保田隆芳(やすだ たかよし)とは、東京府東京市(現:東京都千代田区)出身の日本の元騎手・元調教師である。
保田隆芳 やすだ たかよし |
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
性別 | 男性 |
出身地 | 東京府東京市 |
生年月日 | 1920年3月20日 |
没年月日 | 2009年7月1日 |
身長 | 156cm |
騎手情報 | |
所属 | 日本中央競馬会(JRA) |
東京・尾形藤吉 | |
初免許年 | 1936年 |
免許区分 | 平地・障害(騎乗無し) |
引退日 | 1970年 |
重賞勝利 | 114勝 |
GI級勝利 | 22勝 |
通算成績 | 6,143戦1,295勝 |
表彰・記録 | |
調教師情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 | 東京競馬場(1970-78) 美浦T.C.(1978-97) |
初免許年 | 1970年 |
引退日 | 1997年2月29日(定年) |
重賞勝利 | 17勝 |
GI級勝利 | 3勝 |
通算成績 | 3,485戦334勝 |
表彰・記録 | |
騎手・調教師テンプレート |
1920年3月20日生まれ。両親が当時は高級品であったバナナなどを卸す問屋を営む裕福な家庭で育つ。
10歳頃に避暑のために滞在していた軽井沢で乗馬にハマり、帰京後乗馬倶楽部に通うようになる。中学2年時に騎手への憧れが募り、父親を説得し中学を中退して尾形景造(尾形藤吉)のもとに14歳で入門した。
1936年に16歳で騎手免許取得し、同年11/21日デビュー、デビュー戦は17頭立てで15着に終わっている。1年目は4戦0勝。初勝利は翌年の10月に挙げ、2年目は3勝。
3年目の1938年、ほぼ実績無しの騎手であった保田だったが、師匠の尾形から牝馬ながら東京優駿(日本ダービー)に出走するアステリモアの鞍上に抜擢され3着に導くと、秋には第1回阪神優駿牝馬(現:優駿牝馬)を勝利し、史上最年少となる18歳8ヶ月でのクラシック制覇を達成。この記録は現在でも最年少記録として残っている。この活躍から騎乗数も大幅に増え、同年は27勝、勝率.209と好成績を残した。
1939年にはテツモンで帝室御賞典(秋)(現:天皇賞(秋))を勝利し、43勝を挙げると、1940年にはタイレイで中山四歳牝馬特別(現:桜花賞)を勝利するなど飛躍を果たす。
1940年末、戦況が悪化したことから兵役に就き、中国へ出征。終戦後、盛岡の育成場にて疎開していた馬たちの調整を行っていた。1946年、競馬再開に伴い帰京。
競馬再開後、ブランクに加え徴兵時に体重が60キロまで増えてしまったことから、やや低迷時期が続いたが、汗取りなどで体重を減らし復調。
1949年、ニューフォードで天皇賞(秋)を勝利し復帰後初めて八大競走で勝利すると、1950年にはヤシマトオター、1951年にはハタカゼで同競走を勝利し、天皇賞3連覇という偉業を達成。
1956年にはハクチカラで東京優駿を勝利しダービージョッキーとなる。
翌1957年、ハクチカラとのコンビで天皇賞(秋)と有馬記念を勝利すると、1958年には同馬とのコンビで長期のアメリカ遠征を実施。保田自身は勝利することは出来なかったが、ここで本場の「モンキー乗り」を会得。実績のある保田がモンキー乗りで勝利を重ねていったことで若手騎手たちもどんどんモンキー乗りを真似していき、日本競馬界に革命を起こした。
1959年、89勝を挙げ初の全国リーディングジョッキーのタイトルを獲得。
1961年には通算845勝に到達し当時の歴代最多勝利記録を更新すると、1963年には史上初の通算1000勝を達成。
1966年、天皇賞(秋)をコレヒデで勝利し、天皇賞10勝を達成[1]。天皇賞30年以上のキャリアにおいて八大競走のうち、皐月賞だけなかなか勝つことが出来なかったが、1968年にマーチスで勝利を挙げ、史上初の八大競走完全制覇を達成。
1970年、体力の限界を感じ引退を決意。引退レースとなった京王杯スプリングハンデキャップではミノルで勝利を挙げ、有終の美を飾っている。引退時のスピーチでは「ときには大統領と言われ、また、ときにはバカヤローと言われて…」と語り、名演説として残っている。
1970年3月、尾形師から10馬房を割譲され厩舎開業。開業に際して譲り受けた馬の中にメジロアサマがおり、開業初年度に同馬で早くも安田記念を勝利し調教師として重賞初勝利。メジロアサマはその後天皇賞(秋)など重賞で6勝を挙げた。
1976年にはトウショウボーイが皐月賞と有馬記念で勝利。テンポイント・グリーングラスとともに一時代を築いた。
1988年からは日本調教師会会長に就任し、1994年2月まで務めた。その後、長年の競馬界への貢献が認められ調教師としては初の勲等となる勲四等瑞宝章を受章。
2004年、調教師・騎手顕彰者として殿堂入り(騎手部門)を果たした。
史上初の八大競走完全制覇達成など八大競走で抜群の強さを見せ、中でも天皇賞には滅法強かったことから「天皇賞男」「盾男」と呼ばれた名騎手。
日本における『モンキー乗り』の第一人者であり、調教師の武田文吾から「保田くんがアメリカへ遠征して、いろいろなことを持ち帰ってくれたおかげで日本の騎乗技術は10年進歩した」と称された。保田は騎乗に関しでだけでなく、競馬会に進言して「調整ルーム」が設けられたり、本場の鞭や馬具を導入したりと、騎乗以外の面でも日本競馬の発展に大いに貢献している。
性格は真面目でストイックであったという。また、モンキー乗りをはじめた当初はベテラン騎手から難癖をつけられたり、時には殴りかかられることもあったそうだが、「理に適っているから取り入れただけ」と信念を曲げず、モンキー乗りを続けた芯の強さも持っていた。
JRA調教師・騎手顕彰者 | |
騎手 | 野平祐二 | 保田隆芳 | 福永洋一 | 岡部幸雄 | 河内洋 | 郷原洋行 | 柴田政人 |
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調教師 | 尾形藤吉 | 松山吉三郎 | 藤本冨良 | 武田文吾 | 稲葉幸夫 | 二本柳俊夫 | 久保田金造 | 伊藤雄二 | 松山康久 | 橋口弘次郎 | 藤沢和雄 |
騎手・調教師テンプレート |
中央競馬の三冠達成騎手 | ||
クラシック三冠 | 牡馬三冠 | ★小西喜蔵 | 蛯名武五郎 | ★栗田勝 | 保田隆芳 | 増沢末夫 | 武邦彦 | 郷原洋行 | 田島良保 | 菅原泰夫 | 中島啓之 | ★吉永正人 | ★岡部幸雄 | 柴田政人 | ★南井克巳 | ★武豊 | 河内洋 | 四位洋文 | 横山典弘 | ★池添謙一 | 内田博幸 | 岩田康誠 | 川田将雅 | ミルコ・デムーロ | クリストフ・ルメール | ★福永祐一 |
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牝馬三冠 | 前田長吉 | |
変則三冠 | 前田長吉 | |
中央競馬牝馬三冠 | 嶋田功 | 横山富雄 | ★河内洋 | 松永幹夫 | 武豊 | ★幸英明 | 本田優 | 池添謙一 | 安藤勝己 | ★蛯名正義 | 岩田康誠 | 福永祐一 | ★クリストフ・ルメール | ★松山弘平 | ★川田将雅 |
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古馬三冠 | 春古馬 | 達成者無し |
秋古馬 | 和田竜二 | オリビエ・ペリエ | |
★は同一馬による達成者。変則三冠、古馬三冠は同一年達成者のみ。 | ||
騎手テンプレート |
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最終更新:2024/12/23(月) 11:00
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