小山正明 単語


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小山正明(こやま まさあき、1934年7月28日~)とは、阪神タイガースロッテオリオンズ大洋ホエールズに所属していた元プロ野球選手である。

現役時代の通称は「ミスターコントロール」「投げる精密機械」。その通称通り、現役時代は"針のを通す"と言われた絶妙な制球力と抜群のスタミナ武器にし、歴代3位の通算320を挙げている。

概要

兵庫県立高高校に所属していたが甲子園には縁がなく、高校3年時には県予選一回戦で高校にあたり敗退、普通ならここで部活動引退するが野球をあきらめきれない小山練習を続け進学を勧めるを説得、小山の熱意に理解を示した小山は当時の阪神オーナーだった野田三に紹介状を書き、阪神の入団テストを受けることになった。

しかし、テストの結果が年を明けても来なかったため不安になった小山大洋テストにも挑戦するがこちらは不合格、諦めかけたところに阪神から合格通知が届く。
契約し、給は五千円というお世辞にも良いとは言えない待遇(当時の球団の女子職員の給が八千円、また寮費に四千円かかるため、税金などを差し引くと手元に残るのは三百円程度。)であったがプロ野球が出来ることが嬉しかった小山1952年のただ一人のテスト生として阪神に入団する。ちなみに同期には吉田義男三宅秀史がいる。

阪神時代

入団当初は打撃投手として先輩打者に黙々と投げ続ける日々で、ストライクが入らなければ罵を浴びせられたり、黙って隣のケージに移動されるなどの仕打ちを受けたが、この経験から小山底的に走り込みを行いコントロールを磨き上げることによってのちの大投手へと変貌していく。
1953年7月まで二軍暮らしだったが8月に昇格しシーズン終了までに5勝を挙げ、翌年には11勝を記録して一軍に定着する。


1958年には24勝で阪神エースの座に躍りで、1959年にはのちに二枚看板の一人である村山実が入団する他、試合先発を務める(7回途中4失点)等、阪神全体の代表選手と成るまでに成長した、またこのころにパームボールを習得している。


1962年後輩村山実と共に二本柱を形成し大洋しい首位争いを繰り広げ、終盤で当時の力選手だった三宅秀史ボールを当てて負傷させてしまうアクシデント等もあり、一時大洋に首位を明け渡すもののすぐに奪還、10月3日広島戦で勝てば優勝という重要な試合小山先発し、広島打線完封し自らタイムリーを放つなどの大活躍で6-0で勝利、見事初優勝を決めた。
日本シリーズでは東映対決するが初戦は先発で10回途中まで5失点勝ち負けなし、四戦は3失点負け投手、五戦リリーフ登板するがサヨナラ2ランを浴び、七戦は10回を投げ勝ち負けなしと良い結果を残せず、チームも敗れ日本一は達成できなかった。

また、この年は村山MVP小山沢村賞をそれぞれ受賞したが、村山25勝14敗、防御率1.20、265奪三振、23完投6完封という成績に対し小山27勝11敗、防御率1.66、270奪三振、26完投13完封という成績だったため記者投票MVPに選ばれた村山に不満を持ったと言われているが小山本人の弁によれば「自分と村山は投球スタイルからマスコミに対する対応まで対照的だったから仕方ない(村山と違い小山マスコミをあまり寄せ付けなかった)」「それよりも特別功労賞なんてものをわざわざ作って与えたことの方がが立った」とのことで村山と特に確執などはなかったようだ。


1963年は前年の疲労のせいか村山同様に成績を落とし、14勝14敗だった。
かしこの年の暮れにのちに「世紀のトレード」と言われる球界初の大トレードが行われることになる。
元々阪神は貧打のチームで62年のようにエースピッチャーフル回転させなければ優勝どころかAクラスも厳しいものがあり、監督藤本定義は強打者を欲していた。
そこに大毎の永田オーナーから「小山正明が欲しい、阪神が欲しい選手がいたらでもやる」という提案が届き、藤本は大毎の四番打者であった山内一弘を付けて「山内をくれるのなら受けてもいい」という返事を出す。
12月14日東京の築地で阪神の戸沢一代表と大毎の永田オーナーで会談が行われ二人のトレードが決定、小山は前年から「小山チームに不満を抱いている」という噂を聞いていたため居心地の悪さを感じていたこともあり良い転機となるかもしれないとトレードを了承、ただ前もって伝えてくれなかった藤本監督には今でも複雑な思いがあったようである。

ロッテ時代

1964年、この年から大毎から名称が変わった東京オリオンズの所属となったことで広い甲子園球場と違い狭い東京スタジアムが本拠地となるために小山は成績を落とすのではないかと言われたが、阪神時代に覚えながら封印していたパームボールを解禁して持ち前のコントロールと共に活用し打たせて取る投球にシフトし30勝を挙げて最多勝くなどリーグが変わっても活躍を続ける。
さらにオリオンズでは一時故障で打者に転向させられそうだった木樽正明を「あの才はもったいない」として投手を続けさせ、村田兆治小山練習姿勢にを受けるなど、後輩たちの才の開にも一役買っている。


1970年には史上初の両リーグ100勝を達成し、この年16勝を挙げてリーグ優勝にも貢献、翌年7月3日東映戦では自ら決勝打を放つ活躍で通算300勝を挙げ、いつも無表情だった小山しく笑顔を見せロッテナインに何度も胴上げされた。

大洋時代

1973年には大洋コーチ兼任で移籍したが肘の痛みに悩まされこの年で現役を引退

通算では歴代3位の320勝の他、通算先発数583試合(歴代2位)、先発勝利273勝(歴代2位)、四球完投73試合(歴代2位)と多くの記録を持っている。

引退後

阪神西武ダイエー投手コーチを務め下半身強化の重要性とコントロールの大切さについて説き選手たちをよく走らせた。
特に西武では、これといった決め球を持たなかった石井丈裕パームボールを教え、覚醒のきっかけを作った。

現在解説者評論家などで活動している。

人物・投球スタイル

入団当初はストレートコントロールもそれほど優れた物ではなかったが、他人の2倍3倍はしていたと本人が語るほどの底した走り込みで強な下半身を身に付けたことで150キロえるストレートと精密機械と言われた程のコントロールを手に入れる。
また完投にもこだわりがあり、常に球数を少なくする投球を心掛けていた。そのためか現在でも度々完投しない投手に対して苦言を呈することが多々あり、一部では「時代遅れ」の批判を受けることもある。

パームボールは「全盛期にこそ次なる備えに取り掛かる」という考えの元、色々な球種を試した結果一番しっくりきたためこれまた底的な投げ込みでものにした。
ただし解禁したのはオリオンズに移籍してからであり、阪神時代は基本的にストレートカーブを投げていた。(例外は王貞治のみ)

同じく阪神に所属していた村山実とはよく較され、村山とは対照的に常に無表情駄のないフォームからコントロールされたストレートを投げ込んでいた、特に外の球の出し入れは当時の球界でも一級品と語られている。
ちなみに村山とは世間で言われたような確執は一切く、当時の村山があまりなどを好まないこともあってか交流自体少なかったと小山は語っている。そのため、某サイト村山との関係を適当に書かれたことにはご立だった模様。

エピソード

VS 王貞治

元々はそれほど苦手としていたわけではないが、62年には打率.424、7本塁打と打ち込まれ、それまでセ・リーグでは使用しなかったパームボールを例外的に王にのみ解禁し、63年は抑え込んでいる。

所属 打数 安打 本塁打 死球 三振 打率
1959年 阪神 18 2 1 2 9 .111
1960年 24 5 4 5 6 .208
1961年 22 8 1 5 1 .364
1962年 33 14 7 2 4 .424
1963年 24 5 0 11 5 .208
1973年 大洋 2 2 0 0 0 1.000

最初と最後でノーヒットノーランを逃す

小山ノーヒットノーランを達成したことはないが、1安打完封勝利が5度あり、そのうち56年6月6日大洋戦では1回死から先頭の利にヒットを打たれた後に残りの27人をノーヒットに抑え完封勝利
オリオンズに移籍した65年の7月15日阪急戦では安打のままで迎えた9回2死からウインディヒットを浴び、ノ―ヒットノーランを逃している。

成績

通算投手成績

通算:21年 登板 先発 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 856 583 290 74 320 232 - - .580 4899.0 978 3159 1567 1336 2.45

タイトル・表彰

タイトル
最高勝率 1回 1962年
最多勝 1回 1964年
沢村賞 1回 1962年

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