8時だョ!全員集合とは、1969年10月4日~1985年9月28日までTBS系で放送された伝説のお笑い番組である。通称「全員集合」。
概要
ザ・ドリフターズ出演の公開コント番組。原則生放送。16年にも及ぶ長きに渡って放送され、まさに「天下を獲った」お笑い番組として君臨した。番組最高平均視聴率は1973年4月7日に記録した50.5%、全803回の平均視聴率も27.3%を記録し、数々のギャグも送り出した、「記録にも記憶にも残る番組」である。
生放送で舞台上にパトカーを模した車をセットの上に飛ばす、セットが動いて歌いだす、セットが崩れ客席側に転がってくるなど、現在では安全面や予算面で到底不可能の破天荒な演出で視聴者の度肝を抜くドリフ主演のコントや、歌のゲストのアイドルや歌手も積極的に参加させ意外な一面を引き出すことに成功した少年少女合唱隊や後半コントなど、番組終了から35年経った現在でも色あせることの無い脅威のバラエティショー。テレビバラエティ番組における一つの到達地点といっても過言ではない。
放送当時、抽選で当たった番組の公開収録の当選ハガキはプレミアチケットとして羨望の的になった。
ドリフターズはこの番組でその国民的人気を不動のものとし、TBSもこの番組を中心に数々のヒット番組を連発し1970年代に黄金時代を迎えた。また、この番組のアシスタントだったアイドルユニット、キャンディーズもこの番組から巣立って行き、昭和を代表するアイドルとなった。
ちなみに、この番組のミニコーナーにあった「ジャンケン決闘」がきっかけとなってジャンケンにおける「最初はグー」が全国に普及・定着した。放送当時のこの番組の影響力が窺い知れるエピソードである。
トラブル・騒動
生放送公開番組と長寿番組ということで様々なトラブルや騒動が発生した。
- トラブル方面
全員集合は内容を濃くする代わりに時間厳密にやらないといけない状況でタイムキーパーやスタッフのミスでカツカツな状況でエンディングを迎えたり、原則アドリブ厳禁(トラブルの際のフォロー的なアドリブは長引かなければ一応OK)なのにゲストの植木等が長々とアドリブをやってしまい、いかりやとタイムキーパーの胃を痛めたり、おもちゃの火薬銃をコントで撃ったらセットに引火してコント中止(通称「火事騒動」)、放送開始直前にホールが停電して約10分放送が進行できなかった(通称「停電騒動」)、セットが予想以上に動いてしまってそのまま倒壊して志村が下敷きになった。 - 騒動方面
いかりやの声帯ポリープ摘出で進行が綱渡りだったり、高木やゲストの細川たかしがアキレス腱を切るというケガや病気もあれば、ドリフの所属事務所側(当時は渡辺プロダクション)の独断による不本意な形での放送中断、荒井の突然のドリフ脱退と入れ替わりに加入した志村けんの人気が定着するまでの不遇時代、志村の形に模した人形をギロチンにかけて苦情多発、加藤は交通事故で仲本と志村はノミ行為事件によるの出演自粛(通称「ノミ行為事件、三人ドリフ」。更に言うと番組プロデューサーもノミ行為に関わっていた)という社会的な騒動などがあり、数々のトラブルや騒動が起こったにもかかわらず何度も人気を盛り返した不屈の番組でもある。
全員集合における(放送期間中における)三大事件で有名なのは「火事騒動・停電騒動・ノミ行為事件」と言われているが、2005年のDVD発売時における三大事件は「火事・停電・セット倒壊」となっており、生放送中における三大事件的な扱いとなっている。
終焉
しかし、1981年に転機が訪れる。この年に「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)が始まり、80年代前半に正面対決を繰り広げることとなった。この激しい消耗戦は「土8戦争」(両番組の放送時間が土曜夜8時だったことに由来)と呼ばれ、テレビ業界やお笑い業界では未だに伝説の戦争として語り継がれている。
1982年の時点では年間平均視聴率で6%以上のアドバンテージを保っていたが、翌83年には「全員集合」の20.8%に対し「ひょうきん族」が19.0%と猛追し、84年には遂に逆転されてしまった(「全員集合」18.2%、「ひょうきん族」19.5%)。結果、「ひょうきん族」に人気を奪われ同時間帯の視聴率トップの座を奪われることが多くなったことや、メンバーやスタッフとの間の意思疎通がうまくいかなくなったこと、そして「やりたいことは全てやりつくした」ことが原因となって、惜しまれつつ1985年にその幕を閉じることとなった。
なお、土8戦争の話になると決まって『ひょうきん族』が『全員集合』を打ち負かした、という表現が散見されるが、末期でも平均15%前後(最終回の34.0%を含めた1~9月の年間平均視聴率が17.0%)の視聴率を記録していた。ゆえに、視聴率が原因で打ち切られたと言うほど低迷していた訳ではなく、それよりも公開形式での生放送の限界や気力・体力の限界、そして前述のとおり制作現場の不協和音があったことや「やりたいことをやり尽くした」ことなどが番組終了最大の要因であったことを書き添えておきたい。
最終回では、前半にいかりや演じる母ちゃんと他メンバー演じる息子達による名物コント「母ちゃんコント」、後半に16年の歴史を振り返るVTRが流され、エンディングでは最終回に駆けつけた多数のゲスト(旧メンバーの荒井注も含む)とともに「ドリフのビバノン音頭」を合唱し幕を閉じた。最後には観覧客もスタンディングオベーションを行った。
後継番組は志村けんと加藤茶のみ出演の「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」。
番組終了後
「全員集合」終了後も継続され1990年代後半まで新作と旧作コントを交えつつ不定期で放送された「ドリフ大爆笑」(フジテレビ)と異なり、「全員集合」は1989年に番組開始20周年を記念して総集編スペシャルが放送されて以降、1990年代は再放送される機会がほぼ皆無であった。
しかし、2004年にコントを多数収録したDVD-BOX第一弾が発売されると大ヒット。これに気を良くしたTBSがさらに第2弾、第3弾と続編を発売し、飛躍的に番組に触れることが容易になった。
テレビ放送でも2004年にリーダーのいかりや長介が他界した際に放送した追悼特別番組「長さんだョ!全員集合」が高視聴率を記録したことから徐々に総集編という形で不定期に放送される回数が増えていった。
この番組は当時のバラエティ番組としては驚異的に番組VTRが現存していたこともあり(1982年以降放送分は当時まだ珍しかったステレオ音声で収録されたVTRが今も現存している)、その豊富に残されていたコントや歌を再編集し、現在では一時期よりも頻繁に総集編が放送され、そのたびに安定した視聴率を取っている。未だその「お化け番組」ぶりは衰えていない。
いかりやの「おいっす!」や観客の「志村、後ろ~!後ろ~!」など名物ギャグは、放送当時子供であった後輩芸人によって後に引用された影響もあり、放送時にはまだ生まれてもいなかった世代ですら知っているほどである。
ドリフターズの実質的結成40周年を記念して、2004年頃に新作を作ろうという動きがあった。ドリフターズメンバーもやる気だったのだが、残念ながら同年3月に、コントを引っ張り続けてきたリーダーであるいかりや長介が死去し、新作製作の可能性は限りなく薄くなってしまった。
加藤茶をはじめとするメンバーは、いかりやの死後もドリフターズとして活動していく旨を表明して、現在もケーズデンキのCMに出演するなど活動している。しかし既に4人ともかなり高齢であり、テレビでドタバタコントを活発にやれているのは実質的オリジナルメンバーよりも一回り若い志村けんのみであった。さらにその志村けんも2020年に急逝したため、新作製作は困難であると思われる。
志村が逝去した2020年の年末にはCSチャンネルのTBSチャンネルで年越し演目に本番組の再放送が選出され、計14時間、15エピソードを放映し、チャンネルをジャックした。
余談であるが、当時の人気アイドル、歌手、バンドが毎週多く出演し歌を披露していた番組であったため、その映像資産が、今日ではTBSにおける1970年代~1980年代の歌謡曲の映像アーカイブスとして、「ザ・ベストテン」「輝く!日本レコード大賞」と並んで懐メロ番組などで活用されている。
この番組で生まれた有名なギャグやフレーズ
- 「おいっす!」
- 「チョットだけよ~」
- 「志村~!後ろ!後ろ!」
- 「カラスの勝手でしょ~」
- 「風呂入ったか~?歯を磨いたか~?」
- 「最初はグー!」
- 「マダムヤ~ン!」
- 東村山音頭
- ヒゲダンス
- ドリフの早口言葉
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
TBSテレビ系列 土曜夜 伝説のラインナップ |
昭和50年代前半 まんが日本昔ばなし(MBS)|クイズダービー|8時だョ!全員集合|Gメン'75 |
昭和60年代前半 まんが日本昔ばなし(MBS)|クイズダービー|加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ|日立 世界ふしぎ発見! |
- 9
- 0pt