租税義務説とは、租税が課される根拠についての学説の1つである。単に義務説ということもある。
租税義務説とよく似た学説は、租税会費説(会費説)である。
租税義務説と同一視されることが多い学説は、租税能力説(能力説)である。
租税義務説に影響を与えたとされる学説は、租税犠牲説(犠牲説)である。
本記事では、租税義務説だけでなく、租税会費説や租税能力説や租税犠牲説も合わせて記述する。
概要
定義
租税義務説は、「政府は公共サービスを提供する義務があり、その財源を確保するため課税権を持つのは当然のことである。また国民は政府の財政を支える義務があり、その義務を果たすため納税の義務を負うのは当然のことである」と論ずる学説である。
基礎となる税制思想
租税義務説の基礎となる税制思想は、租税財源説(税金は財源)である。
性質
政府は一方的に無償で徴税し、政府は一方的に無償で公共サービスを行う。租税と「公共サービスを受ける権利」が等価交換されるという考え方を捨て、租税と公共サービスがそれぞれ独立して実施されるという考え方である。非商業的・非貿易的な考え方である。
「国民と政府は対立する概念ではなく、国民は政府に協力するものであり、国民と政府は運命共同体である」という意識や、「国民はただ単に公共サービスを受ける存在ではなく、政府の公共サービスの提供を支援する立場である」という意識や、「国民はただ単に公共サービスの対象となる存在・客体であるわけではなく、公共サービスの提供者・主体といってよい存在である」という意識が強いと、租税義務説に傾いていく。
長所
租税の税率を決める議論のとき、「政府の財政的要求」という具体的で計算しやすい要素を基礎にすることができ、明快で正確な議論になりやすい。
租税義務説は、後述の租税能力説を呼びやすく、政府の税収を増やしやすい。租税能力説によって担税力(租税を支払うことができる経済能力)に応じて課税することができる。
短所 国民の積極的国政参加や自発的納税倫理を促進しにくい
「租税というお金を払うことと公共サービスを受けることは全く別であり、分離している」という考えなので、公共サービスの内容などに興味が及びにくく、国民が積極的に国政参加しようという気運が生まれにくく、日本国憲法の基本原理とされる国民主権の考えに合致しない。
「納税は義務である」とはっきり宣告するものなので、自発的納税倫理を醸成しにくい。嫌々ながら納税する、しかたなく納税する、という気分になる。
提唱者
租税義務説に近い租税犠牲説を提唱したのは19世紀英国のジョン・スチュワート・ミルである。
19世紀ドイツのアドルフ・ワーグナーが租税義務説を大成したとされる。アドルフ・ワーグナーはドイツ財政学の大家であり、彼に続くドイツ財政学は租税義務説を支持するものが大勢を占めた。
明治憲法や日本国憲法への導入
明治憲法はドイツ・プロイセンの憲法を参考にして起草され、1890年に施行された。その第21条は「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス」という条文になり、租税義務説を示すことになった。
明治憲法の起草者の中心だった伊藤博文は、ドイツに渡ってローレンツ・フォン・シュタインという財政学者・法学者のもとで憲法学を学習している。
こうした経緯もあって戦前日本の帝国大学で教える財政学はほとんどがドイツ財政学だった[1]。つまり、租税義務説を支持するような財政学が日本に定着していたのである。
日本国憲法は1947年に施行された。その第30条は「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負う」という条文になり、引き続き租税義務説を示すことになった。
「国民主権の下で、基本的人権を確保するため、国家の存立を図るには、国民は能力に応じてその財政を支えなければならないのは当然で、本条はその当然の義務(liable)を明示するものである」と憲法の教科書に第30条のことが解説されている[2]。これは租税義務説である。
租税会費説
租税義務説とよく似た考え方として、租税会費説というものがある。
定義
租税会費説は、「租税とは、『任意に加入できる団体の活動を支える会費』のようなものである」と論ずる学説である。
性質
国家というのは任意に(自由に)参加できる同好会・サークルのようなものであり、租税というのは同好会・サークルの会費のようなものである、と説明する。
同好会・サークルでは「会員は同好会・サークルのサービスを享受する『お客さま』などではなく、むしろサービスの提供者の一部なのだ」という考え方になりやすい。これは「国民はただ単に公共サービスを受ける存在ではなく、政府の公共サービスの提供を支援する立場である」という租税義務説をもたらす考え方と似ている。
批判論と擁護論
国家というのは同好会・サークルと違って自由に脱退・加入できないものであるから、「国家は同好会・サークルのようなものである」と説明するのは無理がある、という批判論がある[3]。
それに対し、「日本国憲法第22条で国籍の離脱が認められている。だいぶ手間がかかってあまり自由に行えないが、『日本国からアメリカ合衆国に移住して国籍を取得する、日本国を退会してアメリカ合衆国に入会する』ということは不可能ではない」と論じ、「国家を同好会・サークルのようなものと捉えるのは可能であろう」と論ずる擁護論も考えられる。
財務省と政府税制調査会が採用
財務省は令和3年6月に発行した『もっと知りたい税のこと』というパンフレットの1「税」の意義と役割を知ろうの章で、・・・まさに、税は「社会の会費」であると言えます。・・・と述べており、租税会費論を採用している。
政府税制調査会は2000年に『わが国税制の現状と課題-21世紀に向けた国民の参加と選択-』という答申をした。このページで、・・・租税は「社会共通の費用を賄うための会費」ということができます。・・・と述べており、租税会費論を採用している。
サラリーマン税金訴訟(大島訴訟)の判決文
1985年3月27日にサラリーマン税金訴訟(大島訴訟)の判決が最高裁の大法廷で行われた。このときの判決文のなかで、・・・およそ民主主義国家にあつては、国家の維持及び活動に必要な経費は、主権者たる国民が共同の費用として代表者を通じて定めるところにより自ら負担すべきものであり、・・・と語られている。
「共同の費用」という表現に租税会費説の思想が含まれているように思われる[4]。
租税能力説
定義
租税能力説は、「国民は、担税能力(租税を納めることのできる経済的能力)に応じ、租税を納める義務を負う」と論ずる学説である。
性質
国民の担税能力(租税を納めることのできる経済的能力)に応じて課税を強化できるため、政府の税収を増やしやすい。
厳密にいうと、租税義務説と租税能力説は同一の学説ではない。しかし、租税義務説が提唱されるとほぼ自動的にこの租税能力説に行き着く。このため租税義務説と租税能力説を同一視する人も多い。
応能課税と応能原則
租税能力説に基づいて課税することを応能課税といい、租税能力説に基づいて課税する原則のことを応能原則という。
1949年と1950年のシャウプ勧告で「国税は応能原則の考えのもとに導入すべきである」という考えが導入され、それ以降、2021年現在に至るまでその考えが国税の原則になっている[5]。
租税犠牲説
ジョン・スチュワート・ミル(J・S・ミル)が提唱した租税の根拠論を租税犠牲説という。
J・S・ミルは19世紀英国の思想家で、18世紀後半に租税利益説を支持した英国の思想家アダム・スミスよりも80年ほど後の人物である。
まずJ・S・ミルは、「国民が政府に対して持っている『公共サービスを要求できる権利』は平等である」と述べた。租税利益説では「高額納税者はより多くの公共サービスを享受する権利があり、低額納税者はより少ない公共サービスで我慢するべきである」というような論理が生まれやすいが、そうした論理と正反対のことを主張した。
続いてJ・S・ミルは、「それぞれの国民は、平等な犠牲を払うべきである。そうすることで社会全体の犠牲は最小になる」と述べた。このことを平等犠牲説とか均等犠牲説という。
平等な犠牲というと「すべての国民が全く同じ税額の租税を払う人頭税になるのか?」と思ってしまうが、J・S・ミルはそれを否定する。J・S・ミルは「それぞれの国民の痛みが等しくなるようにするべきだ」と述べていて、所得税の一律課税(フラットタックス)かもしくは所得税の累進課税を想定していたようである。
※この項の資料・・・J.S.ミルの財政学説における若干の重要課題に関する解釈 高木寿一、最小犠牲説と応能課税 大畑智史、『J.S.ミル研究-平等財政原則とその理論的展開-(高文堂出版社)小林里次』に対する書評 熊谷次郎
租税義務説と親和性の高い政治思想
国家有機体説
国家有機体説という国家理論と租税義務説の親和性が高いとされる。
国家有機体説を大まかに説明すると、国民と国家は一心同体であり運命共同体である、と論ずるものである。「市民社会と国家はあたかも生命体のように一体を成している」「市民社会は国家なくして機能できない」と説明される[6]。
国民による革命権は否定され、国家の絶対性・無謬性(間違いがないという性質)・永遠性が強調される[7]。
国家有機体説を最初に唱えたのはドイツのヘーゲルとされる。ヘーゲル以降のドイツの政治学者・法学者・財政学者は国家有機体説を支持する人が多いとされる。
国家有機体説が生まれた時代
ヘーゲルは1770年に生まれて1831年に亡くなったドイツの哲学者である。
この時代はドイツにとって戦火に悩まされた時代だった。まだ統一国家ができておらずプロイセン王国やザクセン王国やバイエルン王国に分かれていて、そのなかの最強国家であったはずのプロイセン王国がナポレオン率いるフランス軍に敗れた。
- 1799年 ナポレオンがフランスの第一執政統領になる
- 1804年 ナポレオンがフランスの皇帝になる
- 1806年 ナポレオンのフランス軍がイエナ・アウエルシュテットの戦いでプロイセン軍を撃破し、プロイセンの首都ベルリンに入城する
- 1807年 ナポレオンのフランス軍がアイラウの戦いでプロイセン軍の残党とロシア軍の連合軍を撃破する
この当時のプロイセンは戦争で完敗し、他国の軍隊に首都を占領されるという屈辱を味わった。「国民が国家と一体化して国力を向上させないと、他国に侵略されて国土を破壊される」という現実を目の当たりにしたドイツ人の間で国家有機体説の思想が発達した。
関連項目
脚注
- *私たちはなぜ税金を納めるのか 租税の経済思想史 新潮選書(新潮社)諸富徹 98ページ
- *日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治171ページ
- *『納税者の視点から見た日本の租税法に関する基礎的研究(Ⅰ)』餅川正雄 広島経済大学研究論集第38巻第1号2015年6月の18ページで次のように語られている。・・・現代社会は、任意のクラブ組織と違って、入会や脱退が自由でない運命共同体であり、その規模も比較にならないほど大きなものである。クラブ会費と違って租税は強制性を伴うため、負担に関する公平の問題が最大の関心事になる。また、規模が大きくなればなるほど各個人の社会への参加意識は希薄なもとなり、会費論が当てはまり難くなる。・・・
- *『租税の基礎理論―税務教育での活用を視野に入れて―(税務大学校研究部教育官 中村弘)』においても、サラリーマン税金訴訟(大島訴訟)の判決文の「共同の費用」という表現が租税会費説である、と指摘されている。
- *連載1 地方財政講座第4回 地方税の租税原則
- *『私たちはなぜ税金を納めるのか 租税の経済思想史 新潮選書』(新潮社)諸富徹 61ページ、63ページ
- *『私たちはなぜ税金を納めるのか 租税の経済思想史 新潮選書』(新潮社)諸富徹 99ページ
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