シービークインとは、1973年生まれの日本の競走馬である。重賞を3勝もした名牝であり、ドラマチックすぎる馬生を送ったトウショウボーイの嫁である。
主な勝ち鞍
1976年:サンスポ賞4歳牝馬特別
1977年:毎日王冠
1978年:京王杯スプリングハンデキャップ
デビュー前
当時すでに珍しくなっていた千葉産馬(千明牧場の千葉の分場)であったが、父トピオは人気薄ながらも凱旋門賞馬、母メイドウは二冠馬メイズイの姪というかなりの良血である。
当歳の夏に群馬の千明牧場(本場)へ移動。黒鹿毛の立派な馬体と、一人(?)息子にも受け継がれた端正な顔立ちに綺麗な目をしていて、牧場長は一目見るなりこれは走ると直感したという。
初恋
府中の松山吉三郎厩舎に入厩したシービークインだったが仕上がりが遅れ、4歳の1月に新馬戦でデビューした。
1番人気のその馬は快足を飛ばして逃げを打った。シービークインはそのあとをよく追ったが、余りに強いその馬に突き放されて5着に沈んだ。
シービークインの馬主はその馬、トウショウボーイの強さに感動し、何としても二頭を交配したいと思ったという。
ちなみにグリーングラスも出走していたが、あまり覚えている人はいない。
恋する乙女は強いもの
その後3戦目の未勝利戦で勝ち上がったシービークインは、オークスを狙うべくオークストライアルへ出走。鞍上は吉永正人騎手に乗り替わった。
3勝1敗ととるに足らない成績のためか16頭中14番人気であったが、吉永得意の大逃げで豪快に押し切って3馬身半差をつける圧勝。一気にオークスの有力候補にのし上がった。
本番のオークスでは4番人気ながら外枠を引いてしまい、先頭を獲れずに先行策に出る羽目になったものの、直線で抜け出してよく粘り、3着と好走。秋に望みを持たせて春シーズンを終えた。
恋煩い
エリザベス女王杯を目標として東京タイムズ杯から始動したシービークインだったが、腰に不安を抱えて12着と大敗。エリザベス女王杯にも出走はしたものの、8着とこれまた惨敗してしまった。
トウショウボーイが大活躍する一方、シービークインは泥沼の連敗地獄に陥り、5歳の夏まで実に9連敗。両馬の差は開く一方であった。
女盛り
しかし、5歳の9月に再び吉永正人が騎乗し、1000万下初秋特別を勝利してオープンに復帰。次走は強気に毎日王冠を狙った。
トウフクセダンやカーネルシンボリといった重賞クラスの牡馬がずらりと並んだ同レース、シービークインは得意の逃げで粘りに粘り、直線でトウフクセダンに追い抜かれながら再び抜き返すという圧巻のレースで見事優勝。2分0秒2はコースレコードであった。
ちなみにこの勝利から2週間後、吉永騎手はシービークインの活躍に元気づけられた夫人と結婚している。
その後の秋シーズンは不振に終わったが、6歳となった1978年、トウショウボーイの引退式が行われた1月8日に1400万下ニューイヤーSを3着とすると、東京新聞杯、中山牝馬Sを連続2着。勝ってはいないがまずまずの滑り出しを見せた。
さらに4月の京王杯スプリングハンデキャップでカネミノブを打ち負かして重賞3勝目を達成。その後故障で休養に入ったが、復帰することなく引退を表明した。
通算22戦5勝、獲得賞金9710万円。当時の短距離路線の牝馬としては十分すぎる成績である。
駆け落ち
引退してもちろん繁殖牝馬となったシービークイン。種付け相手は言うまでもなくトウショウボーイである。しかし、二頭の間には大きな壁が立ちはだかる。
浦河の千明牧場でシービークインは繁殖牝馬になったのだが、対してトウショウボーイは日高農協の馬で、組合員の牧場の馬しか種付けできなかった。
しかし、トウショウボーイは内国産であるせいであまり人気がなかった。そこへ若くて重賞3勝のシービークインが種付けしたいというのだから、これはトウショウボーイ側にとっても大きなチャンスであった。
何としても種付けさせたかった担当者は、なんと組合に黙って勝手に種付けしてしまった。当然すごく怒られたらしいが、後になってトウショウボーイは大人気となり、逆に褒められたという。
人間でいえば中学生くらいの歳で出会った両馬が大人になり、巡り巡って駆け落ちしたようなもので、なんともドラマチックである。
一粒種
さて、組合のおっさんがどんなに怒っても、シービークインに宿った仔馬はどうしようもない。無事に生まれたその仔馬、やや小柄だが、母親似の美しい目と馬体に父親譲りの美しいフォーム、両馬からたぐいまれなスピードを受け継いだ。
両馬のいいところばかり似たその馬は、吉三郎師の息子、康久師に預けられ、母親同様吉永騎手を背に恐ろしい追込みで三冠馬となった。その一粒種こそ競馬史上最も格好いい馬、ミスターシービーである。
シービークインはその後何度か種付けされたが、死産で繁殖能力を失い、ミスターシービー以外の産駒を残さず1989年に繁殖牝馬を引退。"トウショウボーイに操を通した"と言われた。なんともドラマチックである。
その後
その後は故郷で功労馬として静かに過ごしていた。しかし1999年、隣の放牧地に一頭の馬がやってきた。種牡馬を引退した孝行息子、ミスターシービーであった。
普通乳離れした馬の母子は一生離れ離れだが、二頭は関係者の粋な計らいで母子水入らずの余生を送れたのだった。なんともドラマチックである。
2000年にミスターシービーに先立たれたシービークインは、2004年に死去。31年のドラマチックな馬生を終えた。
ダイタクヘリオスとダイイチルビー、オグリキャップとホーリックス、メジロマックイーンとサンデーサイレンスなど、競馬界には思い叶わぬカップルが実に多い。そんな中逆境をはねのけて無事結ばれたシービークインは実に幸せな馬である。
血統表
*トピオ 1964 黒鹿毛 |
Fine Top 1949 黒鹿毛 |
Fine Art | Artist's Proof |
Finnoise | |||
Toupie | Vatellor | ||
Tarentella | |||
Deliriosa 1956 鹿毛 |
Delirium | Panorama | |
Passed Out | |||
La Fougueuse | Admiral Drake | ||
La Foux | |||
メイドウ 1965 鹿毛 FNo.9-h |
*アドミラルバード 1952 黒鹿毛 |
Nearco | Pharos |
Nogara | |||
Woodlark | Bois Roussel | ||
Aurora | |||
メイワ 1958 栗毛 |
*ゲイタイム | Rockefella | |
Daring Miss | |||
*チルウインド | Wyndham | ||
Heart of Midlothian | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Vatout 5×5×5(9.38%)、Blenheim 5×5(6.25%)、Plucky Liege 5×5(6.25%)、Hyperion 5×5(6.25%)
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関連項目
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