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1 ななしのよっしん
2012/09/17(月) 12:33:02 ID: DsuJYQYRks
記事作成乙。
名将とは聞いていたがこんなすごい事をしていたとはw
源為朝といい勝負が出来そうだw
2 ななしのよっしん
2012/09/21(金) 00:20:09 ID: T1JXhUpVsa
3 ななしのよっしん
2012/11/02(金) 22:33:13 ID: NvfyOn7XFL
完膚なきまでに叩きのめされた美濃の守護ってのは、土岐頼遠のことかな?
兵力減少から上洛をあきらめたってのは、
この狂犬が顕家相手に暴れまくったせいだなたしか。
最強の武将は戦った相手もすごい。
4 ななしのよっしん
2012/12/14(金) 23:17:36 ID: Lg7eTksWVS
5 ななしのよっしん
2013/01/02(水) 05:10:48 ID: orUCpTpW7J
北朝に刈り取られるのがデフォの南朝勢の中で
斯波家長を自害に追い込んだという輝かしい戦績の持ち主
6 ななしのよっしん
2013/03/18(月) 18:10:05 ID: lMBOlGeX3J
7 ななしのよっしん
2013/04/01(月) 08:56:31 ID: IG436rowE3
南朝方で足利方の高師直と張れるのはこいつくらいだな。
この若さでこの戦歴は、旗下の結城宗広、伊達行朝、南部師行らの活躍によるところが大きいと思うけれども。
8 ななしのよっしん
2013/06/24(月) 17:17:04 ID: NIqGQRNpgF
北方謙三の「破軍の星」は切なかったなあ
ホント、無理させてさえいなければどれだけの人間に育っていたのやら
9 ななしのよっしん
2013/07/25(木) 11:14:17 ID: bI8dQASo0v
進軍に際して激しい略奪を行わせた人でもある
それで足の遅い輜重部隊を少なくすることができたのかな
太平記での描写は誇張されてる可能性もあるが
顕家が死んだ途端に北朝側に寝返る武将が続出してるのは顕家の存在感の大きさを示すと同時に略奪で人心を失ってたのかもしれん
伊勢・大和・河内を転戦してるのは、食料不足の顕家軍が行く先々で厄介者として扱われたからなのかも…
これらの地方は南朝の勢力圏で略奪は許されなかっただろうから
兵の減少が転戦の理由というのは確かにそれもあるだろうけど、最期は寡兵で幕府軍に突撃して玉砕してるし
二度目の遠征で親房は息子を呼びつけておきながら兵糧や武具の支給を行う手配をした形跡がなく、北畠の地盤である伊勢に入った顕家軍に休息も許さず大和への出陣を命じて追い出してる
この辺りが南朝が北朝に勝てなかった原因かもしれない
10 ななしのよっしん
2013/08/29(木) 14:13:44 ID: tUjU07nCNJ
ナポレオンの二倍の速度で進軍して
そんまま尊氏の軍を二度も撃破
頭おかしいんじゃないかこの人
11 削除しました
削除しました ID: JutD+adadK
削除しました
12 ななしのよっしん
2013/12/17(火) 21:33:43 ID: Qh+/dny5uk
北畠親子は現代から見てもおかしいのに、当時はどんだけだったんだろうな
美濃で土岐頼遠がマジキチレベルで食い下がったからよかったものの、下手したら尊氏が2度の都落ちした可能性も少なからずあったわけで
止め刺した師直も、圧倒的優勢からの勝利だからな~
13 ななしのよっしん
2013/12/28(土) 20:44:11 ID: 8mNX6l4dt1
南朝で補給まで全て考えて動けていたのは楠木一族ぐらいだし、純粋に軍事的センスということでは正成が勝つ印象だな。あっちは現代でも全く問題なく通じる。
ただ、やはり家柄とか大将の器が大事な時代だから、カリスマまで入れると顕家か。
どっちにしても絶対相手にしたくないけどw
14 ななしのよっしん
2014/01/29(水) 16:15:08 ID: orUCpTpW7J
後ろから追ってくる上杉をあえて追い越させるセンスがおかしい
単なるヒャッハーな突撃馬鹿じゃなくて万単位の軍を完全に制御してやがる
15 ななしのよっしん
2015/02/12(木) 02:39:38 ID: xyCMSzyXmW
ぶっちゃけ南朝方の将軍のエピソードは戦前の南朝正当論によって捏造されてんじゃねえの
と思えないほど凄まじいはなしが多いんだけど
16 ななしのよっしん
2015/04/18(土) 09:18:13 ID: Lg7eTksWVS
今川家が北畠顕家相手に奮闘したことを
今川了俊が自慢するように難太平記に残している点で
室町期における北畠顕家の勢力は知れると思うが
17 ななしのよっしん
2015/11/22(日) 03:52:40 ID: BB18WA+c02
進軍が早過ぎる北畠顕家とか兵力差など知らぬと言わんばかりの征西府とか南朝方は大暴れだよな
足利方も一枚岩とは程遠い状態だったわけだがそれにしたってどうなってんだw
18 ななしのよっしん
2016/12/02(金) 13:24:07 ID: xaD9yZ70vZ
ひどい話、顕家にしろ正成にしろ新田義貞が
大ポカやらかしまくって連携できずやられた印象もある
尊氏が九州に逃げた時も義貞は赤松円心の挑発に引っかかって
復活されてるし
19 ななしのよっしん
2017/01/16(月) 12:33:57 ID: jT3yimjQWd
20 ななしのよっしん
2017/03/30(木) 15:38:56 ID: m4d5tlqU1Y
電光石火の勢いで尊氏破ったのって顕家なの?
大河ドラマでしか知らんのだけどあっちだと父親の親房の功って感じだったけど。というか(役者のせいもあって)親房が優秀で顕家はパッとしない印象だった。
21 あ
2017/04/02(日) 14:44:57 ID: mpCDRSmXmd
親父は稀代の謀略家兼思想家
息子は無双の用兵家
チート親子?
毛利元就と吉川元春の上位互換?
22 ななしのよっしん
2017/04/05(水) 00:24:34 ID: BB18WA+c02
上洛のスピード的に親房が優秀なだけじゃ不可能な芸当なんだよなあ
奥州勢を超無茶させながらも統率できるだけの指揮力とカリスマがあったのは間違いない
23 ななしのよっしん
2017/08/22(火) 23:06:16 ID: OvE6pd1gcU
当時の状況考えると普通だったのかもしれないけど、石ノ森章太郎の漫画もあってか顕家の軍勢は略奪が特に酷かったっていう印象が強い
24 ななしのよっしん
2017/08/26(土) 03:02:29 ID: BB18WA+c02
実際に史上稀なレベルで酷かったんじゃないかね
進軍速度を考えると補給が間に合ったとは思えないから兵糧は全部現地調達(略奪)でも不思議じゃないし
太平記の10万は流石に誇張だろうけれど万単位の軍がいたのは間違いないだろうし
それが略奪しながら進軍したら通った後にはぺんぺん草も生えない状態になるのは容易に想像が…
25 ななしのよっしん
2018/06/11(月) 20:32:41 ID: HQ1f2zN4GG
私本太平記でもその辺ちょっと触れてたな
26 ry
2018/08/05(日) 15:40:50 ID: 5UnhOVA0ms
>>21
親同士はともかく息子のほうがあんまりにも神話過ぎて互換しないだろ。
27 ななしのよっしん
2018/10/02(火) 18:43:57 ID: gIB2BngYDx
28 ななしのよっしん
2018/12/24(月) 20:10:17 ID: bZYTw50yVG
>>18
太平記が、執筆者と支援者の意向でかなり誇張されているのは、
今川了俊も述べている。新田には後世弁護する学僧も武家もいなかったのは考慮して良い
なお私は偶然ここに来てコメしており、グンマーとは関係ない
29 ななしのよっしん
2019/04/14(日) 10:59:09 ID: gEh3xHNJPt
>>26
顕家パパも後世の影響って意味では毛利元就よりずっと上だと思う
大日本帝国ってある意味では親房と水戸黄門の亡霊が建国したみたいなもんだし
30 ななしのよっしん
2019/05/23(木) 20:18:35 ID: mm9G6bHdie
親房の亡霊というか、神皇正統記をどうしても南朝正統として解釈したかった近世儒学者の執着だと思う
素直に読んだら生き残った北朝側が徳を持つ正統になるはず
ほめた!
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