西岡剛(大物)とは、阪神タイガース所属のプロ野球選手(遊撃手)である。背番号7。
右投げ両打ち(スイッチヒッター)で現在はショートだが元々はセカンドだった。
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大阪桐蔭高校から2002年にドラフト1位で千葉ロッテマリーンズに入団。背番号7。
2年目となる2004年から高橋慶彦コーチとスイッチヒッターに挑戦し一軍で63試合に出場する。
そしてプロ入り3年目にして一軍定着レギュラーへ、セカンド・ショート併用で122試合に出場する。
ショートが小坂誠の時はセカンドへ、セカンドが堀幸一の時はショートで出場して大活躍した結果、ベストナインをショートで、ゴールデングラブをセカンドで獲得することになる。
また、この年に41盗塁で盗塁王も獲得した。
この年、2005年の31年ぶり日本一の立役者の一人として不動のレギュラーとなり、以後チームの主力選手となる。
2006年には第1回WBC日本代表に選ばれ初の国家代表入りを果たす。
大会では8試合で打率.355本塁打2打点8盗塁5と大活躍(※)し、優勝に貢献した。
※世紀の大誤審と言われたタッチアップでは問題の走者だった。グラウンドでは見苦しい抗議はしなかったものの、ロッカールームでは(敗戦の怒りもあり)荒れていたようである。
2007年には新庄剛志に登録名について相談。結果、登録名を「TSUYOSHI」に変更するが、最終的には「TSUTAYA」などと呼ばれネタにされるなどあまり意味は無かった(それでも成績は自身初の打率3割をマークした)。
2008年は登録名を元に戻し、北京OPや怪我で116試合ながら連続3割と初の2桁HR。
またチームとしては不調だった北京オリンピックでも打率.455本塁打1打点4盗塁2と気を吐いた。
しかし北京で怪我を悪化させ帰国後もクライマックスシリーズを目指し怪我をおして出場した結果、2009年のWBCでは原監督からコンディションを不安視されまさかの代表落選となった。
WBC日本代表に並々ならぬ決意を持っている選手の一人なので落選通知が来た時は部屋で荒れたようだ。
その後「この悔しさは絶対に忘れません、自分を選ばなかったことを後悔するくらいの活躍をしたい」とコメント。
しかし気持ちが結果につながらず2009年は苦しいシーズンとなった。
シーズン終盤過激なサポーター団体MVPが球団幹部を名指しで「死ね」等の誹謗中傷の横断幕・ゲートフラッグを掲げた為、ヒーローインタビューで
「僕自身もそうなんですけど、選手全員も一生懸命プレーしようとしてるし、僕自身ロッテに入ってファンの応援を見てこのチームがすごい好きになりました。ライトスタンドで本当に批判があったり色々んな横断幕が出たり、非常に僕ら選手もそういう状況にさせてしまったという責任があります。今日も野球少年がいっぱい来てると思います。選手1人1人のプレーを見て夢を描く子供達もいると思うし、スタンドの歓声を聞いて大人になったらこういう所でプレーをしたいと思って頑張っている子供達もいます。その子達の夢を崩さないでください。僕自身も今年こういう成績でこういうことを言える立場ではないんですけど、1人の人間として間違ってるものはあると思うので、もう一度選手1人1人も考え直して、このチームをもっともっと強くしたいと思うし、そのためにはファンの皆さんの応援もすごい必要となるので、本当にロッテを愛してるのであれば明日から横断幕を下げてほしいと思います。明日からまた応援よろしくお願いします。」
と涙ぐみながら訴えた。
しかし、翌日の試合ではMVPから応援どころかブーイングを受け、西岡をターゲットにした誹謗中傷の横断幕・ゲートフラッグが掲げられた。
そのような状況でも気持ちを乱すことなく試合で活躍し、試合後のブログで「自分への批判は覚悟しているので怒っていませんから協力してください」と呼びかけた。
この件については他球団のファンも関心を持ったようで、西岡の行動を賞賛する者も少なくなかった。
2010年はキャプテンとなった。9月にはシーズン21回目の猛打賞を達成し、球団記録を更新。その後9月25日のオリックス戦でパ・リーグではイチロー以来、スイッチヒッターとして初のシーズン200本安打と、27回目の猛打賞(新記録)を達成。最終的にはスイッチヒッターとして4人目の首位打者、最多安打のタイトルを受賞した。
2010年シーズンオフにポスティングシステムによるメジャー移籍を申請し、ミネソタ・ツインズが交渉権を獲得。12月17日に契約を結んだ。背番号1。
2011年はスプリング・トレーニングで結果を残し、開幕スタメンの座を勝ち取ったが、二度の故障離脱により68試合の出場に終わった。しかも米国のメディアからLeast Valuable Player(最低の選手)、One Hitter from Each MLB Team Who Drives Fans Crazy(ファンを怒らせた選手)に選ばれるオマケ付き。
メジャーにおける日本人内野手の評価を更に下げた(元々非常に低いが)原因なのは言うまでもない。
ちなみにツインズは2010年は地区優勝しているが、2011年は最下位に終わっている。
更には3月のツインズの春期キャンプ中に元グラビアアイドルを呼び、お楽しみ行為をしていたことが発覚。
(妻の徳澤直子がこの時期に妊娠中であったのに。)
また徳澤直子自身は安定期に入ってから渡米する予定であった、英会話や料理を勉強するなど西岡を献身的に支えるつもりであったにも拘わらず、この西岡の背信行為が決め手となり離婚することが決定。
2012年は開幕をマイナーで迎え、3Aでも大した成績を残せず、8月に一週間だけ昇格したが3試合で12打数無安打。降格するとその後はマイナーでシーズンを終え、オフに契約解除を申し出てツインズを退団した。
2011年のオープン戦で活躍した頃、zakzakが「ツインズは金塊を探し当てたかも」と報じたが、その後の結果はこの通りだったため、ネット上では揶揄をもって「金塊」と呼ばれることになった。
ツインズを退団すると、まだ(28)と若いこともあって阪神、ロッテ、オリックスが獲得に名乗りを上げ争奪戦となり、最終的に阪神タイガースに入団が決まった。背番号は7に。
リーグ戦でも使う得意技の一塁方向へのプッシュバントはパ・リーグではもうお馴染みなので奇襲戦法としての効果は薄いが、初めて対戦する相手には絶大な効果がある強力な武器。
川崎宗則・中島裕之らがショートとして代表入りする事が多いため国際大会ではセカンドでの起用も多い。
また初見では勇気のいる盗塁もガンガンしかける度胸を持ちプレッシャーを感じさせないが「日の丸を背負っていくことに怖さを感じる」と語っている。
しかしそれでも恐れを知らぬプレーをするのは、高橋慶彦コーチに連れられて行った知覧特攻平和会館で自分と変らない年齢で特攻隊になった人の手紙や遺言を読んだ影響が大きく、平和になったことに感謝しながら「その魂を僕らは受け継いでいると思う」と語った。
(上記のMVPへの発言などから)外見は今時の若者といった感じだが、根は熱いものを持っている男である。
シーズンオフにはクイズ番組に出演し珍回答を連発するなどして、お茶の間を沸かせている。
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最終更新:2024/05/06(月) 01:00
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