倍率ドン!さらに倍!!
クイズダービーとは、TBS系で放送された伝説のクイズ番組である。
概要
1976年放送開始。最高視聴率40.8%という脅威の数字を叩き出した伝説のクイズ番組である。クイズ番組で視聴率40%越えを果たしたのは、この番組と「さぁ!書きなさい!」の「クイズ面白ゼミナール」の2番組のみである。
解答者と出場者を分け、解答者を競走馬、出場者をベッターに見立てた、競馬のシステムを流用したクイズ番組である。この独特なシステムは、司会者でもあった大橋巨泉がカナダで見た「セレブリティ・ステークス」という番組を丸パクリしたものである。
競走馬に見立てられた解答者には倍率が付けられる。正答率が高い、またはこの問題だったら答えられるのではないかという回答者には倍率が低く、その逆には倍率が高く設定される。出場者は解答者に持ち点を賭けて、正解すると「元の賭け点+配当点」(つまり「n+n×倍率」)を獲得できる。
放送開始当初は、さらに競馬らしさを強調しており、誰が正解するかを予想する予想屋として藤村俊二がレギュラー出演しており、これにゲストと巨泉の3人で、その場で競馬新聞の記号を使って倍率を決めていた。問題数も11問と競馬の一日のレース数に近い数を用意していたが、この頃は視聴率も低迷、競馬色の強いルールは複雑すぎてわかりにくかったという。そこで、単純な「倍率ドン!」のスタイルに変え、問題数も減らして余裕をもたせた。
「上品な成績」篠沢教授、「宇宙人」はらたいら、「三択の女王」竹下景子、「珍回答アイドル」井森美幸、「たけしの兄貴」北野大という名物解答者も生まれ、巨泉の巧みなトークも相まって、1970年代後半~1980年代に圧倒的な支持を得た。特に放送されていたTBS土曜ゴールデンタイムは「まんが日本昔ばなし」「8時だョ!全員集合」「Gメン75」[1]という超人気番組も前後にあり、TBS黄金時代を最も象徴する時間帯として君臨していた。
しかし巨泉がセミリタイヤ宣言をして1990年3月末で降板(「スーパーバイザー」の肩書で番組には引き続き関わった)。前年に日本テレビを退社しフリーアナとなっていた徳光和夫が2代目司会者として引き継いだものの、その頃から勢いを失いはじる。セットがころころ変わったり、視聴者プレゼントクイズを加えたり、最末期には全枠の解答者を週替わりにしてそれまでのレギュラー回答者が1~2人しかいなかったり、はらたいらや竹下景子が登場しない回もあるなど迷走。そこに裏番組のクイズ番組「平成教育委員会」(フジテレビ)が大ヒットし視聴者を奪われ、1992年にその幕を閉じた。最終回は5枠に徳光が座り、巨泉が司会を務めて番組を締めた。
鳩が飛ぶオープニングキャッチでもお馴染みの、ロート製薬一社提供番組。
世界的に見ても最初期にステレオ放送化されたクイズ番組の一つに数えられる。理由は不明であるが、TBSで同時期に放送されていた音楽番組の「ザ・ベストテン」やゲストの歌がある「8時だョ!全員集合」よりも早くステレオ放送化されている[2]。収録は東京・赤坂のTBS本社内に併設されていたTBSホールにて公開録画が行われていた。司会の大橋巨泉の意向から録って出し方式での収録が行われており、基本ノーカットで収録されていた。そのため最後の時間が足りずに巨泉が足早に成績紹介と挨拶をバタバタとする事が多かった。
回答表示はフリップではなく当時としては珍しいモニターである。しかし当時はタッチペンの技術がないため、ロール紙に回答を明記し、それを上につけられたカメラから映すというアナログな手法がとられていた。なのでロール紙に手や頭が見切れると画面に白く映り込んでいた。[3]
番組終了後も巨泉司会、はら・竹下の名回答者メンバーで数回復活している。
しかし、2006年のはらたいら逝去、2016年の大橋巨泉逝去で、黄金期のメンバーによる再現は不可能となってしまったのが現状である。
基本ルール
回答者は5名。これに素人参加者3組が得点を賭ける。問題は全8問。
問題は基本一問一答の筆記問題だが2.4.7問目は3択問題。5問目はとんちやジョークの問題。6問目は歌の歌詞当てが基本構成。巨泉も問題制作に関わっており、新聞や雑誌の暇ネタや地方の話題などの問題も多かった。
参加者の持ち点は3000点(巨泉は原点と呼んでいた)。これを8問の間に合格点である10万点に増やすのが最終目的。
問題が読まれると巨泉が回答者につけた倍率(1~10倍)が表示され、参加者は正解するであろう1名に100点単位で得点を賭ける。
賭けた回答者が正解すると賭け点はそのままに加え、賭け点に倍率をかけた得点獲得。不正解だと賭け点没収。全員不正解だと競走不成立として賭け金は全て返還。
これを繰り返して点数を増やしていく。最終問題は倍率が2倍となる。見事10万点を突破するとファンファーレが鳴り座席上のくす玉が割られて紙吹雪が舞い、男性には白、女性には赤の番組特製ダービーハットがアシスタントの女性の手によりプレゼントされる。なお、最終問題の前に10万点を突破するとそこで上がりとなり、残りの問題は見物するだけとなる。
最終的に1点=1円と換算して、持ち点がそのまま賞金となる。最高賞金は10万円。これは製薬会社団体の紳士協定により、提供する賞金の最高金額が10万円までとなっているため。10万点を越えた金額はTBSカンガルー募金へ全額寄付となる。巨泉が最後に「12万5000点ですので2万5000円寄付させていただいて、10万円です。」と紹介していた。
年に数度、20万点近い好成績を叩き出す参加者や、最終問題を前に数百点しか点が残らなくなった参加者。10万点を狙わずに手堅く数万円を持ち帰ろうとする参加者もいた。最終問題が全員不正解で全て返還となり、全く盛り上がらずに番組が終わる事もままあった。ちなみにとんねるずと若山富三郎が1問目から3000点全て賭けようとして巨泉に咎められた事がある。
アスキーアート
まさに伝説の番組であり、その中でも特にはらたいらの姿は当時を知る視聴者に深く刻み込まれている。
それ故か、アスキーアートとして彼がこの番組に出演していた時の姿を模したものが2ちゃんねる等で現在でも見ることができる。
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関連項目
TBSテレビ系列 土曜夜 伝説のラインナップ |
昭和50年代前半 まんが日本昔ばなし(MBS)|クイズダービー|8時だョ!全員集合|Gメン'75 |
昭和60年代前半 まんが日本昔ばなし(MBS)|クイズダービー|加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ|日立 世界ふしぎ発見! |
脚注
- *1970年代後半~1980年代初頭の番組編成。1980年代後半にはこれが「まんが日本昔ばなし」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「世界ふしぎ発見!」へと変わる。
- *『クイズダービー』=1978年10月~ 『ザ・ベストテン』=1981年3月~ 『8時だョ!全員集合』=1980年5月から前半音楽コントの場合のみ数回、1982年1月より毎回ステレオ放送化。ちなみに当番組と『全員集合』はプロデューサーが同じ人であった
- *類似の表示システムを「世界ふしぎ発見!」の初期でも採用していたが、こちらはカメラを下から撮影しこれを反転して表示するシステムとなっている。
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