嶋田功(しまだ いさお)とは、北海道三石郡出身の元JRA所属の騎手・調教師である。
嶋田功 しまだ いさお |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
性別 | 男性 |
出身地 | 北海道三石郡 |
生年月日 | 1945年11月8日 |
没年月日 | 2020年10月19日 |
騎手情報 | |
所属 | 日本中央競馬会(JRA) |
東京競馬場→美浦T.C. | |
初免許年 | 1964年 |
免許区分 | 平地 |
引退日 | 1988年 |
重賞勝利 | 52勝 |
通算成績 | 7327戦951勝 |
騎手テンプレート |
1945年11月8日生まれ。牧場を営む家庭に10人姉弟の上から5番目の三男として生まれ、幼い頃から自然と馬に触れ合える環境で育ち、3歳頃にはすでに馬に跨っていたという。実家の「嶋田牧場」は後にプレクラスニーなどを輩出するサラブレッドの生産牧場であるが、嶋田の幼少期には牛や羊も飼っていた。
中学卒業後、馬事公苑長期騎手過程に入り、1963年より騎手候補生として東京競馬:稲葉幸夫厩舎に入門。同期には菅原泰夫がいた。
1964年3月デビュー。この年10勝を挙げると、翌1965年にはパナソニツクで安田記念を勝利し重賞初制覇を果たすと、同馬で七夕賞も勝利するなど33勝を挙げた。
1968年には58勝を挙げ、全国リーディングでも9位に入るなどトップジョッキーの仲間入りを果たす。
1969年、日本ダービーでは1番人気のタカツバキに騎乗するも、スタート直後に落馬し、タカツバキが関連する馬券約25億円を紙くずにしてしまった。嶋田はこの敗戦で落ち込まず「俺は絶対ダービージョッキーになってやる!と思った」と後に語り、この悔しさをバネに一層成長していくこととなる。
1971年、ナスノカオリで桜花賞を勝利し、八大競走・クラシック競走初制覇を果たす。
1972年、タケフブキでオークスを制覇し、関東リーディングでも首位を独走するなど絶好調だったが、秋口に落馬負傷。頭蓋骨骨折、肋骨6本骨折の重傷で10日ほど昏睡状態に陥り、騎手生命どころか命に関わる大怪我ではあったが、4ヶ月半の治療とリハビリを経て1973年2月になんとか復帰。
その後、復帰からわずか3ヶ月後のオークスをナスノチグサで勝利しオークス連覇を果たすと、翌週の日本ダービーではタケホープで大本命のハイセイコーを破って勝利を挙げるなど完全復活。日本ダービー前には「ハイセイコーが四ツ脚ならタケホープも四ツ脚だよ」と発言するなど自信を窺わせるコメントを残していた。しかし、菊花賞直前の調教に落馬してしまい右脛を骨折。タケホープの鞍上を武邦彦に譲り、再度長期療養を強いられることとなった。
1974年2月に復帰。復帰後はタケホープで天皇賞(春)を勝利すると、トウコウエルザでオークスを勝利し、史上初のオークス3連覇を達成。秋にはトウコウエルザとのコンビでビクトリアカップを勝利している。
1975年、発馬機内にて他馬が暴れだしてしまい嶋田の騎乗馬に激突して落馬。左足靭帯断裂の大怪我を負い3ヶ月の離脱を強いられ、オークス4連覇の偉業に挑むことは叶わなかった。
1976年、テイタニアで桜花賞を勝利すると、続くオークスも勝利し、オークス騎乗機会4連勝という離れ業を達成。秋にはアイフルで天皇賞(秋)も勝利し、東京競馬記者クラブ賞特別賞を受賞。
その後も安定した活躍を続け、1981年にはテツモンでオークス通算5勝目を挙げ、1982年にはヴィクトリアクラウンでエリザベス女王杯を勝利して、史上初の牝馬三冠勝利達成ジョッキーとなった。
1988年、体力の限界を理由に現役を引退。引退レースとなった2月28日とバイオレット賞を勝利し有終の美を飾っている。
引退直後に調教師に転身し、1989年厩舎を開業。美浦T.C.所属。
開業初年度の1989年、アクアビットでニュージーランドトロフィー4歳ステークスを勝利し重賞初制覇。更にアイビートウコウでダービー卿チャレンジトロフィーも勝利。同年は21勝、重賞2勝を挙げ、優秀調教師賞(関東)を受賞するなど幸先の良い滑り出しを見せる。
翌1990年にはワカタイショウで中山大障害(秋)で勝利を挙げるなど20勝を挙げ、2年連続で優秀調教師賞を受賞。
しかし、1991年に21勝を挙げて以降、厩舎成績は徐々に低迷。
2020年10月19日、死去。享年74歳。自殺と見られている。
オークス5勝をはじめ、牝馬重賞で抜群の強さを見せた「牝馬の嶋田」。「オークス男」とも呼ばれる。
レースへの心構えは『1戦必勝』。脚を余して負けるのを嫌い、ゴールまで目一杯追い込む強気な騎乗スタイルを持ち味とし、インコースや馬群の合間を巧みに付くようなレース運びが目立った。特に東京競馬場2400mを得意とし、「東京競馬場には嶋田功専用走路がある」とまで言われたほどである。
その一方で幾度も落馬による負傷で長期離脱を強いられたことから、『落馬さえなければ通算1000勝は確実』とも評されている。
田原成貴が騎手を目指すきっかけになったきっかけの騎手でもある。田原はタケホープでハイセイコーを破った際の嶋田のガッツポーズに『カッコいい』と感銘を受け騎手を志したという。『もっと地味な騎手であったら、騎手を志していないか、自身も地味な騎手になっただろう』とも回想している。
端正な顔立ちから女性ファンも多く、雑誌の読者投票企画「グッドルッキングジョッキー」では、41歳ながら、なんと2位に選ばれている。
※ニコニコ大百科に記事のある競走馬を記載。( )内は嶋田騎乗での重賞勝ち鞍。
中央競馬の三冠達成騎手 | ||
クラシック三冠 | 牡馬三冠 | ★小西喜蔵 | 蛯名武五郎 | ★栗田勝 | 保田隆芳 | 増沢末夫 | 武邦彦 | 郷原洋行 | 田島良保 | 菅原泰夫 | 中島啓之 | ★吉永正人 | ★岡部幸雄 | 柴田政人 | ★南井克巳 | ★武豊 | 河内洋 | 四位洋文 | 横山典弘 | ★池添謙一 | 内田博幸 | 岩田康誠 | 川田将雅 | ミルコ・デムーロ | クリストフ・ルメール | ★福永祐一 |
---|---|---|
牝馬三冠 | 前田長吉 | |
変則三冠 | 前田長吉 | |
中央競馬牝馬三冠 | 嶋田功 | 横山富雄 | ★河内洋 | 松永幹夫 | 武豊 | ★幸英明 | 本田優 | 池添謙一 | 安藤勝己 | ★蛯名正義 | 岩田康誠 | 福永祐一 | ★クリストフ・ルメール | ★松山弘平 | ★川田将雅 |
|
古馬三冠 | 春古馬 | 達成者無し |
秋古馬 | 和田竜二 | オリビエ・ペリエ | |
★は同一馬による達成者。変則三冠、古馬三冠は同一年達成者のみ。 | ||
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最終更新:2024/12/23(月) 11:00
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