)とは、1988年生まれの日本産の競走馬。
1967年のフジノオー以来28年振り、平地競走に限れば1959年のハクチカラ以来となる36年振りに、日本調教馬による海外重賞制覇を達成した。
早来町・吉田牧場生産、栗東・戸山為夫→鶴留明雄→森秀行厩舎所属。
名前は冠名「フジヤマ」+「剣山(生け花の土台)」、香港では「冨士山」と表記された。
主な勝ち鞍
1992年:中日新聞杯(GIII)
1995年:香港国際カップ(G1)[1]、中山記念(GII)、七夕賞(GIII)
1996年:金鯱賞(GII)
父ラッキーキャスト、母ワカスズラン、母父コントライトという血統。
父は姉にプリテイキャストがおり、全欧2歳チャンピオン・マイスワローと重賞7勝を挙げた米国最優秀古牝馬であるタイプキャストとの間に産まれた超良血馬。しかしデビュー前に屈腱炎を発症し、6歳まで粘ったものの結局未出走に終わる。曾祖母は桜花賞馬にしてテンポイント、キングスポイント兄弟の母親であるワカクモであり、テンポイントらを大叔父に、ワカオライデンを伯父に持ち、血統は非常に優秀である。
父も、そして戦前から牝系を繋いで母も吉田牧場が生産し、種牡馬入りに尽力したカバーラップ二世を血統に含み、まさに吉田牧場の集大成とも言える血統を有する。実に競馬浪漫溢れる血統である。
スパルタ調教で知られる戸山為夫厩舎に入厩したが、当時550kgを優に超える大型馬であったことから、脚部への負担を掛けないためにゆっくりと調整が進められた。当時戸山厩舎の調教助手だった森秀行曰く「デカイ」、とのこと。
1991年の年明けにデビュー。デビュー戦は5着だったが次戦に勝利。しかし骨膜炎を発症し春のクラシックを棒に振る。
復帰は菊花賞も近くなった10月頭。当時まだ500万条件の身だったが900万条件の嵯峨野特別に挑戦すると、ブービー人気ながら逃げ切り勝利を収める。菊花賞を目標に嵐山S(菊花賞と同コースの1500万下)に臨んだが2着に敗れ、菊花賞は賞金不足で除外対象となる。
しかし、直前で回避馬が出たことにより出走を叶え、8番人気に反発するように3着に好走。更にジャパンカップ、有馬記念と連続出走したが8着、10着と惨敗。因みにこの時まだ1500万条件馬である。
年明けの自己条件戦を快勝しオープン馬となる。続くダイヤモンドSでは8着に敗れるも、距離を短縮した中日新聞杯を勝利。球節を痛めて8ヶ月の休みを挟んだ後のオープン特別も勝利したが、有馬記念では14着に大敗。
有馬記念の後、再び8ヶ月以上の休養を挟むことになったが、管理調教師だった戸山為夫が癌により逝去すると、騎手時代に戸山厩舎に所属していた鶴留明雄厩舎へと移籍することとなった。8月に復帰すると関屋記念で2着に入り、続く函館記念で4着に入った。
9月に戸山厩舎の調教助手だった森秀行が厩舎を新規開業し、戸山厩舎に所属していたレガシーワールドらと共に森厩舎へと移籍することになった。森は戸山厩舎の主戦騎手だった小島貞博や小谷内秀夫を鞍上に起用しない事を発表し、10月の福島民報杯2着を最後に、今まで主戦を務めた小島貞博は降板となった。
以後鞍上がコロコロ変わりつつも、1994年のAJC杯と中山記念を連続2着するが今一勝ちきれないレースが続き、一転して交流競走である帝王賞に出てみたが最下位に沈む。
安田記念を11着に敗れたが、新たに主戦騎手に据えられた蛯名正義が本馬の才能を更に開花させた。
夏のオープン特別を2戦連勝した後、レコード決着となった毎日王冠にて2着に入る。しかし天皇賞とジャパンカップでは8着以下に沈み、やはりGIでは苦戦した。
ここで香港にて行われていた招待競争が、新たに「香港国際競走」として装いを新たにし、更にJRAは海外遠征にて好成績を挙げた場合褒賞金を交付する旨を発表。元々海外遠征に積極的な意欲を持っていた森はフジヤマケンザンを香港国際カップへと出走させた。レースでは後方から良く追い込んだものの勝ち馬から3馬身離された4着となった。
1995年、既にフジヤマケンザンは7歳となったが、本領はここからである。
年始は中山記念からスタートすると、外から伸びてきたサクラチトセオーと競り合い、ゴール前でクビ差抜け出して半年ぶりの勝利を収める。次戦には再び香港へ遠征、クイーンエリザベス2世カップに出走するが伸びを欠き10着に敗退。宝塚記念も11着と、やっぱりGIじゃ足りないのかなあ。
夏の福島、七夕賞を58.5kgの重ハンデをいとやせず4分の3馬身突き放し、カブトヤマ記念4着を挟んでオープン特別を勝利。今年も香港国際カップへと歩みを進めた。
本番では12頭立ての8番人気。スタートが切られると先行し、道中は好位をキープ。直線に入ると先頭に立つヴェンディクアトロフォリを力強い伸び脚で差しきり、4分の3馬身差を付けて勝利。ハクチカラ以来36年ぶりとなる、「日本調教馬による海外重賞制覇」を達成した。因みに本馬と帯同して香港に向かったドージマムテキは香港国際ボウル5着に、タニノクリエイトは香港国際ヴァーズ4着に入っている。
この香港国際カップ優勝が決め手となり、1995年の最優秀父内国産馬に選出された。
ハクチカラやフジノオーが現地の厩舎へ預ける、ほぼ転厩に近い形だったのに対し、本馬は森厩舎のスタッフと蛯名騎手の調整を受けた、言うならば「日本」のチームで勝ちを掴んだことに大きな意義がある。森も蛯名も、二度にわたる香港遠征があったからこそ三度目の正直を成した事を述懐する。
翌年も現役を続行し、中山記念こそ敗れたが続く金鯱賞を勝利、宝塚記念では5着と間違いなく中距離路線の一角にはなれる実力を身につけていたが、レース後故障が判明。引退となった。
通算成績38戦12勝、重賞5勝で獲得賞金は5億円を超えており、誰がどう見ても名馬である。因みに8歳時の金鯱賞の斤量はGI競走優勝馬として59kgになっている。当時の香港国際カップの国際格付けはG2だったが、王立香港ジョッキークラブが発表する公式格付けはG1であり、日本では公式に合わせている[2]。また、8歳馬による中央平地重賞制覇という中々に達成困難な記録も持っている。しかも59kg背負って。
引退後32頭の産駒が競走登録されたものの、特に目立った成績は無い。数年間静岡県の乗馬クラブで乗用馬として働いていた所、2005年に有志が「チームケンザン友の会」を結成し、故郷の吉田牧場で功労馬として余生を送ることになった。2016年4月に老衰により死亡。28歳だった。
彼を知る森や蛯名は、口を揃えてフジヤマケンザンを「大人しくて、賢くて、優れた精神力を有する良い馬だった」と語る。森や蛯名、そしてフジヤマケンザンとスタッフの積み重ねた努力とノウハウは、三度目の正直という形で結実した。現在、香港国際競走はお馴染みとなったが、それに至る過程にはフジヤマケンザンという偉大なる大山の存在があったことを、記憶の片隅にでも良い、覚えてもらえたら幸いである。
ラッキーキャスト 1979 鹿毛 |
*マイスワロー 1968 鹿毛 |
Le Levanstell | Le Lavandou |
Stella's Sister | |||
Darrigle | Vilmoray | ||
Dollar Help | |||
*タイプキャスト 1966 鹿毛 |
Prince John | Princequillo | |
Not Afraid | |||
Journalette | Summer Tan | ||
Manzana | |||
ワカスズラン 1982 鹿毛 FNo.3 |
*コントライト 1968 鹿毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
Singing Grass | |||
Penitence | Petition | ||
Bootless | |||
オキワカ 1972 栗毛 |
*リマンド | Alcide | |
Admonish | |||
ワカクモ | *カバーラップ二世 | ||
丘高 | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Count Fleet 5×5(6.25%)
JRA賞最優秀父内国産馬 | ||
優駿賞時代 | 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー | 1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン |
|
JRA賞時代 | 1980年代 | 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン |
---|---|---|
1990年代 | 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー | 1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン | 1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード |
|
2000年代 | 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当馬無し※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル | 2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス | 2007 ダイワスカーレット |
|
※1.該当馬無しを除く最多得票馬はナリタトップロード。 | ||
競馬テンプレート |
掲示板
2 ななしのよっしん
2022/09/23(金) 09:34:44 ID: HyDDLXWIx3
吉田重雄氏が2001年に死去したときアメリカの Blood Horse が「あのフジヤマケンザンを生産した吉田重雄氏」って特集してたのが印象的だった
3 ななしのよっしん
2022/11/29(火) 20:09:11 ID: 659YWiMDvX
今でも実家にフジヤマケンザンのぬいぐるみが鎮座している。血統の背景はロマンを感じるし、観戦しに行った七夕賞で眼の前で勝ってくれたし個人的には一番好きな日本馬。
4 ななしのよっしん
2024/05/17(金) 17:01:51 ID: O+HSXQEnq0
ケンザンが地盤を改良し、プレストンが作った土台
その上に香港遠征する後輩は立っているのだなぁ
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最終更新:2025/04/28(月) 21:00
最終更新:2025/04/28(月) 21:00
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