奇跡の旅
奇跡のようなこの長旅も
いつか終わるのだろう。気づけばここは
そうだあの場所だ。
最後にもう一枚
記念写真を撮ろう。
誇らしい微笑みとともに。
キンシャサノキセキ(Kinshasa no Kiseki)とは、2003年生まれの日本の元競走馬・種牡馬である。鹿毛の牡馬。
馬名の由来は、1974年10月30日、伝説のボクサーであるモハメド・アリがザイール共和国(現:コンゴ民主共和国)の首都キンシャサで行われた試合で、大逆転KOでヘビー級王座に返り咲いた一戦の通称「キンシャサの奇跡」から。父フジキセキとも掛かっている。
主な勝ち鞍
2008年:函館スプリントステークス(GIII)
2009年:スワンステークス(GII)、阪神カップ(GII)
2010年:高松宮記念(GI)、阪神カップ(GII)、オーシャンステークス(GIII)
2011年:高松宮記念(GI)
父フジキセキ、母*ケルトシャーン、母父Pleasant Colony。父はSS初年度産駒にして内国産種牡馬の雄。牝系も3代母に仏GI馬がおり、牝系も活発な一族。母父は米国二冠馬で種牡馬としても多彩な産駒を送り出した活躍馬。なんとも国際色豊かな血統である。
で、このキンシャサノキセキ。奇妙なことにフジキセキ産駒なのにマル外、つまり外国産馬。しかも誕生日は9月24日。競走馬の誕生は普通遅くても5月ぐらいのはず…。なんだこの馬!?
答えは簡単。キンシャサノキセキは南半球・オーストラリア産馬なのである。
知っての通り、南半球の豪州は日本と季節が真逆。馬産の時期も北半球の日本とは半年ズレているのである。つまり、日本ならば2月から4月が出産のピークになるところ、豪州での出産は8月から10月がピークになるのである。
そして、フジキセキがシャトル種牡馬として豪州に渡っていたこともよく知られるところである。先述の通り豪州と日本では馬産が半年ズレている。つまり種付けも半年ズレているわけで、日本で種牡馬がオフシーズンとなる秋ごろに南半球に種牡馬を送って種付けを行えば、効率よく種付け料が稼げるというわけ。デインヒルの成功で確立された馬産ビジネスであるが、フジキセキも豪州にシャトルされ、ドバイSC馬Sun Classiqueを出すなど一定の成功を収めた。キンシャサノキセキもシャトル先の豪州で現地の牝馬と交配された結果生まれた馬なのである。
一般的に日本にやってくる豪州産馬はデビューが遅くなることが多い。単純に日本産馬より半年生まれるのが遅い分、成長も半年分遅れるからである。一般的に馬の1年は人間の4年に相当すると言われるので、単純計算で半年とは人間でいう2年の差ということになる。年を食ってからならいざ知らず、若いうちの2年はかなり大きな差になる。従って豪州産馬が活躍するにはある程度成長が追いつくのを待たなければいけないわけである。
前置きが長くなったが、キンシャサノキセキがデビューしたのは2歳12月と、豪州産馬にしては割に早かった。しかもここをひょいと勝利。続くOPジュニアCも勝つ。しかし1番人気を背負ったGIIIアーリントンCでステキシンスケクンの6着に凹まされると、続くOP特別も断然人気を裏切り4着。NHKマイルCはロジックの大駆けの前に3着。秋にOP特別を一つ勝つがマイルCSは5着。まあ、3歳馬にしてはそこそこ、って感じで終わってしまう。4歳時も、人気は毎回集めるがいまいちなレースを繰り返し、OP特別2勝のみ。重賞では微妙な成績のままであった。
5歳になり、京都金杯で自己最悪の10着という手痛い敗戦もあったが、高松宮記念では2着に善戦。一休みした函館SSを制し、念願の重賞勝利を果たす。キーンランドCも3着にまとめ2番人気でスプリンターズSに挑むが、スリープレスナイトに全く敵わず2着に敗れる。
6歳初戦にはGIIIオーシャンSを選択。楽勝かと思われたがまさかの10着。高松宮記念も10着。一休みして挑んだスプリンターズSは過去最悪の12着。まさかの3連続2ケタ着順という惨劇になってしまう。
ところがどっこい。GIIスワンSでは先行策から伏兵アーリーロブストとの競り合いを制し久々の重賞制覇を果たすと、暮れの阪神Cも仁川の冬将軍サンカルロらを下し華麗な差し切り勝ち。6歳にしてようやく本格的に軌道に乗り始める。
明けて2010年、キンシャサノキセキももう7歳。普通ならもう引退する頃であるが、キンシャサはここからが本番だった。初戦のオーシャンSは何故か(多分ハンデ差で)ショウナンカザンに1番人気をさらわれるがレースでは貫録の勝利。前年の春秋短距離王ローレルゲレイロが不在で混沌とするGI高松宮記念に堂々1番人気で乗り込む。本番は前を見る絶好位を占め、直線で馬場の真ん中を突いて前に出る。最後は前年スプリンターズS2着のビービーガルダンをハナ差でかわし、7歳にしてGI初勝利を果たした。豪州産の日本馬のGI勝利はグレード制以降は初の快挙であった。ちなみに、豪州産馬の日本GI初勝利は1990年JCの豪州馬ベタールースンアップ。その後も香港馬フェアリーキングプローン、豪州馬テイクオーバーターゲットといった豪州産馬が日本でGIを勝っていた。
秋はセントウルSで復帰予定だったが疝痛で取消。スプリンターズSに直行し、3着に敗れたがダッシャーゴーゴーが降着となり2着に繰り上がる。マイルCSは13着と自己最悪の着順になってしまうが阪神Cでは巻き返し連覇を果たす。
翌8歳も現役を続行。オーシャンSは59kgの酷量が祟ったか2着に敗れ連覇を逃してしまうが、中京競馬場の改修工事で阪神開催となった高松宮記念では、3番人気と人気を落としながらも、積極的な競馬から最後は大斜行やらかして降着したダッシャーゴーゴーを差し切り、飛んできたサンカルロも意に介さず完勝。史上初の高松宮記念連覇を果たした。ちなみにこの2戦は短期免許で来日していたイタリアの新星ウンベルト・リスポリが騎乗しており、東日本大震災の後も日本で騎乗し続けた彼にとっても初の日本GI勝利となった。
この勝利を手土産に引退、社台SSで種牡馬入りが決まった。ただでさえ注目度の低いスプリント路線で鞍上がコロコロ変わったこともあって人気があった馬とは言いがたかったが、短期間で旬の去ることも多いスプリント路線で3年近くも上位を争い、スプリントG1連対5回は後のロードカナロアに並ぶ記録である。
種牡馬としてはやはりスプリント路線が中心であるが勝ち馬率・アーニングインデックスともに優秀な数値を出し、短距離中心であることから2歳戦にも強く常に2歳リーディングの上位に位置し、重賞馬もコンスタントに輩出して例年150頭前後の種付け数を維持するなど、フジキセキの後継として活躍した。
適性は父フジキセキ以上にダート寄りになっており、ダートでの勝ち星が芝を大きく上回っている(2022年まで中央競馬で芝168勝・ダート327勝)。
年齢もあってか2021年から種付け数を大きく減らし、2022年限りで種牡馬を引退。今後は引き続き社台SSの功労馬厩舎で功労馬として余生を送る。
後継種牡馬については、モンドキャンノが2019年から、シュウジが2022年から種牡馬入りしているがどちらも種付け数は数えるほどで、サイアーラインを繋ぐのはいささか厳しい状況。あとはダートで活躍しているサクセスエナジーが種牡馬入りできるか、これからデビューする残りの産駒から大物が出るかにかかっている。
フジキセキ 1992 青鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
*ミルレーサー 1983 鹿毛 |
Le Fabuleux | Wild Risk | |
Anguar | |||
Marston's Mill | In Reality | ||
Millcent | |||
*ケルトシャーン 1994 鹿毛 FNo.14 |
Pleasant Colony 1978 黒鹿毛 |
His Majesty | Ribot |
Flower Bowl | |||
Sun Colony | Sunrise Flight | ||
Colonia | |||
Featherhill 1978 鹿毛 |
Lyphard | Northern Dancer | |
Goofed | |||
Lady Berry | Violon d'Ingres | ||
Moss Rose | |||
競走馬の4代血統表 |
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最終更新:2025/01/14(火) 11:00
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