スーニ 単語

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スーニ

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スーニ(Suni)とは、

  1. イタリアの地名、イタリア共和国サルデーニャ自治州オリスターノ県に属するコムーネ(基礎自治体)。
  2. 「1」を名前の由来とする競走馬

である。ここでは2について解説する。


スーニ(Suni)とは、日本の元競走馬である。

2006年2月10日生まれ。鹿毛馬主吉田和美ノーザンファーム代表・吉田勝己の妻)。スーニ以外にも、キンシャサノキセキモーリスなどのGIを所有。

名の由来はイタリアの地名。ダートグレード競走9勝、うちGI級3勝という実績を持つ。

な勝ち
2008年:全日本2歳優駿(JpnI)兵庫ジュニアグランプリ(JpnII)
2009年:JBCスプリント(JpnI)
2010年:黒船賞(JpnIII)東京スプリント(JpnIII)
2011年:JBCスプリント(JpnI)東京盃(JpnII)サマーチャンピオン(JpnIII)兵庫ゴールドトロフィー(JpnIII)

概要

血統

Soto、Enabru、Roanokeという血統のアメリカ
アメリカで6戦5勝を挙げているが、GIIGIIIを1勝ずつ、GIへの出走経験はしと、特別立った戦績を残しているわけではないが、そのの*デヒアはGI2勝、種牡馬としてもGI数頭を輩出しており、日本でも供用された。ただ*デヒアも日本での中央重賞障害含めて3頭とさほど立った成績は残せていない。2代Deputy Ministerは、日本では名種牡馬*フレンチデピュティとしておなじみ。
アメリカで現役中は63戦9勝という戦績を残した。
アメリカカリフォルニアステークス(GI)などを勝利しているGIである。

雪の聖母の加護を受け

2歳

アメリカで生まれたスーニは、2008年のバレッツ・マーチセレクトセールで、ナーヴィック・インターナショナル名義で12万ドルで落札され、その後、吉田和美の持ちとなる。

東の吉田厩舎に預けられ、10月12日京都新馬戦に出走。内田博幸を背に2着に7身差をつけて圧勝する。次走の500万下勝利し、さらに兵庫ジュニアグランプリ(JpnII)では、中2番手を追走しめに抜け出すと、直線では外から迫るアースリヴィングの追撃を振り切って、デビュー戦から敗での勝利を手にした。次走の全日本2歳優駿(JpnI)では、好位を追走しめに抜け出して、2着のナサニエルに5身差をつけて圧勝した。内田博幸大井所属時代にフリオーソで勝って以来の制覇となり、吉田師は調教師として初めてGI級を勝利した。

3歳

3歳初戦はなんと芝のアーリントンカップ(GIII)。どうやらNHKマイルカップ標にしていたようだが、12着と大敗すると、伏竜ステークス(OP)に駒を進める。59kgという斤量を背負わされるも、中は中団を進むと直線で脚を発揮し、ゴール直前でナサニエルをクビ差で差し切り勝利を挙げた。しかし、次走の兵庫チャンピオンシップ(JpnII)では、ゴールデンチケットの2着に敗れ、続くジャパンダートダービー(JpnI)では、中を先団で追走するも、直線で伸びず6着に敗れた。

その後、レパードステークス(新設されたばかりで格付けしの重賞)に上を川田将雅に変え出走するも2着、初の古戦となる東京盃(JpnII)でも2着と惜敗が続く。次走のJBCスプリント(JpnI)では、好スタートを切ると中を2番手で追走、第3コーナーでアドマイヤスバルに交わされるも第4コーナーで盛り返し先頭に躍り出て、直線に入ると再びアドマイヤスバルに迫られるが、それを振り切って3/4身差をつけて勝利川田将雅も昨年の皐月賞勝利していたため、人共に2回GI勝利を挙げたことになる。3歳最終戦には、ジャパンカップダート(GI)を選択するが、ここでは14着と大敗する。

4歳

4歳初戦は根岸ステークス(GIII)を選択するが、トップハンデの58kgがいたのか4着に敗れ、次走のフェブラリーステークス(GI)でも9着に敗れてしまう。次走の黒船賞(JpnIII)では、斤量59kgというトップハンデを背負わされて出走。不良馬場の中を中3~4番手に付き、第3~4コーナーに入ると一気に進出、直線を向いたときには既に先頭に立っており、そのまま後続を突き放しての快勝を挙げた。その次の東京スプリント(JpnIII)では、先団の群の中を進みそのまま直線に入る。ポートジェネラルが後続に差をつけて逃げる中、スーニは群から抜け出し追い込んでポートジェネラルを差し、フジノウェーブがスーニ以上の末脚を見せるもクビ差で勝利した。しかし、次走のかきつばた記念(JpnIII)、その次走のさきたま杯(JpnIII)は共に2着と惜敗してし、さらに、サマーチャンピオン(JpnIII)4着、東京盃(JpnII)5着と立て続けに連対を外してしまう。

そして、迎えた連覇のかかるJBCスプリント(JpnI)では、2番人気に推されて出走。本年のJBC船橋競馬場での開催となったが、船橋1200mの最大出走頭数が12頭ということもあって、最大14頭まで出走できる1000mでの施行となった。距離1000mのGIレース日本史上初である。レース中、スーニは先頭集団の外につき、そのまま進んで直線を向くと追い込みを図る。しかし、先頭のサマーウインドははるか前、2着に4身差をつけてサマーウインドが圧勝する中、スーニは4着に終わった。

次走はフェブラリーステークス以来のJRAでのレースとなるカペラステークス(GIII)。ここのところ馬券に絡まないレースが続いたためか7番人気と支持を落とし、レースでも7着と敗北。4歳最終戦となる兵庫ゴールドトロフィー(JpnIII)では、2番手で追走し、一旦は先頭に立つも最後はトーセブライトに交わされ2着に終わった。

5歳

5歳となったスーニだが、スランプはまだまだ続くことになる。黒船賞(JpnIII)では9着、ポラリスステークス(OP)では13着、東京スプリント(JpnIII)11着、栗東ステークス8着と掲示板すら外すレースが続き、本年からJpnIIに格上げされたさきたま杯(JpnII)では、3着と久しぶりに掲示板に入るも、次走のプロキオンステークス(GIII)では8着になり、再び掲示板を外して敗北する結果に終わってしまった。

しかし、次走のサマーチャンピオン(JpnIII)では先行策を取り徐々に進出、4コーナー辺りで一気に抜け出し、そのまま2着のトーホウドルチェに4身差をつけて圧勝、見事スランプから脱出した。その勢いに乗って、東京盃(JpnII)に出走。レースでスーニは後方からのスタート、第4コーナーでは群に埋もれ、しかし、川田はわずかにいた最内に掛けて追い込み群から抜け出しゴール寸前でラブミーチャンを差し切って3度の挑戦にして本レースをついに制覇した。そして、JBCスプリント(JpnI)でも後方からのスタートなるも、直線では上がり3F最速の35.5という脚と発揮し、後方大外から一気にを抜き去って、3度GI勝利を手にした。このレースタイムは1分101、1980年東京盃カオルダケが記録した1分102のコースレコード更新した。この記録2023年ドンフランキー東京盃で1分100を叩き出すまで更新されることはなかった。

5歳の最終戦となる兵庫ゴールドトロフィー(JpnIII)では、59.5kgというトップハンデかつ過酷な斤量を背負うがそれでも1着となった。

6歳~8歳

6歳になると、何度か掲示板に入ることはあったものの、再び勝利から遠のく日々が続く。再び連覇をし出走したJBCスプリント(JpnI)では、先団に付き徐々に位置を前にあげ、最終直線に入ると2番手の位置から先頭のタイセイレジェンドを捉えようとするが、タイセイレジェンドはどんどん加速し突き放す。さらにセイクリムゾンにも交わされ、3着に終わった。前年王者としての意地は見せつけたが、次走の兵庫ゴールドトロフィー(JpnIII)では7着に敗れ、6歳を未勝利で終えた。

明けて7歳の始動戦の黒船賞(JpnIII)で10着に敗れた後、2013年10月23日付でJRAの競走馬登録から抹消され、船場の川島正行厩舎に移籍exit。移籍初戦のさきたま杯(JpnII)町田直希騎手を背に出走するが9着に終わる。それでも直希騎手は、「まだまだやれそうですし、使いながら良くなれば、またチャンスはあると思います」exit希望があることを示唆するが、ジャパンダートダービー以来の2000mへの挑戦となった帝王賞(JpnI)では、上を川島正太騎手上を変え出走するも、後方に位置し、直線でも伸びを欠いて1着のホッコータルマエから大差をつけられた10着と大敗した。その後長らくレースに出走することはなく、2014年9月7日川島正行調教師が逝去したことで、暫定的に川島正一厩舎に所属を変更した。そして、10月1日付で競走馬登録が抹消された。

引退後

重賞9勝、うちGI級3勝という優れた戦績を残したスーニであったが、当時はダート種牡馬の需要が低かったせいか、引退後は種牡馬にはなれず、ノーザンホースパークに移動し乗となった。

2016年ノーザンホースパークを退厩したという情報を最後に消息が途絶えており、現在スーニがどうなっているかははっきりしていない。2022年2月に「あの馬を訪ねてexit」というTwitterアカウントがスーニの写真アップしているが、このアカウント過去写真アップロードする場合もあるため(たとえば2020年に亡くなったビワハヤヒデ写真2022年に投稿しているexit)、この写真2022年に撮られたものかどうかは不明である。

余談

  • 騎手を務めた川田将雅は後年、スーニを「あのがいたから今の自分がある」とするの1頭だと評している。当時はまだ若手だった川田にとって一線級のに長く乗せてもらったことは良い経験となったようだ。2023年川田は中央・地方海外合わせて15個のダート重賞を制覇しているが、ひょっとしたら、かつてスーニに騎乗してきた経験が生きているのかもしれない。

川田「すべてのに学びがあるのは当然として、なかでもやはり『あのがいたから今の自分がある』と思える特別な存在もいます。

23歳のときに出会い、約3年半もの長きにわたり、競走生活をともに歩んだスーニもその1頭です。スーニにとって9戦となる2009年レパードS(トランセンドの2着)が初騎乗でしたが、そこから2013年船橋競馬に移籍するまでのあいだ、34戦中33戦でコンビを組ませてもらいました。今の時代であれば、1頭のとここまで濃密な時間を過ごせるなんて、なかなかわないことです。

2009年といえば、デビュー6年。前年に皐月賞を勝たせていただいたものの、まだまだ技術も経験も乏しい時代です。そんなを、スーニは全競馬場に連れて行ってくれた。しかも、一度低迷しながらまた復活していく過程を、その背中で実体験として学ばせてくれた。その結果、JBCスプリントを二度も勝たせてくれました(2009年2011年)。

1頭の競走馬が、それだけ変わっていく過程を体験させていただいたのは、スーニが初めてでした。しかもその間、ずーっと一線級にいたですからね。当時のに、あのクラスをずっと任せてくださったことには感謝しかありません。今、思い返しても本当に重な時間であり、ジョッキーとして文字通りの財産であると思っています。」

netkeiba「スーニ、アドマイヤフジ、トゥリオンファーレ――ジョッキー・川田将雅を育てた競走馬たち(前編)【In the brain】」exit

血統表

Soto
2000 栗毛
*デヒア
1991 鹿毛
Deputy Minister Vice Regent
Mint Copy
Sister Dot Secretariat
Sword Game
Subtle Fragrance
1993 栗毛
Crafty Prospector Mr. Prospector
Real Crafty Lady
My Red Wing Wing Out
Majestic Hostess
Enabru
1995 鹿毛
FNo.9-f
Roanoke
1985 青鹿毛
Pleasant Colony His Majesty
Sun Colony
Last Bird Sea-Bird
Patelin
Satin Promise
1990 芦毛
Dixieland Band Northern Dancer
Mississippi Mud
Soft as Satin Promised Land
Fanciful Miss

クロスNorthern Dancer 5×4(9.38%)

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