和田竜二(わだ りゅうじ)とは、滋賀県栗東市出身の日本の騎手である。
和田竜二 わだ りゅうじ |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
性別 | 男性 |
出身地 | 滋賀県栗東市 |
生年月日 | 1977年6月23日 |
身長 | 165cm |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 | 栗東・岩元市三 (1996.3-2010.4) →栗東・フリー (2010.4-) |
初免許年 | 1996年(28年目) |
免許区分 | 平地 |
重賞勝利 | 66勝 |
GI級勝利 | 11勝 |
通算成績 | 21,508戦1,567勝 (2023年9月現在) |
表彰・記録 | |
騎手テンプレート |
1977年、滋賀県栗東市に生まれる。父は栗東トレーニングセンターで働く厩務員で、後に競馬学校で同期となる高橋亮(元騎手、現調教師)とは小中の同級生かつ、同じ乗馬クラブに通う友人であった。また同じクラブには1歳年上だが後に同期となる福永祐一もいた。
競馬学校では上記の福永・高橋のほかに古川吉洋、常石勝義やJRA初の女性ジョッキーである牧原(増沢)由貴子・細江純子・田村真来の3人、JRA初の双子ジョッキーである柴田大知・未崎兄弟といった面子が同期となった。福永の父が天才ジョッキー福永洋一であり、彼が『馬事公苑花の15期生』(洋一の他に岡部幸雄・柴田政人といった名ジョッキーがいる黄金世代)であったことから、この世代は後に『競馬学校花の12期生』と呼ばれるようになる。
1996年に競馬学校を卒業して岩元市三厩舎で騎手デビュー。12月にはステイヤーズステークスを自厩舎のサージュウェルズで制覇し、花の12期生で一番乗りとなる重賞制覇を成し遂げた。最終的にこの年は33勝を挙げ、53勝を挙げた福永には及ばないまでも同期の中では2番目の勝利数で、中央競馬関西記者クラブ賞を受賞した。
2年目にはこれまた自厩舎のテイエムトップダンで毎日杯を制覇し、同馬でクラシック三冠全レースに挑戦した(結果は順に12着・13着・7着)。クラシック三冠は残念な結果に終わったものの、関西若手のホープとして徐々に名を挙げていくようになる。
デビューから3年目、岩元厩舎に入厩してきた栗毛の馬がいた。その馬は、テイエムオペラオー。厩舎の主戦であった和田は、最終的にオペラオーの全レースの手綱を執ることになる。
夏の新馬戦を2着に敗れると骨折が判明し、次戦は年明けになり足元を考えダート戦へ転向。ダート2戦目で勝ち上がると、そこから芝に戻って500万、毎日杯を連勝。皐月賞では外から一気の差しで完勝。4連勝で人馬ともにGI初制覇を成し遂げた。余談だが前週には福永祐一が桜花賞をプリモディーネで制しており、GI初制覇では彼に先に越されたことになる。12期生で一番最初にGIを勝ったのは古川吉洋(アインブライドの阪神3歳牝馬S)なのは忘れられがち。
しかしダービーでは早仕掛けがたたりナリタトップロード、アドマイヤベガに差されての3着。菊花賞では逆に仕掛け遅れて直線すぐ先頭に躍り出たナリタトップロードを捕えきれず2着と、和田のミスで残りの2冠を落としてしまう形となった。特に菊花賞後はテイエム軍団のオーナーである竹園正継氏も大激怒で岩元調教師に乗り替わりを求めた(ちなみにこの時の乗り替わり候補は武豊だったらしい)。しかし岩元調教師も師匠の布施正師に我慢して乗せてもらったことでダービージョッキーまでなったこともあり、和田騎手を一人前に育て上げたい一心で「どうしても乗り替わりと言うなら、転厩していただくしかない」と拒否した。
元々岩元調教師と竹園氏は幼馴染で親交が深かったこともあり、竹園氏が折れる形で和田の続投が決まった。ステイヤーズステークスは2着、有馬記念は3着と敗れこの年を終えるものの、有馬記念ではグラスワンダー、スペシャルウィークをクビ差まで追い詰める僅差の競馬を見せ、翌年以降に飛躍を予感させて終えることとなる。
そして翌年、初戦の京都記念を勝つと和田は竹園氏からこんな言葉を受けた。
「今年はもう負けるなよ、全部勝てよ」
彼は(もう負けられへん、負けたら終わりや…)と覚悟し、鬼気迫る思いでオペラオーに騎乗した。その気迫がオペラオーに伝わったのか、オペラオーと和田は連戦連勝。終わってみればこの年は古馬王道GI(天皇賞(春)・宝塚記念・天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念)全5勝を含む8戦8勝のグランドスラムを達成。翌年は勝利こそ天皇賞(春)のみに終わるものの、宝塚記念・天皇賞(秋)・ジャパンカップでは2着を確保し、獲得賞金世界最高記録(当時)を残してオペラオーは引退した。引退式で彼は「オペラオーにはたくさんの物を貰ったが、あの馬には何も返せなかった。これからは一流の騎手になって、オペラオーに認められるようになりたい」と述べている。
オペラオーに乗っていた当時の状況を和田は「気を張りすぎて、競馬の時以外は廃人のような状態だった」と振り返っている。また「当時の自分は未熟でオペラオーを導くことができなかった、いま改めてオペラオーのような馬に出会いたい」とも語っている。
その後は関西のリーディング上位の常連となる。2010年にデビュー以来から所属していた岩元厩舎からフリーになると、年間最多騎乗回数争いに毎年顔を出す勢いで多くの馬に騎乗している。オペラオー以降しばらくGI勝利からは遠ざかったが、2012年にはワンダーアキュートで交流GIのJBCクラシックを制しており、2015年には9歳になった同馬をかしわ記念で再び交流GI勝利に導いている。2016年には史上29人目の通算1000勝を達成した。
2017年は絶好調ともいえる年で、40歳にしてキャリアハイの年間96勝を達成。フローラステークスを制したモズカッチャンをオークスでも2着に導くも、秋はミルコ・デムーロへの非情の乗り替わりとなった。その後エリザベス女王杯でクロコスミアをテン乗りで2着に導くも、このレースの勝ち馬はオークスで2着に導いたモズカッチャンと、悔しい形でGIを取りこぼす形になってしまった。
2018年5月には、テイエムオペラオーが相棒のGI8勝目を見ることなく心臓麻痺で急死してしまう。しかしその僅か1ヶ月後、宝塚記念をミッキーロケットに騎乗して勝利し17年ぶりの中央GI制覇。和田はゴール直後から涙を流し、「オペラオーが背中を押してくれた。やっと胸を張って報告ができる」と語った。
2019年には川崎記念をミツバに騎乗して勝利、7年ぶりの交流GI勝利をあげた。
2020年には高松宮記念にてクリノガウディーに騎乗、松若風馬騎乗のモズスーパーフレアを凌ぎ1着入選するも審議に。審議の結果、最後の直線で大きく斜行し上位入選馬の進路を妨害したとされ4着に降着、和田は9日間の騎乗停止処分となってしまった。和田は「僕の頼りなさで、
2022年3月26日に中山競馬場で行われた伏竜ステークスをデリカダで制し、JRA通算1400勝を達成した。奇しくも自身と同じ「竜」の字を冠するレースであり、加えて中山競馬場は自身がテイエムオペラオーの皐月賞でGI初制覇を上げた場所であるなど、巡り合わせの妙を感じさせる勝利であった。
前目につける競馬を得意とする。これは師匠である岩元調教師が脚に負担がかかるという理由で後ろからの競馬が好きではなく、普段から彼にも前目につけるように指導していたから。また、岩元厩舎自体にも瞬発力に優れたサンデーサイレンス系産駒があまり居なかったこともある。ちなみにテイエムオペラオーの皐月賞は後方一気の競馬だったが、彼自身が馬場を鑑みて本番で後方一気の競馬をしたということもあり、レース後師匠からお叱りの言葉を受けた。
とにかく先行させ、直線早仕掛け気味に追い出して押し切る戦法が多く、この積極的な戦法は中小馬主からの評判もいいんだとか。また少しでも直線で脚を残せるよう、出来るだけ距離ロスを無くして馬を運ぶ為に、道中や直線で思い切って馬群に潜り込んだり内ラチ沿いを突くこともあり、これらの戦法が結果的に穴を開けることも多い。
一方で1番人気で先行した結果抜け出したところを目標にされて差されたり、思い切って内に突っ込んだ結果詰まってしまう事も度々あり、1番人気での勝率が平均と比べて低かったりする。和田さんが乗った馬が1番人気馬になった際に緊張する和田さんファンは多い…と思われる。
上記のように沢山乗ることをモットーにしており、馬主達には「自分なら前走より1つでも上の着順に上げることができます!」とセールスしているとのこと。また、藤岡佑介騎手との対談では「沢山騎乗した方が集中できて、間が空いてしまうと途切れてしまう」「1番人気を何度も勝たせるのとは仕事が違うから…」とも語っている。
一方で2018年宝塚記念で優勝した後の優駿インタビューでは、「オーナーも調教師の先生も、勝ちきってくれる人を載せたいと思うのは自然なことなので、きっちりと勝ち切ることが大事」「一つでも着順を上げる努力を無下にしたことはないが、やっぱり競馬は勝ち切らないとダメだというのは強く感じている」と勝つことの大切さも述べている。
追いっぷりにも定評があり、「2コーナーで手応えが無かった」と振り返りながらずっと追いまくって勝利に導いた2016年小倉記念クランモンタナ等は特に有名だったりする。また、闘争本能に欠け気味だったキセキに騎乗した2021年京都大賞典では民放実況にて「和田竜二、闘魂注入、鞭が飛ぶ!」とやたら語感が良い台詞が飛び出し、和田騎手の代名詞となった。本人も「やたらズブい馬が回ってくる」と語っている。
しかし、和田騎手鞭や追い方について「鞭で叩けば馬が動く訳ではない」とも述べている。
──続いては「ムチ」について。先ほど「ムチで叩けば動くというものではない」とおっしゃっていましたが、ムチを入れると逆に走らない馬もいるとか。
「そこまで極端な馬は稀ですけどね。ただ、効いているのか効いてないのか、よくわからない馬はたくさんいます。」「でもね、ジョッキーにとってムチというのは、馬を叩くためだけの道具じゃないですから。人間の体重移動のためというか、自分のリズムを取るために使っているところもある。あとは、癖を直すために使うこともありますしね。ヨレたときにバシッと叩けば、直る馬もいますから。」
──ムチを使わずに負けたりすると、「なんでムチを使わないんだ」と憤るファンもいます。でも、叩けば伸びるという単純なものではないということですよね。
「下手に使ったら逆にブレーキがかかることもあるし、タイミングよく叩かないと逆効果なのは確かですね。馬の上でバランスを取りながら叩くわけですから、リズムを崩さず、効果的にムチを打つのはなかなか難しいんですよ。」
他にも自身のラジオでは「馬は気合いだけじゃ動かない」「重心移動を駆使しているが詳しくは商売道具なので語れない」とも述べている。
父と兄は厩務員。兄は坂口正大厩舎でデュランダルを担当していた。また甥(姉の子)に同じく騎手の和田翼がいる。
既婚者であり、奥さんとは2000年11月に結婚。子供には2021年競馬学校に合格した長男の和田陽希くんの他、双子がいる。
見た目は二枚目だが関西所属騎手の宴会部長的立ち位置。ファンと騎手の集いやジョッキーフェスティバルでは積極的に盛り上げ役を買って出て、ドッキリVTRの仕掛け人をやったり逆ドッキリを仕掛けられたりもする(逆ドッキリの仕掛け人は「異常なほど恐怖感を感じる先輩(福永祐一・談)」武豊)。コスプレをして現れることも多数で、GacktならぬWacktは必見。結構イベント事には手の込んだことをする。
上記のようにイベント時には愉快な一面を見せるが、普段は真面目で物静か。甥の和田翼曰く「家だとすごく静かなのに、イベントできゃりーぱみゅぱみゅのコスプレをしててびっくりした」とのこと。その和田翼もドッキリを仕掛けようとして「恐怖の先輩」川田将雅に逆ドッキリを仕掛けられている(勿論、狙いは甥としての立場を利用した、和田一族の「血統」にある)。
引退競走馬支援を積極的に行っており、2022年11月からはYouTubeチャンネル『和田竜二の引退競走馬を追う!!』を開設している。動画では引退競走馬を保護する施設を訪問したり、引退馬限定の馬術大会のVTRを見て語り合ったりしている。
騎乗数の多さからかつての騎乗馬に会うことも少なくなく、本人の口からエピソードが語られることもしばしば。引退競走馬に関心のある人でなくとも競馬ファン必見の内容となっている。
中央競馬の三冠達成騎手 | ||
クラシック三冠 | 牡馬三冠 | ★小西喜蔵 | 蛯名武五郎 | ★栗田勝 | 保田隆芳 | 増沢末夫 | 武邦彦 | 郷原洋行 | 田島良保 | 菅原泰夫 | 中島啓之 | ★吉永正人 | ★岡部幸雄 | 柴田政人 | ★南井克巳 | ★武豊 | 河内洋 | 四位洋文 | 横山典弘 | ★池添謙一 | 内田博幸 | 岩田康誠 | 川田将雅 | ミルコ・デムーロ | クリストフ・ルメール | ★福永祐一 |
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牝馬三冠 | 前田長吉 | |
変則三冠 | 前田長吉 | |
中央競馬牝馬三冠 | 嶋田功 | 横山富雄 | ★河内洋 | 松永幹夫 | 武豊 | ★幸英明 | 本田優 | 池添謙一 | 安藤勝己 | ★蛯名正義 | 岩田康誠 | 福永祐一 | ★クリストフ・ルメール | ★松山弘平 | ★川田将雅 |
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古馬三冠 | 春古馬 | 達成者無し |
秋古馬 | 和田竜二 | オリビエ・ペリエ | |
★は同一馬による達成者。変則三冠、古馬三冠は同一年達成者のみ。 | ||
騎手テンプレート |
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最終更新:2024/11/26(火) 16:00
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