西岡剛 単語

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西岡剛大物)とは、阪神タイガース所属のプロ野球選手遊撃手)である。背番号7。
右投げ両打ち(スイッチヒッター)で現在ショートだが元々はセカンドだった。

概要

阪神タイガース #7
西岡剛
基本情報
日本
出身地 大阪府
生年 1984年7月27日
身長
体重
185 cm
79 kg
選手情報
投球・打撃 右投両打
守備位置 遊撃手二塁手
プロ入り 2002年
タイトル・表
タイトル 首位打者:1回
最多安打:1回
盗塁王:2回
ベストナイン:3回
ゴールデングラブ賞:3回
MVP:3回
経歴
大阪桐蔭高等学校
千葉ロッテマリーンズ (2003年-2010年)
ミネソタ・ツインズ (2011年-2012年)
阪神タイガース (2013年-) 
プロ野球選手テンプレート

ロッテ時代

大阪桐蔭高校から2002年ドラフト1位千葉ロッテマリーンズに入団。背番号7。
2年となる2004年から高橋慶彦コーチスイッチヒッターに挑戦し一軍で63試合に出場する。

そしてプロ入り3年にして一軍定着レギュラーへ、セカンドショート併用で122試合に出場する。
ショート小坂誠の時はセカンドへ、セカンド堀幸一の時はショートで出場して大活躍した結果、ベストナインショートで、ゴールデングラブセカンドで獲得することになる。
また、この年に41盗塁盗塁王も獲得した。

この年、2005年の31年ぶり日本一の立役者の一人として不動のレギュラーとなり、以後チーム選手となる。

2006年には第1回WBC日本代表に選ばれ初の国家代表入りを果たす。
大会では8試合で打率.355本塁打2打点8盗塁5と大活躍(※)し、優勝に貢献した。

※世紀の大誤審と言われたタッチアップでは問題の走者だった。グラウンドでは見苦しい抗議はしなかったものの、ロッカールームでは(敗戦の怒りもあり)荒れていたようである。

2007年には新庄剛志に登録名について相談。結果、登録名を「TSUYOSHI」に変更するが、最終的には「TSUTAYA」などと呼ばれネタにされるなどあまり意味はかった(それでも成績は自身初の打率3割をマークした)。

2008年は登録名を元に戻し、北京OPや怪116試合ながら連続3割と初の2桁HR
またチームとしては不調だった北京オリンピックでも打率.455本塁打1打点4盗塁2と気を吐いた。

しかし北京で怪を悪化させ帰後もクライマックスシリーズし怪をおして出場した結果、2009年WBCでは原監督からコンディションを不安視されまさかの代表落選となった。

WBC日本代表に並々ならぬ決意を持っている選手の一人なので落選通知が来た時は部屋で荒れたようだ。
その後「この悔しさは絶対に忘れません、自分を選ばなかったことを後悔するくらいの活躍をしたい」とコメント

しかし気持ちが結果につながらず2009年は苦しいシーズンとなった。

そんな中、監督の去就やフロントお家騒動が起こる。

シーズン終盤過サポーター団体MVPが球団幹部をしで死ね」等の誹謗中傷の横断幕・ゲートフラッグを掲げた為、ヒーローインタビュー

自身もそうなんですけど、選手全員も一生懸命プレーしようとしてるし、自身ロッテに入ってファン応援を見てこのチームすごい好きになりました。ライトスタンドで本当に批判があったり色々んな横断幕が出たり、非常にら選手もそういう状況にさせてしまったという責任があります。今日野球少年がいっぱい来てると思います。選手1人1人のプレーを見てを描く子供達もいると思うし、スタンドの歓を聞いて大人になったらこういう所でプレーをしたいと思って頑っている子供達もいます。その子達のを崩さないでください。自身も今年こういう成績でこういうことを言える立場ではないんですけど、1人の人間として間違ってるものはあると思うので、もう一度選手1人1人も考え直して、このチームをもっともっと強くしたいと思うし、そのためにはファンの皆さんの応援すごい必要となるので、本当にロッテ愛してるのであれば明日から横断幕を下げてほしいと思います。明日からまた応援よろしくお願いします。」
ぐみながら訴えた。

しかし、翌日の試合ではMVPから応援どころかブーイングを受け、西岡ターゲットにした誹謗中傷の横断幕・ゲートフラッグが掲げられた。

そのような状況でも気持ちを乱すことなく試合で活躍し、試合後のブログで「自分への批判覚悟しているので怒っていませんから協してください」と呼びかけた。

この件については他球団のファンも関心を持ったようで、西岡行動を賞賛する者も少なくなかった。

2010年キャプテンとなった。9月にはシーズン21回猛打賞を達成し、球団記録更新。その後9月25日オリックス戦でパ・リーグではイチロー以来、スイッチヒッターとして初のシーズン200本安打と、27回猛打賞(新記録)を達成。最終的にはスイッチヒッターとして4人首位打者最多安打タイトルを受賞した。

メジャー時代

2010年シーズンオフポスティングシステムによるメジャー移籍を申請し、ミネソタ・ツインズが交渉権を獲得。12月17日契約を結んだ。背番号1。

2011年スプリングトレーニングで結果を残し、開幕スタメンの座を勝ち取ったが、二度の故障離脱により68試合の出場に終わった。しかも米国メディアからLeast Valuable Player(最低の選手)exitOne Hitter from Each MLB Team Who Drives Fans Crazy(ファンを怒らせた選手)exitに選ばれるオマケ付き。
メジャーにおける日本人内野手の評価を更に下げた(元々非常に低いが)原因なのは言うまでもない。
ちなみにツインズ2010年は地区優勝しているが、2011年は最下位に終わっている。 

更には3月ツインズキャンプ中に元グラビアアイドルを呼び、お楽しみ行為をしていたことが発覚。
(妻の徳澤直子がこの時期に妊娠中であったのに。)
また徳澤直子自身は安定期に入ってから渡する予定であった、英会話料理を勉強するなど西岡を献身的に支えるつもりであったにも拘わらず、この西岡の背信行為が決め手となり離婚することが決定。

2012年は開幕をマイナーで迎え、3Aでも大した成績を残せず、8月一週間だけ昇格したが3試合で12打数安打。降格するとその後はマイナーシーズンを終え、オフ契約解除を申し出てツインズを退団した。

2011年オープン戦で活躍した頃、zakzakが「ツインズ塊を探し当てたかも」と報じたが、その後の結果はこの通りだったため、ネット上では揶揄をもって「塊」と呼ばれることになった。

阪神時代

ツインズを退団すると、まだ(28)と若いこともあって阪神ロッテオリックスが獲得に名乗りを上げ争奪戦となり、最終的に阪神タイガースに入団が決まった。背番号は7に。

その他

前述の成績からも判るように際大会で類の強さを発揮する。

リーグ戦でも使う得意技の一塁方向へのプッシュバントexitパ・リーグではもうお染みなので奇襲戦法としての効果は薄いが、初めて対戦する相手には絶大な効果がある強武器

川崎宗則中島裕之らがショートとして代表入りする事が多いため際大会ではセカンドでの起用も多い。

また初見では勇気のいる盗塁ガンガンしかける度胸を持ちプレッシャーを感じさせないが「日の丸を背負っていくことに怖さを感じる」とっている。
しかしそれでも恐れを知らぬプレーをするのは、高橋慶彦コーチに連れられて行った知覧特攻平和会館で自分と変らない年齢特攻隊になった人の手紙や遺言を読んだが大きく、平和になったことに感謝しながら「そのらは受け継いでいると思う」とった。

(上記のMVPへの発言などから)外見は今時の若者といった感じだが、根は熱いものを持っている男である。

シーズンオフにはクイズ番組に出演し回答を連発するなどして、お茶の間を沸かせている。

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