前田長吉とは、青森県三戸郡是川村(現八戸市)出身の元騎手である。
| 前田長吉 まえだ ちょうきち |
|
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | 日本 |
| 性別 | 男性 |
| 出身地 | 青森県三戸郡是川村 (現八戸市) |
| 生年月日 | 1923年2月23日 |
| 身長 | 146cm |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | 日本競馬会 |
| 所属厩舎 | 東京・北郷五郎 (1940) →東京・尾形景造 (1940-1944) |
| 初免許年 | 1942年 |
| 免許区分 | 平地・障害 |
| 引退日 | 1944年 |
| 重賞勝利 | 5勝 |
| GI級勝利 | 4勝 |
| 通算成績 | ?戦42勝 |
| 表彰・記録 | |
| 騎手テンプレート | |
1923年2月23日に農家の8人兄弟の7番目として誕生。幼少期から才気煥発で何をやらせても人並み以上の才能を見せ、14歳の頃までに板をしならせてスキー板を自作する、軍鶏の育成で大会の3等賞を取るなど、その道の職人が舌を巻くエピソードを多く残している。
そんな中前田は学校を卒業後自身の身長の低さもあってか競馬の世界に進むことに決め上京。東京競馬場を訪れた。前田は当時東京競馬場に厩舎を構えていた北郷五郎調教師に入門した。しかし僅か半年後に北郷調教師が亡くなってしまい、同じく北郷厩舎に所属していた田中康三騎手と共に同じく東京競馬場に厩舎を構える尾形景造厩舎に移籍している。
尾形厩舎に移籍してから2年後の1942年2月7日に見習い騎手として騎手免許を手に入れ、同年5月にデビュー。スタートから逃げてそのまま勝利してデビュー戦を勝利で飾った。この年は12戦5勝2着2回の成績であった。
翌1943年には期待馬のクリフジの騎乗を任され、東京優駿競走、阪神優駿牝馬、京都農商省賞典四歳呼馬を勝利。変則三冠を達成した。特に東京優駿に関しては現在も最年少勝利記録として今も残っている。
1944年にはヤマイワイで中山四歳牝馬特別を勝利。東京優駿でもシゲハヤに騎乗しカイソウの2着に入るなど活躍を続けた。9月末には見習い騎手から正規の騎手になっている。
正規の騎手になった直後の10月14日、戦局の悪化により軍隊から招集命令が届き、満州に出征することになった。現地では輸送を担当する輜重隊に配属されていたという。
戦後はシベリア抑留に遭い、23歳の誕生日を迎えたばかりの1946年2月28日、現地の収容所内で病死。現地で埋葬された。
遺骨は60年以上がたった2006年7月に政府の遺骨収集団が回収していた遺骨の中からDNA鑑定により発見され、青森の実家に戻ることが出来たという。
| 中央競馬の三冠達成騎手 | ||
| クラシック三冠 | 牡馬三冠 | ★小西喜蔵 | 蛯名武五郎 | ★栗田勝 | 保田隆芳 | 増沢末夫 | 武邦彦 | 郷原洋行 | 田島良保 | 菅原泰夫 | 中島啓之 | ★吉永正人 | ★岡部幸雄 | 柴田政人 | ★南井克巳 | ★武豊 | 河内洋 | 四位洋文 | 横山典弘 | ★池添謙一 | 内田博幸 | 岩田康誠 | 川田将雅 | ミルコ・デムーロ | クリストフ・ルメール | ★福永祐一 |
|---|---|---|
| 牝馬三冠 | 前田長吉 | |
| 変則三冠 | 前田長吉 | |
| 中央競馬牝馬三冠 | 嶋田功 | 横山富雄 | ★河内洋 | 松永幹夫 | 武豊 | ★幸英明 | 本田優 | 池添謙一 | 安藤勝己 | ★蛯名正義 | 岩田康誠 | 福永祐一 | ★クリストフ・ルメール | ★松山弘平 | ★川田将雅 |
|
| 古馬三冠 | 春古馬 | 達成者無し |
| 秋古馬 | 和田竜二 | オリビエ・ペリエ | |
| ★は同一馬による達成者。変則三冠、古馬三冠は同一年達成者のみ。 | ||
| 騎手テンプレート | ||
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最終更新:2025/12/11(木) 00:00
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