治安維持法とは、1925年から1945年まで存在した法律である。
また、そこから、「テロ等準備罪」を「現代の治安維持法」などと言うように、[1]「悪法」とされた法律を比喩的に治安維持法と呼ぶことがある。
概要
共産主義や国体を否定する団体を取り締まるために制定された法律のこと。後には新興宗教も取り締まり対象となるなど、適用対象が拡大していった。
1917年に、日本の隣国であるロシア帝国が崩壊し、新たに共産主義国家であるソビエト連邦が成立した。このように、日本の隣国が共産化したことや、日本国内でも労働運動など左派的な動きが顕在化してきたことなど、日本は共産主義の脅威に晒されることとなった。そこで、共産主義者や活動家を取り締まるために制定された法律のこと。普通選挙法と同時に制定されたため、「飴と鞭」の関係性としてよく取り上げられる。
1930年代以降になると共産主義者の活動は下火になり、取り締まりの対象を失ったかに思えたが、次は新興宗教なども取り締まりの対象とされた。このため、創価学会やセブンズデー・アドベンチスト、大本などのカルトとされた宗教も信者や教祖が逮捕されている。創価学会の教祖牧口常三郎もこれで逮捕されている。
太平洋戦争に入ると、挙国一致体制に反する戦争反対論者まで容赦なく逮捕するようになり、「鵜の目鷹の目」「銭湯での雑談すら筒抜け」という監視網で言論弾圧を引き起こすこととなった。
最高刑は死刑であるが、意外なことに純粋な治安維持法違反で死刑になった人はいない。創価学会教祖の牧口常三郎や三木清などは、死刑になったわけではなく獄中死であるし、ゾルゲなども別の法律違反で死刑になっただけである。
1945年、太平洋戦争の敗北に伴うGHQの占領政策の下で廃止された。
評価/そこまで悪法だったのか
死刑にこそなった人はいないものの、牧口常三郎や三木清、小林多喜二などの有名人を含む多数の人物がこの法律で逮捕され獄死したこともあって、おおむね批判的な目で見られることが多い。現代日本では悪法の代名詞的な存在になってしまっている法律である。
一方で、「日本の共産化を防いだ」ということで評価する声もある。当時の日本は、左派的な運動やロシア革命など、本当に共産主義革命が日本でも起きてしまうのではないか、という危機感があった。共産主義国家において様々な虐殺や人権侵害が行われてきたことを考えれば、日本においてももし共産主義革命が起きていたら、どんなに恐ろしいことが起きていたかは想像に難くない。
「治安維持法は今日的な視点で考えれば法律が特定の思想を取り締まるなど、民衆弾圧のために制定された『天下の悪法』とされているがそれは大きな誤解であり、当時の状況を鑑みなければその本質は見えてこない(中略)共産主義思想を防御するという治安維持法本来の目的、共産主義革命は残虐行為を伴うものだという二点を考えれば一概に悪法と決めつけるのは間違いだ」
- 渡部昇一 -
と、中西輝政や福田和也、渡部昇一や藤岡信勝などは一定の評価を下している。
アメリカ合衆国には共産主義者取締法が現在も有効な法律として残っている。(もっとも、アメリカ共産党は存在しているが)
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脚注
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