インティカブ(Intikhab)は、1994年アメリカ生まれの競走馬・種牡馬である。
父Red Ransom、母Crafty Example、母父Crafty Prospectorという血統。
父レッドランサムは3戦2勝で重賞には出走すらないが、デビュー戦をレコード勝ちした快速が評価され種牡馬入りし初年度から成功を収めていた種牡馬。
母クラフティイグザンプルは競走馬としては1戦未勝利である。その母ZienelleはマイルGI2勝のPolish Precedentの全姉で、ZienelleのいとこにはZilzalやCulture VultureといったマイルGI馬の名前がある。
母父クラフティプロスペクターは競走馬としては脚部不安もあり一般競走ばかりを走って通算10戦7勝2着2回3着1回で、重賞出走はガルフストリームパークH(GI)2着のみだが、6ハロン戦で後続を20馬身ちぎって勝ったこともある快速馬だった。1987年に北米新種牡馬ランキング1位を獲得したほか、日本では*アグネスデジタルの父として著名である。
本馬は1歳時にドバイのハムダン殿下に購入され、イギリスで開業していたデビッド・モーリー調教師に預けられた。
2歳時は8月に6ハロンの未勝利戦でデビューし、スタートで後手を踏みながらも追い込んでアタマ差2着となった。1ヶ月後に同距離の未勝利戦を勝ち、10月に出走した3頭立ての条件戦もさっくり勝って2歳時を3戦2勝で終えた。
3歳時は4月の条件戦から始動したが、後にこの年のジャン・プラ賞とセントジェームズパレスSのGI2勝を挙げることになるStarboroughに逃げ切られ2着に終わった。その後2着が2回続いた後にシーズン4戦目で勝利すると、勢いそのままにフォーチュンS・ジョエルSとリステッド競走を連勝してシーズンを終えた。
4歳シーズンの年明け早々、管理していたモーリー師が心臓発作のために58歳で死去すると、本馬はゴドルフィンの名義に変更され、厩舎も専属であるサイード・ビン・スルール厩舎に変わった。初戦として出走したナド・アルシバ競馬場のダート1800mの条件戦ではAnnus Mirabilisと当たったが、逃げる同馬を好位から追走して最後は交わし、1馬身1/4差で勝利した。
続くドバイデューティーフリー(当時はL・ダート2000m)でもAnnus Mirabilisとの対戦となった。再び逃げるAnnus Mirabilisを好位から追走する展開となったが、今度は直線で突き放され、6馬身差の2着に終わった。
約2ヶ月の休養を挟み、6月6日のダイオメドS(GIII・8f114y≒1714m)に出走すると、重賞初出走ながら1番人気に推された。この年から主戦騎手となっていたランフランコ・デットーリ騎手を背にした本馬はその人気に応え、先行してあっさり抜け出し5馬身差で圧勝した。
このレースをきっかけにマイル路線に専念することになり、次走は10日後のロイヤルアスコット開催で行われるクイーンアンS(GII・1マイル)となった。クイーンアンSはGI昇格こそ2003年と割と最近だが1840年創設と非常に古い伝統のマイルレースの一つでこの年もメンバーがそれなりに揃っており、ペースメーカーとして出走した前走ロッキンジS(GI・1マイル)を逃げ切ったCape Crossの姿もあったが、同馬はインティカブと同陣営ということもあり9頭中7番人気と全く人気せず、そのロッキンジSで2着だったPoteenや前走で3着に破ったAlmushtarak、重賞2勝のAmong Menが有力視された。その中でも本馬は単勝3.25倍の1番人気となった。
このレースでは逃げるCape Crossを追って先行すると残り2ハロン地点付近から抜け出して差を広げ、2着Among Menに8馬身差をつけて圧勝した。
その後、ジャック・ル・マロワ賞に出走する予定だったが負傷して回避となった。このレースで*タイキシャトルがAmong Menを下して勝ったのはご存知の通りである。
一方の本馬はそのまま年内全休となったが、クイーンアンSの着差が大きかったことと、Among Menがジャック・ル・マロワ賞までの間にサセックスS(GI)を勝ったこともあり、GI出走こそなかったもののレーティングはSkip Away(131ポンド)に次ぐ2位タイの130ポンド(同値は他にBCクラシックを勝ったAwesome Again)を得た。
年が明けた5月にロッキンジSで復帰し単勝1.57倍に推されたが、同陣営のペースメーカーであるFly to the Starsの好位を追走したものの仕掛けどころで伸びを欠き、Fly to the Starsがそのまま逃げ切った一方で4着に敗退。このレース後に骨盤骨折が判明しそのまま引退となった。通算14戦8勝・重賞2勝。
引退後はアイルランドのデリンズタウンスタッドで種牡馬入りし、そこそこの活躍を収めた。GI馬も複数頭出ており、その中でも日本のファンにも著名なのはエリザベス女王杯を連覇したSnow Fairyであろう。産駒のGI馬はいずれも牝馬で、牝系に入っても凱旋門賞馬Found、朝日杯FS勝ち馬ダノンプレミアム、英愛オークス馬Snowfallなどを出しており、フィリーサイアー寄りのところが強い。2016年に種牡馬を引退し、それから間もない5月22日に22歳で死亡した。
| Red Ransom 1987 鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
| Nothirdchance | |||
| Bramalea | Nashua | ||
| Rarelea | |||
| *アラビアII Arabia 1977 鹿毛 |
Damascus | Sword Dancer | |
| Kerala | |||
| Christmas Wind | Nearctic | ||
| Bally Free | |||
| Crafty Example 1987 栗毛 FNo.8-h |
Crafty Prospector 1979 栗毛 |
Mr. Prospector | Raise a Native |
| Gold Digger | |||
| Real Crafty Lady | In Reality | ||
| Princess Roycraft | |||
| Zienelle 1983 鹿毛 |
Danzig | Northern Dancer | |
| Pas de Nom | |||
| Past Example | Buckpasser | ||
| Bold Example | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
クロス:Nashua 4×5(9.38%)、Nearctic 4×5(9.38%)
掲示板
1 ななしのよっしん
2022/01/02(日) 20:28:54 ID: Z8OETOimo3
1998年は欧州競馬のレベルが壊滅的に低く、かなり激甘な採点が繰り返されたにもかかわらず結局年末まで130以上のレートが一度も出なかった(インティカブのレートも当初は130未満だった)
というか、誰がみても1998年はアメリカ優位の年で、普通に採点してたらアメリカ馬がクラシフィケーションで上位を独占するだろうと思われていた
しかし競馬の本場としてのプライドはその現実を許せなかった
かといって欧州最強馬スウェインのレートを上げるとドバイWCやBCでスウェインに勝った米国馬の強さも認めねばならず、その他の欧州トップホースはあまりに弱すぎて擁護の余地が無い
そこで白羽の矢が立てられたのが、他の一流馬と直接対戦したことがないおかげで比較的自由にレートをイジルことができた当馬インティカブだった
そして「2着馬が後にGI勝ったから…」という理由が捻り出され、年末調整と称してインティカブのレートが130にまで引き上げられることになった
まあこういった感じで当時は色々と物議を醸したレーティングだった
2 ななしのよっしん
2022/04/27(水) 00:32:44 ID: itL20wWVA1
スノーフェアリーの父かぁ
母父のクラフティプロスペクターがアグネスデジタルの父だったりと、流石ブラッドスポーツ
妙なところで縁があるんだなぁ
3 ななしのよっしん
2023/11/30(木) 12:30:07 ID: iAuP7DbrWi
こいつにロイヤルアンセムとホークウイングをあわせて当時の過剰レートだんご三兄弟
リアルタイムで知る人からは評価されないけど当時を知らない人からはレート130台ってことで評価されてる不思議な馬たち
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/26(金) 01:00
最終更新:2025/12/26(金) 00:00
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