横井軍平とは、「ゲームボーイ」「ゲーム&ウォッチ」「十字キー」の生みの親などとして知られる開発者である。
1941年9月10日京都府京都市生まれ。1965年から任天堂に在籍。「ゲーム&ウォッチ」「ファミリーコンピュータ」「ゲームボーイ」などの開発に携わったほか、「ドンキーコング」「バルーンファイト」「Dr.マリオ」「マリオペイント」「パネルでポン」「ヨッシーのクッキー」など様々なソフトのプロデュースも手がけ、任天堂が玩具・ゲーム会社として成長する立役者となった。また、マリオの生みの親・宮本茂の師匠である[1]。
1996年、任天堂を自主退社して株式会社コトを設立。「ワンダースワン」の開発などに関わった。
同志社大学工学部電子工学科を卒業後、当時はいち花札メーカーであった任天堂に入社、工場内の電気設備のメンテナンスの仕事に就く。翌年、暇潰しに余った部品で作ったおもちゃが社長・山内溥の目に留まり、「ウルトラハンド」として商品化。大ヒットを記録する。
その後、新しく設置された開発課最初の課員として任天堂の玩具開発の中心となり、さまざまな商品開発に携わっていく。1979年には空港で暇潰しに電卓を打って遊んでいたサラリーマンの姿にヒントを受けて、世界初の携帯ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」を開発。ゲーム&ウォッチの「ドンキーコング」(1982年)で初めて装備された十字キーを開発したのも横井である。
ファミリーコンピュータ(1983年)の開発や「メトロイド」「ファミコンウォーズ」などのソフト開発・プロデュースに携わったのち、1989年に発売されたゲームボーイを開発。世界で1億台以上を出荷する大ヒット商品を生み出した。
1995年、3Dゲーム機「バーチャルボーイ」を発売するも、プレイステーションやセガサターンに注目が集まる中とっつきの悪さなどから不振に終わり、数ヶ月で姿を消す。なお不振後の引き際の速さや低コストであったことなどから、任天堂の業績への影響は軽微だったとされる(1996年3月期の任天堂の経常利益は約1000億円であった)。
バーチャルボーイの失敗後は、当時売り上げの落ちてきていたゲームボーイの性能向上を図り、「ゲームボーイポケット」が生まれる。ゲームボーイポケットはポケモンブームも手伝って大ヒット。これを置き土産のようにして、1996年、任天堂を退社する。退職理由について「山内社長との不仲」や「VB不振の引責辞任」(本人および任天堂は否定)などが言及されることがあるものの、特に後者については本人および任天堂が否定しており、「50過ぎたら好きなことがしたい」と語っていたこともあるため、自主退職だと思われる。
不仲説については、退職の前後にちょっとした喧嘩状態だったこと自体は複数の証言から事実であると思われる。ただ横井と山内は社長と社員というよりは親子のような関係であったといい、しょっちゅう言い争いはしてもお互いへの信頼あっての上で、実際退職後も山内への恩義を語ることはあっても不満は一度も口にしていない。そんな関係の横井が任天堂を辞めて独立すると言い出したら喧嘩になるのは当然で、不仲だから辞めたというより辞めると言い出したから喧嘩になったのだろう、というのが横井を知る人間の見解である。残念ながら横井は和解する機会を得ることなく亡くなってしまった。
なお、引責辞任寸前までに陥った事はゲームボーイ開発当時、すでにシャープで液晶を量産できる体勢が整っていた際に山内社長から液晶の視認性の悪さを指摘された時だという。この時、シャープ側で製品版で使われた新型モノクロ液晶が完成した為なんとか製品化にこぎつけたが、もしゲームボーイが開発中止になっていたら任天堂ならびにシャープにまで大損害を引き起こすところだったのである。横井は「ゲームボーイは僕の失敗作」「自殺も考えた時もあった」と語っているところからもバーチャルボーイの失敗はゲームボーイ開発時よりもまだまともだったのかもしれない。
その後は株式会社コト(名前の由来は古都・京都から)を設立。いくつかの携帯ゲームや玩具を開発した後、バンダイと共同開発の「ワンダースワン」にアドバイザーとして参加。ワンダースワン用パズルゲーム「GUNPEY」の監修もおこなった。
しかし独立翌年の1997年10月4日、北陸自動車道での追突事故に巻き込まれてワンダースワンの完成を見ることなく死去。享年56歳であった。
横井軍平という人物を語る上で外せないのが、彼の哲学であるこの言葉である。
「枯れた技術」とは、既に広く普及して使いこなされた技術のこと。「水平思考」とは、物事を違った角度から見る考え方のことで、この場合はこれまでになかった別の使い道を考えるということ。
つまり、ありふれた既存の技術(普及しているがゆえにコストも安く済む)を応用し、まったく新しい使い方をすることによって商品を生み出すという考え方である。
ゲーム&ウォッチも、当時シャープとカシオの電卓シェア拡大戦争の余波で過剰生産されていた小型液晶と半導体を、遊びに応用することで生まれたものなのである。
現在任天堂の主力機でありゲーム市場を牽引するニンテンドーDSとWiiも、この考え方を継承して作られたものであると任天堂4代目社長・岩田聡は語っている[2]。
なお余談であるが、2ちゃんねるの携帯ゲームソフト板ではゲーム&ウォッチおよびゲームボーイ開発者である横井氏に敬意を表してか、この言葉をもじった「枯れた名無しの水平思考」がデフォルト名無しになっている。
掲示板
196 ななしのよっしん
2024/04/09(火) 14:49:03 ID: ZYvP09MDoO
>>195
インタビューじゃないけど、本人の肉声付きの動画
雰囲気が宮本茂に似てるよね
https://
197 ななしのよっしん
2024/05/03(金) 14:00:08 ID: urPetBnrtn
今の任天堂はSwitchとかいうゲームボーイの曾々孫のような代物を出してる時点で横井さんを馬鹿にしてるだろ
自殺を考えたくらい作ったのを後悔してる黒歴史ハードの後継機種を持て囃す任天堂は人でなしよ
198 ななしのよっしん
2024/05/17(金) 10:28:25 ID: Qq/kXU7ZRB
>>197
ツッコミ待ちかわからないがなんで自殺考えたのか理由知ってて言ってる?
ゲームボーイは作ったのを後悔して黒歴史化してるのではなく、設計にミスがあってゲームの画面が見えなくなってしまうヒューマンエラーに直前まで気付かなくて結果的に解決法が見つかった為事なきを得たけど解決法見つかったのも偶然だったため危うく任天堂とシャープ共倒れになるところだったからだよ
急上昇ワード改
最終更新:2025/01/18(土) 06:00
最終更新:2025/01/18(土) 06:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。