植木等とは、昭和を代表するコメディアン、俳優、ギタリストである。
ハナ肇とクレージーキャッツのボーカリストであり、グループ最大の人気を誇った。
概要
ハナ肇とクレージーキャッツのフロントマンであり、「お呼びでない?」というギャグは一世を風靡した。彼を主役にした東宝映画の「無責任シリーズ」「日本一の男シリーズ」で、太平洋戦争後に起こった日本の高度経済成長期を代表する時代のアイコンとなり、今でも当時を回顧する際にイメージが引用されるほどの影響力を残す。
クレージーキャッツとしての活動からソロ活動に軸足を移してからは、喜劇俳優のみならず性格俳優としても評価されるようになる。
1990年初頭にクレージーキャッツ再評価で再び脚光を浴び、往年を知らない若いファンも獲得した。
経歴
1926年、愛知県名古屋市に生まれる。
父は浄土真宗大谷派の僧侶であり、反差別運動や反戦運動に傾倒していた。それ故に当時の特高警察に治安維持法違反で何度も逮捕・投獄されていた。そんな正義感の強い父の影響から、当初は僧侶になろうと小僧として修行するために少年時代より上京。
しかしその東京で音楽と出会う。仏教教育に関係が深かった東洋大学に進学後、バンドボーイとしての活動を始める。この頃に終戦を迎え、戦後すぐには進駐軍のキャンプやジャズ喫茶などを回って実績を積む。
1957年、バンドボーイ時代から顔見知りだったハナ肇の所属する「キューバン・キャッツ」に移籍。谷啓もこのバンドに在籍しており、後に「ハナ肇とクレージーキャッツ」へ改称してコミックバンドとなった。
クレージーキャッツが専属契約していた当時新興芸能プロダクションの渡辺プロダクションは本放送が始まったばかりのテレビに可能性を見出し、クレージーキャッツを積極的にテレビ出演させる。「おとなの漫画」(フジテレビ)や「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)でクレージーキャッツは一躍大ブレイク。バンドとしても「スーダラ節」「ドント節」「だまって俺について来い」などを大ヒットさせ、その地位を不動のものとさせる。
テレビのみならず映画でもクレージーキャッツ出演の「無責任シリーズ」(東宝)をヒットさせた。
植木等自身は物静かで生真面目、責任感の強い性格であるが、「無責任シリーズ」で演じた能天気で破天荒なバイタリティ溢れるキャラクターがパブリックイメージとして定着してしまい当初はひどく苦悩した。「スーダラ節」を歌う事になった際、そのあまりにもお気楽な歌詞の内容から真剣に悩んだのだが、父と相談したところ「この歌詞は浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の教えそのものだ。がんばってこい!」と諭され、このキャラクターを受け入れる決意を固めた。
1960年代に人気の頂点を極めたクレージーキャッツであったが、次第に後輩バンドであるザ・ドリフターズに人気を奪われていく。1970年代からはソロ活動を本格化させ、植木もそれまでの喜劇俳優のみならず性格俳優としても活躍するようになった。石井聰亙監督の「逆噴射家族」や黒澤明監督の「乱」などの話題作、「ザ・ハングマンシリーズ」(朝日放送)といったテレビドラマに出演する。
1990年、「スーダラ節」などクレージーキャッツ時代の代表曲をメドレー形式でリメイクした「スーダラ伝説」を発表。これがオリコンチャート最高10位を記録するヒットを飛ばし、「NHK紅白歌合戦」に23年ぶりの出場を果たす。この一連の流れの中でクレージーキャッツ時代の植木も再評価され、新しいファンを開拓した。
晩年は肺気腫と前立腺がんを患いながらも俳優活動を行っていたが、2007年3月27日に呼吸不全で逝去。享年80歳。
自身が亡くなる3ヶ月前に逝去した、クレージーキャッツ時代からの盟友の青島幸男の葬儀に酸素呼吸器を装着して参列したのが公の場で見せた最後の姿となった。
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関連項目
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