小烏丸(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞-online-」に登場するキャラクターである。
概要はここに巡り来たる
古来、重宝として名高い太刀。
一説では日本の刀剣が日本刀と呼ばれる形になる成立過程にある一振り。
故に、烏の童子を想わせる姿で励起されるが、
他の刀剣たちは言わば我が子であり、自らはその父として振る舞う。
(公式Twitterより)
刀種は太刀。
2016年11月18日~21日まで鍛刀キャンペーンによる先行実装が行われ、All960(くろう=Crow=カラスの語呂合わせ?)・All529などの様々なレシピが発見されたが、札と資材全部溶かした審神者を多数輩出した。もはや恒例行事である。その後11月24日~12月15日の期間限定イベント「秘宝の里~楽器集めの段~」にて、確定報酬(60000玉)で入手可能だった。
2018年7月3日より入手方法に大きな変更が入り、鍛刀および5-1ボスマス・7-3通常マスでのドロップでの入手が可能となった。
人ならざるもの感の強い、細身の美少年。名の通り、烏の翼を思わせる特徴的な髪型をしている。
瞼には紅、目の下に黒い点を化粧、唇にも紅を差し、妖艶な雰囲気を纏っている。
戦装束では緋色と黒の水干風の和装を纏い、足元は裸足である。内番でも黒の簡素な衣装となっており、和の趣が強い。
これは「平家物語」において、平清盛が市井に放って間者として用いた禿(かむろ)という少年達が元ネタではないかと思われる。
鷹揚な台詞回しと声で自らを「父」と呼び、公式での紹介通り、刀剣の父としての発言が多い。
また内番も律儀にこなし、畑当番ともなれば「よもや、父の前でさぼろうなどと考えてはおるまいな」と相方に対して釘を刺す。聞いているかそこの鶯丸
一方で空とぼけた発言もあり、万屋に連れて行けば「酒が飲める店ではないのか。いやいや、成人から千年以上経っておるでなぁ」と言う。また審神者に対しては丁寧語を使うなど、決して人を無視して驕った存在ではない。
戦ではボスマス到達時に「大将首は昔から一番の名誉」などと、少々物騒な一面も見せる。中傷、及び真剣必殺では目のやり場に困りそうなほど衣装が破れ、玉の肌を露わにする。
誉を取ると「亀の甲より烏の年よ」とすっとぼけるが、本質はやはり刀剣といった所か。
獅子王(刀剣乱舞)と共に出陣すると回想が発生。
「じっちゃんが大好き」と発言する獅子王に対して「ならば父こそじっちゃんとして崇めるに値するぞ」と鷹揚に許可するが、「お前のようなじっちゃんがいるか」とばかりに返されてしまう。
しかし当人は怒る様子もなく反抗期かとボケをかましつつ、「内実を取ればお前自身がじっちゃんになってしまう」(※獅子王は平安生まれ)と的確なツッコミを入れるなど、なかなかお茶目な所を見せた。
史実を見守るのも、父の役割よな
奈良または平安時代の刀工・天国(あまくに)作とされる刀。
日本刀剣の祖とされる伝説の刀工であり、その経歴には謎が多い。
天国作の他にも、桓武天皇の御代、御所に現れた八咫烏が伊勢神宮の使いを名乗り、刀を献上したという伝承が存在する。この時、八咫烏の羽から出てきた刀である事から「小烏丸」と名付けられたとも。
最大の特徴は、その切っ先にある。
剣(つるぎ)から刀への変遷を示すかのように、刀身の中程から切先にかけてが両刃となっている。また、ゆるやかな反りこそあるが、切っ先はほぼ真っ直ぐになっている。
これは「鋒両刃造(きっさきもろはづくり)」または「小烏造(こからすづくり)」と呼ばれ、切断と刺突の両方に向いているとされる。
平家の総領・平貞盛が平将門・藤原純友らの反乱鎮圧に当たり、朱雀天皇より拝領。以後は平家一門の重宝となって代々伝えられたという。
また、平貞盛の息子(養子)である平維茂(鶴丸国永の主)が鬼女・紅葉を退治した際に使われたとも伝えられる。この伝承は歌舞伎「紅葉狩」や落語「小烏丸」にも反映されている。
しかし寿永4(1185)年の「壇ノ浦の戦い」で平家が滅亡した後、行方不明になった。一説には海中に沈んだとも伝えられる。
それから約500年後の寛永12(1635)年、平家の流れを組む伊勢家が「小烏ノ太刀」を所蔵していた事が、肥後細川家に伝わる文書を編纂した「細川家文書」に記されている。この伊勢家は足利以来、殿中の礼法の伝承を行っていた家だという。
その後、伊勢家当主・伊勢貞衛が、3代将軍・徳川家光に小烏丸を献上する旨を申し出、一度は台覧されたという。しかし献上自体は成らなかった。
それから150年後の天明5(1785)年、伊勢家から小烏丸および拵を記した絵図が幕府に献上されている。しかし小烏丸と拵はそのまま同家に所蔵された。
明治維新後に同家を離れ、対馬国を治めていた大名家・宗氏に買い取られる。明治15(1882)年に宗重正伯爵より明治天皇に献上され、御物となった。
現在は拵と共に宮内庁委託品として、国立文化財機構で保管されている。
この他、源氏の重宝であった膝丸(当時は吼丸)が熊野別当の手に渡った後、残された髭切(当時は獅子ノ子)の対となるべく打たれた「小烏」など、同名・類似名の刀の物語は多い。
どれ、主よ。この父に関連動画を見せてみよ。
関連項目が来たか。どれどれ、この父が見てやろう。
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