陽炎型駆逐艦とは、大日本帝國海軍が建造した一等駆逐艦の艦級である。書類上は準同型艦の夕雲型と合わせて甲型駆逐艦という。全十九隻建造。なお、呼称は名前を冠した<陽炎>が沈没後、不知火型駆逐艦と改められている。
吹雪型駆逐艦(特型駆逐艦)、初春型駆逐艦、白露型駆逐艦と駆逐艦を建造していた日本であったが、これらは軍縮条約によって生産や設計に、何らかの制限が設けられており、海軍にとって満足の行くものではなかった。
そこで、軍縮条約の期限が切れた後に、改白露型駆逐艦十四隻の内、十隻の建造を変更し、朝潮型駆逐艦として建造。しかし、これも第四艦隊事件を受けて、設計変更を余儀なくされ結局海軍としては満足が出来なかった。そして作られたのがこの陽炎型駆逐艦となる。つまり、この陽炎型駆逐艦で海軍は満足したわけで有り、実験艦としての面が強い<島風>を除けば、帝国海軍の艦隊型駆逐艦の決定版となった。
新鋭駆逐艦として前線に投入され続け、建造当初は考えられなかった機動部隊や輸送船団の護衛、さらに太平洋の島嶼部への輸送任務に従事したため、艦隊決戦を目的として設計、建造されたための対空・対潜能力の低さも相まって、相次ぐ任務の中で次々と失われ、前身の朝潮型、後継となった夕雲型、更に発展型の<島風>含めても、49隻いた中で、戦後まで残ったのは雪風ただ一隻であった。
ちなみに、第三次軍備補充計画(通称マル3計画)にて最初予算請求したとき、18隻分の予算を国会承認されたにもかかわらず、その金で作ったのは15隻。残りの三隻分はというと、大和型戦艦の不足予算に流用された(厳密には大和型の予算額を減らすことで、大和型の大きさを隠すためである)。
艦名は、気象現象、潮流、風、雲に由来する。
* 艦名かなが現代仮名遣いと当時の仮名遣いで同じものは重複記載を省略。
大日本帝国海軍 一等駆逐艦 艦級一覧 | |
---|---|
戦間期 | 海風型 - 浦風型 - 磯風型 - 江風型 |
峯風型 - 神風型[II] - 睦月型 - 吹雪型(特型) - 初春型 - 白露型 - 朝潮型 - 陽炎型(甲型) | |
戦中 | 夕雲型(甲型) - 秋月型(乙型) - 島風(丙型) - 松型(丁型) |
掲示板
19 ななしのよっしん
2016/12/28(水) 18:07:21 ID: NenFUmUYoj
今日、真珠湾攻撃に陽炎の航海長として参加されていた市來俊男さんのインタビューを拝見したが、某ブラウザゲームで擬人化された陽炎を見てどう思うのだろうか?・・・・恐らくインタビューの内容から推察してみるとご存知の様だったから・・・・
20 ななしのよっしん
2018/03/27(火) 10:27:53 ID: 4/0fJ3VDXv
「忘れ去られる」ことに比べりゃずっとマシ、っていうのが大抵の当時の人たちの率直な感想みたいだけどね
もうみんな90歳超えてるから、自分たちの足跡をどんなかたちでもいいから後世に伝えてほしいという気持ちが最優先になる年代だし
21 ななしのよっしん
2018/08/22(水) 16:08:39 ID: 1TVlfar12+
>>16超遅レススマソ
砲だけ見ると結構軽いんだが(ファラガットのMk21マウントは手動砲架で簡素な分対空性能も凡庸)
まずファラガット級って特型と比べるとかなり軽いし(基準排水量1,365t)
船首楼船体に前部背負い式配置してるお陰でかなり背が高い
船体規模と言い砲配置と言い、初春型竣工時の構成に近いんだわ、つまりかなり重心が高い
更に言うと、米両用砲は弾薬の方がかなり重い構成なんだよ
装弾薬はほぼ日12.7cm砲のそれと同様の約32㎏だが、装弾速度向上の為に5kgのカートリッジケースが付随。
そして何より砲当たりの定数がやたら多く(日三年式搭載駆逐艦1門150発、ファラガット1門300発)
日三年式12.7㎝6門と比べても、ファラガットは5門でも装弾薬の部分でおよそ25tも重い計算になる。
結論すると、ファラガットの構成はやっぱり危なげだよ。
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最終更新:2025/02/15(土) 06:00
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