モブキャップ(英語:mob cap)とは、柔らかい素材でできた、頭をすっぽりと覆う帽子の一種である。
主に綿や亜麻による薄い布地(リンネル、キャンブリック、モスリン等)で構成されていた。薄手なので基本的には屋内向けであり、上に屋外用帽子(hat)を重ね着することもあったようだ。つばの部分はひだ状になっていた。
当時は女性が日常的に身に着ける帽子として一般的な存在であったようだが、紆余曲折を経て次第に廃れていった。
しかし現在でも、主に医療・食品衛生・精密機器などの職業現場において、髪やふけなどを落とさない目的のために使用されている。
17世紀には既に原型が認められるとも言われているが、広まったのは18世紀とされる。初期(1750年ごろまで)の形態は両脇に下垂れが付いており、これを顎の下で結ぶ形式だったという。当初は農業や家事などの仕事に伴う頭髪の汚れを防ぐ役割のある主婦の実用品であったとされるので、頭髪を包みしっかりと固定する役割があったものか。
この頃は主に、単に帽子を広く表す言葉「bonnet(ボンネット)」と呼ばれることが多かったという。
(なお現在日本語で女性用帽子「ボンネット」と言えば、「前にだけつばが大きく張り出した」「顎の下で紐を結んで固定する」「装飾性の高い帽子」を意味することが多い。しかしこれらの特徴は、本来は「19世紀頃の女性用ボンネット(poke bonnet)」の形態に限ったものであるようだ。現在、日本語以外での「bonnet」はこの形態の帽子のみを指す言葉ではない。
「ロリータファッション」や「ゴスロリファッション」などが発展する過程において中世以後の西欧衣装を参考に取り入れたようだが、結果として日本では19世紀頃のボンネットを指すその用法のみが広まったという事か)
その後、徐々に実用だけではなく装飾の比重も増していったようである。1750年ごろを境に、顎の下で止めるのではなく頭部全体をふんわりと覆うのみの形となった。また、つばがフリルで仕上げられたり、飾りとしてのリボンが巻かれていることが一般的になっていった(例:この時期に活躍した画家「Charles Sillem Lidderdale」の英語版Wikipedia記事。作品例のうちいくつかで、「頭をふんわりと覆いリボンを巻く」というこの時期のモブキャップを被った姿の女性が描かれている)。
それに伴い着用者も変化していった。初期のように労働者階級の主婦のみではなく、中流以上の階級の女性も身に着けるようになっていったという。
後述の「フランス革命が語源」という説が正しければ、この形態になってから初めて「モブキャップ」という名称が付いたとも考えられるので、狭義にはこれ以後のものだけを「モブキャップ」と見なすこともできよう。
サイズも変遷していき、最初は頭にフィットしていたが徐々に大きくゆるく頭を覆うようになり1780年頃に最大化、それ以後は再度徐々に小さくなっていったという。
また、比較的シンプルなものは寝間着の一部、すなわちナイトキャップとして用いられた(童話「赤ずきんちゃん」の絵本では、おばあさんに変装してベッドで待ち受ける狼が被っている事が多い)。これはフランスでは「dormeuse(ドルムーズ)」とも呼ばれる。これは眠る者、等を意味する女性名詞で、「寝台」や「寝台車」など、眠りに関係するものに幅広く使用される単語である。男性名詞形は「dormeur」。
この頃には既に、幼い少女もモブキャップを被っていた。モブキャップをかぶった4歳の少女、「ペネロピー・ブースビー(Penelope Boothby)」の肖像画がJoshua Reynoldsによって描かれたのは、1788年の頃である。この肖像画が与えた影響については後の「19世紀以後」の項で述べる。
「モブキャップ(mob cap)」という名前の語源としては、「フランス革命期に蜂起した貧しい民衆・暴徒(mob)の中の女性たちが多く被っていたからだ」と言われることがある。しかし上記のようにフランス革命以前の18世紀上旬にも「mob cap」と呼ばれる帽子が使われているため矛盾しており、この説の信憑性は今ひとつではないだろうか。
そもそも帽子を指して「cap」と呼ぶのは英語であってフランス語ではないので、フランス革命が語源と言う話は何とも不自然である。17世紀ごろの古い英語では「mob」と言う言葉に「田舎の粗野な女」「だらしない、ふしだらな女」と言う意味もあったと言われており、初期は労働者階級の帽子だったことを考えるとこのあたりが語源である可能性もある。
なお「mob cap」が英語であるなら、フランス語ではこの時代のこの形態の帽子を何と呼ぶのか?という疑問が出てくるが、「charlotte」と呼ばれていたようだ。この「charlotte」とは、フランス革命期に要人を暗殺して逮捕され断頭台の露と消えた美女、暗殺の天使「シャルロット・コルデー(Charlotte Corday)」に由来している。
彼女についての詳細は「シャルロット・コルデー」の記事に譲るとして、彼女はその肖像画のいくつかでモブキャップを被っている(例1,例2
)。そのため、彼女が肖像画で被っているようなモブキャップが「Charlotte Corday」「charlotte」と呼ばれるようになっていった。
また、当時「トリコトゥーズ」と呼ばれる女性たちが居た。これは字義上は単なる「編み物女」という意味であるのだが、フランス革命期でこの言葉が登場した場合はある一部の女性たちを意味することがある。彼女たち「トリコトゥーズ」もやはり、絵画などにおいてモブキャップをかぶっている姿で描かれている場合が多い(例1,例2
)。
トリコトゥーズ(Tricoteuse):政治に関心を持っている下流・中流階級の女性たちで、編み物をしながら議会を傍聴したり、当時の恐怖政治の帰結たるギロチン処刑を見物したりしていた。
当時の恐怖政治の結果であるギロチン処刑に慣れ親しんでいるかのようなその行動から、「ギロチンの傍に侍る女たち」などの蔑称で呼ばれることもあった。時には、女性と政治の関わりを批判する反フェミニズムの理由づけとされることもあった。
革命で華々しく活躍したものの最終的に精神崩壊した事で有名な「テロワーニュ・ド・メリクール(Theroigne de Mericourt)」という女性がいるが、ジロンド派だった彼女はあるときジャコバン派のトリコトゥーズ達に公衆の面前で裸に剥かれて打ちすえられ、その屈辱で精神を病んでいったと言われている。
19世紀に入ると、モブキャップは少しずつ流行遅れなものとなっていった。
英国がヴィクトリア朝の時代(1837年~)に入る頃にはほぼ「前時代的なもの」という扱いになり、老婦人が昔ながらのスタイルとして使用するか、もしくは使用人の女性(所謂「メイド」含む)、看護婦などの職業的制服として着用する程度となり、一般女性が日常の服装として身に着けるものではなくなっていった。
「使用人の服装」としてのこの帽子は、つば・フリルの部分だけが所謂「メイド服」のヘッドドレスとしてかろうじて現代にも面影を残している。本格的な「ヴィクトリアンメイド」の服装を求める懐古的な試みの場合には「メイドキャップ」として再現されることもあるようだ。
また、医療現場で職員が使用する帽子としては、手術室などの特別に清潔を要する場所で髪や髪についているチリなどを落とさないようにする目的で、男女問わず現在でも使用されている。さらに、医療用途以外でも食品製造や精密機械工業の現場などでも利用されるようになった。そういった業界に縁がない人々でも、医療を扱ったテレビドラマや、食品工場見学で目にしたことがあると思われる。
ただし、現在使用されているものは繰り返し利用されることによる汚染を避けるために使い捨て製品であり、また材質も薄手の合成繊維と弾性バンドなどで構成されているため、見た目としては「18~19世紀のモブキャップ」の印象はほとんど残していない。
例外的に、「子供服」としてはヴィクトリア朝に入っても消滅しなかった。これは先に述べた、「ペネロピー・ブースビー(Penelope Boothby)」の肖像画がたびたび引用や再利用され、ヴィクトリア朝時代を通して「少女」のアイコンであり続けたことが影響したと言われている。この大きなモブキャップが印象的な少女画は「The mob cap」とまで呼ばれることもあった。
その流れを汲んで、ヴィクトリア朝後期に懐古趣味が流行した頃には、多くの画家や写真家たちによってモブキャップを被った少女が題材として選ばれた(例1、例2
)。
「不思議の国のアリス」の作者「ルイス・キャロル(Lewis Carroll)」もその一人である。彼が知人の令嬢などの少女の写真を撮影することをライフワークとしていた迷惑な変態であったことは有名だが、モブキャップをクシー・キッチン(Xie kitchin。XieはアレクサンドラAlexandraの愛称。)という少女に被らせて撮影した写真が残っている。
また1879年に画家「ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)」によって「Cherry Ripe」という少女画が描かれたが、この作品もモブキャップを被った少女を題材としており、ペネロピー・ブースビーの肖像画の影響が特に強いとも指摘されている。ミレーは元々有名画家であり、かつ1863年の作品「初めての説教(My First Sermon)」
の人気によって少女画ブームを起こした事もあった。そのためこの「Cherry Ripe」も当時の新聞社に採用されたり、石鹸の缶のイラスト
として利用されたりしてもてはやされ、大衆のイメージに「モブキャップを着用した少女」を浸透させたと言われる。1882年にもミレーはモブキャップを被った少女の作品「Pomona」
を描いている。
こういった流れからミレーとモブキャップを被った少女のイメージが強く結びついたためか、妙なねじれ現象も起きている。1884年にミレーが描いた「Little Miss Muffet」と言う童謡を題材にした少女画はオリジナルはボンネット(上述の「19世紀のボンネット」)を被っているにも拘わらず、それを参考にして描かれたと思われる、別の画家による童謡書籍の挿絵
では「Little Miss Muffet」はモブキャップを被っているのだ。そしてこの挿絵の方が有名になってしまったためなのか、現在モブキャップは別名「Little Miss Muffet cap」と呼ばれることもある。
ヴィクトリア朝の時代に活躍した画家「ケイト・グリーナウェイ(Kate Greenaway)」もまた、モブキャップを被った少女の絵を多く描いている。例えば、1885年の作品で少女と仔羊を描いた「The Ungrateful Lamb」や、1887年の作品でしゃぼん玉遊びをする少女を描いた「The Bubble」
など。
しかし、これらは懐古趣味の創作題材という向きが大きく、日常的な子供服としては別問題であった。後者の面では、やはり現在に至るまでに廃れてしまっている。
これまでの項で紹介した「charlotte」「Charlotte Corday」「Little Miss Muffet cap」などの他にも、様々な別名がある。
アメリカでは、モブキャップが広く用いられた時代は独立戦争前の植民地時代(colonial period)にあたるので、現在から振り返ってこういった形態の女性用のモブキャップを呼ぶ時に「colonial mob cap」などと呼ぶこともある。
また「mop cap」や「round ear cap」などと呼ばれることもあるようだ。
18世紀中旬の一時期、アメリカでは「Ranelagh mob cap(ラネラー・モブキャップ)」という女性の頭部装飾が流行した。
これは「四角い一枚布を対角線で折って頭にのせ、両端を顎の下で結んだ後に首の後ろに回してそこでも固定する」という、いわば今で言えばバンダナやスカーフを頭に巻くようなものであり、明らかにこれまでに述べたような帽子とは異なっている。
しかしこの「Ranelagh mob cap」を指して単に「mob cap」と記載している例もある。
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