前田日明とは、日本のプロレスラー(日本国籍)である。大阪府出身。
「格闘王」「黒髪のロベスピエール」「壊し屋」などの二つ名がつけられていた。
概要
もともとは在日韓国人三世で、高日明(コ・イルミョン)という韓国名と、前田明という通名を持っていた。「前田明」が初期のリングネームである。
子供のころに初代ウルトラマンの最終回を見て、ウルトラマンがゼットンに倒された姿を見て衝撃を受け、自分が強くなって怪獣をやっつける、という決意のもと少林寺拳法や空手を学んだという。
少年期は手のつけられない不良であったが読書好きでもあり、旧日本軍を題材にした軍記をよく読んでいた。
佐山聡にスカウトされ新日本プロレスに入門すると、順調に成長しトップ級の序列へと駆け上がった。192センチの、ヘビー級でありながら均整の取れた長身から鋭いキック攻撃を繰り出し、美しいブリッジを描く多彩な投げ技(当時は七色のスープレックスと呼ばれたが、実際には10種類以上使っている)を決めることもできた。ただし実際には受け身の取りにくい投げを打つなどするため危険な部分もあったようである。
ただいずれにしても間違いなく言えることは、当時の客から見れば強さへの幻想と華のあるTOPレスラーであった事。端正な顔立ちから女性人気もあったという。会社や同業者からみれば非常に厄介なトンパチ(頭のネジが飛んだような危険な真似を仕掛けてくるやつ)であったにも関わらず、当時はプロレスがショービズ・ワークマッチと格闘技・シュートマッチの境目をあいまいにしていたことも問題をこじれさせていたと言える。21世紀であれば、前田日明のような「相手に悪びれもせず怪我をさせることをいとわない」プロレスラーは禁忌である。
向こうっ気の強い性格だったことと、団体内の政治抗争に巻き込まれた部分とが災いして、いくつかの伝説的なシュート・不穏試合(セメント)の担い手になってしまった。
アンドレ・ザ・ジャイアントに試合中突然潰されかけたのを、足蹴り主体で仕掛け返した試合と、タッグマッチ中に長州力の顔面に蹴りを見舞って眼底骨折させた試合、この2試合がよくも悪くも伝説となっている。
リアル格闘技志向だったとされ、UWFプロレスへの移籍、出戻り、さらにその後の新日本解雇(原因は上記の、長州への顔面蹴り→会社が出場停止処分の解除と引き換えにメキシコ修行と減俸を飲むよう提示→前田が拒否)を経て新生UWFを旗揚げするも、これが分裂しリングスという総合格闘技黎明期の団体を発足させ、そこで引退(アレクサンダー・カレリンとの引退試合)まで活動した。2008年にアマチュア総合格闘技団体 THE OUTSIDERを発足し人気となった。この団体の出身者に朝倉未来、海兄弟や吉永啓之輔、佐野哲也などがいる。
総合格闘技団体の顔でこそあったが、実は彼が総合格闘家というカテゴリーに入れてよいか?については、論争がある。生涯一度も、ブックのない試合をしたことがないのではないかという疑惑が付きまとっているからである。
スポーツライターの中にも熱心なファンと強烈なアンチの両方があり、「自分は前田を有能(無能)だと思っている」というだけのテーマで書かれた本が複数ある。独特のキャラクターはマンガやお笑いの世界にも影響を与えた。
備考
在日韓国人であった彼だが、自分のルーツである韓国を訪れたあと、1983年に日本国籍に帰化した。本名が「前田日明」となったのはこのころからである。思想的には韓国人をルーツに持ちながらも韓国的・あるいは在日的なメンタリティをかなり嫌っており、右派寄りの言論が目立っている。人気絶頂期には文化人のような扱いを受けており、坂井三郎と対談したこともある。
実は民主党政権時代に、参議院選挙に立候補する予定があった。ところが推薦する民主党と激しく対立して立候補は流れた。前田が外国人参政権に反対していたからである。
得意技
関連動画
関連項目
- 聖戦士ダンバイン(OPテーマをつぎはぎしたものを入場曲で使っていた)
- 高田延彦
- 長州力
- アントニオ猪木
- 新日本プロレス
- リングス
- Captured(後期入場曲)
- 総合格闘技
- PRIDE(リングスの選手を引き抜かれ険悪関係に。PRIDE崩壊後も恨み節を言っている)
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