黒澤明とは、日本・東京府荏原郡大井町出身の映画監督である。日本映画の巨匠の一人。日本では「世界のクロサワ」と呼ばれた。
概要
黒澤を含む数人で執筆し登場人物を細かく分析・描写した脚本や、セットの外面から小道具など細かい部分に至るまで考証を求めたこと、迫力を出す為に行った革命的な映像技術(下記)など逸話が数多い監督であるが、日本の偉人の一人に数えられる人物で、現代の日本人でも一度くらいは名前は聞いたことがある人が殆どであるだろう。また海外での知名度も未だに抜群な存在であり、外国人が日本のイメージについて答えた場合「サムライ、フジヤマ、クロサワ、スシ」となる場合が多い。おそらく。
なお映画界においては日本映画のみならず世界中の映画監督の多くがリスペクトを公言しており、ジョージ・ルーカスの代表作『スターウォーズ』は黒澤映画へのオマージュシーンが多いことでも知られる。またスティーブン・スピルバーグやマーティン・スコセッシ、クリント・イーストウッドなども黒澤映画の大ファンである。クリント・イーストウッドに至ってはカンヌ映画祭で群衆の中から黒澤の前に突然現れ感謝の意を述べたことや、『硫黄島からの手紙』の構想中に「監督は黒澤明だったら完璧なのに」と発言したという逸話が存在するほど。
代表作の『七人の侍』や『乱』『用心棒』などから、時代劇の映画監督と言う印象を持つ人が多いと思うが、実は現代劇も数多く制作しており、特に社会派サスペンスに関しては後続の数多くのサスペンス映画に多大な影響を与えている。
経歴
元は画家を目指していたが、26歳(1936年)の時に画家に見切りをつけて、PCL映画製作所(後の東宝)の助監督募集を倍率がほぼ100倍の中を突破。
1942年公開の映画、『翼の凱歌』では外山凡平と共に脚本を手掛ける。
1943年『姿三四郎』で監督デビュー。1948年に後に黄金コンビと呼ばれるようになる三船敏郎が出演する『酔いどれ天使』が公開。以降16年間、『生きる』以外に主に主演で三船を起用している。
1950年の『羅生門』が1951年度のアカデミー賞名誉賞(現在の外国語映画賞)、ヴェネチア国際映画祭で最高栄誉の金獅子賞など世界的な賞を数多く受賞・ノミネート。黒澤の出世作となる。
1954年には破格の製作費で製作された『七人の侍』が公開。現在では、同時期に公開された『雨月物語』、『ゴジラ』と並び世界映画の傑作としての評価をされている。
1960年には自らの独立プロダクション“黒澤プロダクション”を設立。『悪い奴ほどよく眠る』『用心棒』『天国と地獄』などが公開。この時期よりハリウッドなど海外からのオファーを受けるようになる。
1965年、『赤ひげ』が公開。この作品にて三船とのコンビが解消。『赤ひげ』撮影後はアメリカからのオファーを受け、『暴走機関車』の製作準備に。トラブルにより撮影前に降板となるが、その後真珠湾攻撃にいたるまでの日米軍双方の駆け引きを描いた超大作『トラ・トラ・トラ!』の製作準備を開始。撮影前に日本国内で巨大な戦艦のオープンセットが建設されたことや、山本五十六役など重要な役に演技経験のない素人を起用したこと、そして黒澤初のハリウッド映画として多方面で話題になる。1968年の12月2日より、黒澤演出による撮影が開始する。
しかし、その僅か3週間後に突如黒澤は病気という理由で降板。実際には病気ではなく、制作会社側からの解雇であるといわれる。
1970年に『どですかでん』を発表。黒澤初のカラー作品となり、『赤ひげ』までの重厚な作品から一転して貧しい小市民を描いた作品となった。しかし、今までの作品のようにヒットはしなかった。公開後には自殺未遂事件を引き起こしている。またテレビ産業の発展による映画産業衰退と重なり、作品発表にブランクが生じるようになる。
その後、1975年ソ連に招かれて撮影した『デルス・ウザーラ』が公開。本作品はアカデミー賞外国語映画賞を受賞する。
1980年には超大作『影武者』を発表。勝新太郎を解雇するなどのトラブルがあったが、70歳とは思えないパワフルな演出で、カンヌ映画祭のグランプリに輝いている。1985年には自らの「ライフ・ワーク」と公言した『乱』を発表。この作品はシェイクスピアの『リア王』を原作としているが、一説では主人公の役柄・内面の設定は黒澤自らの胸中の吐露であるともいわれる。
1990年には黒澤を敬愛する映画監督マーティン・スコセッシが出演し、ハリウッドの特撮技術を取り入れて、自らの見た「夢」を映像化した『夢』が公開。翌年にはリチャード・ギアが出演した『八月の狂詩曲(ラプソディー)』が公開。1993年、随筆家の内田百閒の日常を描いた『まあだだよ』が遺作となる。
2004年には『七人の侍』をベースにした『SAMURAI7』が制作される。
逸話
- アクションシーンのスローモーション撮影を多様する。
- アクションシーンを望遠レンズで撮る技法を使う。
- 紅葉を表現するために、木の葉一枚一枚を赤く塗らせた。
- 雨や風、水といった自然描写の巧みである。
- 白黒映像の雨の場面で、雨の質感を出すために墨汁を混ぜた水を放水車で降らせる。
- カメラの前を人が横切るシーンの撮影に1日かけた(「七人の侍」にて)。
- 太陽に向かってカメラを向けさせる。
- 森の中を走るシーンを撮るため俳優をカメラの周りを円を描くように走らせる。
- 撮影の邪魔になった民家の2階を壊し、撮影後戻した。
- 嵐の場面を撮影する為、台風の中での撮影を強行した。
- 大量の弓矢(本物)を三船敏郎に向かって射る。
と視覚効果を得るため様々な工夫を凝らしていた。
工夫と言えば聞こえはいいが、作品のためにスタッフや役者に相当な無茶をさせていたということでもある。特に、最後の弓矢の逸話は「蜘蛛巣城」でのものだが、三船は文字通り死にかけており、後日になって酒に酔っているうちにマジギレし、散弾銃をもって黒澤の家に押しかけたほどであった(三船は酒癖の悪いことで有名だが、今回のみならず、裕次郎などに対してもガチで殺しにかかったこともある)。
影響
- 『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』が『隠し砦の三悪人』に酷似しており、ファースト・ラストシーンともそっくりである
- 『未知との遭遇』の砂嵐の中からジープが現れる場面は『蜘蛛巣城』
- 『レイダース/失われたアーク』で主人公が後ろ姿だけで顔を見せない冒頭は『用心棒』
- 『シンドラーのリスト』のパートカラーは『天国と地獄』。
- 『プライベート・ライアン』のオマハビーチの戦闘シーンは『乱』を模したと言われる。
作品
関連動画
関連項目
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