モリユウプリンスとは、1989年生まれの競走馬。
「岩手の魔王」トウケイニセイのライバルとして幾多の名勝負を繰り広げた、岩手競馬黄金期を代表する名馬。
主な勝ち鞍
1992年:東北優駿、不来方賞
1993年:シアンモア記念、青藍賞
1994年:みちのく大賞典
1995年:みちのく大賞典、青藍賞、北上川大賞典
1996年:北上川大賞典
※馬齢は旧馬齢表記。また、岩手競馬は1月中旬から3月末にかけての冬季休催期間があるため、この記事では1月のレースに関する馬齢表記は前年度のものとしています。
父はTourbillion系の代表的な種牡馬Luthier産駒のパリ大賞典勝ち馬。ちなみにモリユウプリンスは輸入後2年目の産駒だが、その後も中央オープンを勝つのがせいぜいの馬しか出していない。母系も4代以上前にRibot、Swaps、Nearco、クモハタがいること、そしてビューチフルドリーマー系ってことくらいしか強調材料がない。
3歳夏に岩手でデビュー。3戦連続4着の後4戦目で初勝利を上げるも、重賞をなかなか勝ちきれない時期が続く。
明けて4歳、6月のダイヤモンドカップ(当時は特別競走)を勝つと、続く東北優駿で重賞初制覇。平場を挟んで岩手競馬におけるダービーとして扱われた不来方賞も勝ち、地方ダートの4歳頂上決戦ダービーグランプリへ。地元ながらメンバーが揃ったため4番人気で迎えたこのレース、3コーナー手前からスパートし直線で懸命の追い込みを見せるもトミシノポルンガと安藤勝己の大外直線一気で水沢競馬場がどよめく中4着に終わる。
しかし、モリユウプリンスの名声が高まっていったのはここからであった。
年末年始開催の桐花賞はグレートホープに僅差の2着。5歳を迎えるとシアンモア記念でスイフトセイダイに3馬身つけて快勝。SGと言われライバル視された当時の岩手を代表する両馬相手の善戦から、「SG時代は終わり、これからはモリユウの時代」という呼び声が高まる中、岩手古馬の頂上決戦・みちのく大賞典に臨んだ。
しかしこのみちのく大賞典、あるとんでもない相手が待ち構えていた。
その「とんでもない相手」というのが、終生のライバルとなるトウケイニセイである。
詳しい記述はトウケイニセイの記事に譲るとして、トウケイニセイにとってはこのみちのく大賞典が重賞初挑戦だった。重賞初挑戦という点が不安視されトウケイニセイは2番人気。1番人気に推されたのが3歳時から重賞戦線で戦ってきたモリユウプリンスであった。
レースはケイワンハートとそれに絡んでいったグレートホープが逃げ、トウケイニセイがスイフトセイダイをマークするように4番手から、一方のモリユウプリンスが6番手から進める展開。
3・4コーナー中間あたりからスイフトセイダイは内を突いて、トウケイニセイは抜け出すように、そしてモリユウプリンスは外に持ち出してそれぞれスパートして直線へ。しかし、直線に入り素晴らしい脚を使うトウケイニセイに対し、モリユウプリンスも懸命の脚を見せたが、その背中には届きそうになかった。
衰えながらもロジータに挑んだ意地を見せたスイフトセイダイこそ4馬身振り切るも、トウケイニセイの旧盛岡競馬場としては非常に驚異的な2:03.6・レコードでの圧勝から2馬身半離された2着に終わった。
そしてこれ以降、岩手競馬はスイフトセイダイとグレートホープのライバル関係から、トウケイニセイとの2強時代に入っていく。
しかし、モリユウプリンスはトウケイニセイには勝てない。みちのく大賞典の次戦・トウケイニセイ不在の青藍賞こそケイワンハート以下を軽く捻って勝ったが、トウケイニセイを相手にすると勝てない。東北サラブレッド大賞典、北上川大賞典、南部杯(当時は交流対象が道営・上山・新潟県営・北関東のみ)、桐花賞とトウケイニセイ相手の2着3着が続く。そうこうしている内に、気がついてみれば青藍賞から1年近く勝ち味から遠ざかったまま、みちのく大賞典を迎えた。
このレース、トウケイニセイは他2頭と共に逃げるような展開となり、一方で向正面で早めに動いたモリユウプリンス。4コーナー手前でグレートホープ共々前団に取り付いて直線を迎えると、道中逃げて脚を使いすぎたこともあってか伸びを欠くトウケイニセイを尻目に直線を一気に駆け抜けてゴールイン。トウケイニセイ相手に前年の借りを返す勝利となった。
あのみちのく大賞典以降、またトウケイニセイの2着3着が続いていたが、明けて7歳となる翌1995年の夏に迎えた3度目のみちのく大賞典ではトウケイニセイに再び土をつけて見事な連覇を達成。
またこの1995年は地方と中央の交流が盛んになった年であった。モリユウプリンスも岩手のエースとして、あるいは翌年から開かれる新盛岡競馬場の芝の予行練習として中央・福島競馬の芝レース・吾妻小富士オープンにも出走。結果は15着に終わるも、中央の競馬ファンにも岩手での名声が響いていたためか、このレースでは4番人気を背負っている。
そして中央にも開放され、幾多もの戦績を引っ提げてその中央から殴り込んできたライブリマウントとトウケイニセイの対決が注目された南部杯。モリユウプリンスも当然出走したが、結果は3着トウケイニセイからも1馬身離された4着に終わる。
その後北上川大賞典を勝って迎えた戦友トウケイニセイの引退レース・桐花賞。当然2番人気に推され、戦友に引導を渡す意味でも勝ちたいレースではあったが、戦友が引退の花道を飾る様子を眺める7着に終わる。
翌年も現役を続行。しかし、モリユウプリンスはすでに8歳。ライバルが去ったこともあって気持ちも切れてしまったのか衰えきっており、春は凡走を繰り返す。だが秋になってようやく盛り返すと北上川大賞典を2馬身半差の圧勝。この北上川大賞典で全てを出し尽くしてしまったのか、シーズン最終戦の桐花賞は8着に終わると、岩手のシーズンオフ中に大動脈破裂で急死してしまった。
49戦17勝2着13回。トウケイニセイとは14戦して2着8回含む12敗しているが、同時に2勝している。この他にトウケイニセイに先着した経験のある馬はハルサンヒコーとライブリマウントがそれぞれ1回ずつ。もちろんのことながら、複数回トウケイニセイに勝ったのはこのモリユウプリンスだけである。 90年代の岩手競馬黄金期というと、「魔王」トウケイニセイ、「英雄」メイセイオペラ、「皇帝」トーホウエンペラー、そして彼らの手綱を握った菅原勲の功績ばかりが語られることが多いが、その陰にはこういったライバルの存在があったことも忘れてはならない。
| *ヤワ Yawa 1980 栗毛 |
Luthier 1965 黒鹿毛 |
Klairon | Clarion |
| Kalmia | |||
| Flute Enchantee | Cranach | ||
| Montagnana | |||
| Lucky for Me 1972 鹿毛 |
Apipiani | Herbager | |
| Angella Rucellai | |||
| Lucky Day | Vic Day | ||
| Something Win | |||
| オリーフラワー 1978 栗毛 FNo.12 |
*ラディガ 1969 栗毛 |
Graustark | Ribot |
| Flower Bowl | |||
| Celia | Swaps | ||
| Pocahontas | |||
| テンジンミドリ 1974 鹿毛 |
*ミンシオ | Relic | |
| Merise | |||
| 出鵬 | *アドミラルバード | ||
| エンジエル | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
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最終更新:2025/12/05(金) 20:00
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