百地三太夫 単語

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モモチサンダユウ

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百地三太夫とは戦国時代舞台にした物語に登場する架忍者である。

ここでは、百地三太夫のモデルになった実在の武将・百地丹波(??)についても解説する。

概要

安土桃山時代の大盗賊である石川五右衛門関係で物語上に登場した賀の代表的な忍者

……なのだが、いつの間にか『乱記』という軍記物語に登場する百地丹波(ももち たんば)と関連付けられてしまい、最近では行政も町おこしで乗っかって両者を同一人物視しているため、訳が分からなくなりつつある存在である。

百地三太夫は、服部半蔵長門守(原文では)と並んで忍者を統括する存在で、賀の乱で織田軍を相手に活躍した……と一般的に書かれるが、そもそもそんなことがわかる資料は物語文学を含めても存在しない。
資料としては興福寺の『成院記録』や、較的信頼できる軍記資料の『信長公記』やそれを文学化した『総見記』の賀の乱の記事に賀側の名前が少々見えるがその中に地氏はない。
(ぶっちゃ伊賀の乱で伊賀側の具体的な人名は、史実的にはほぼ記録されていないというのが実態である)

『伊乱記』の百地丹波

江戸時代前期に書かれた軍記物語乱記』には、正7年(1579年)9月16日瘤口から来た織田信雄家老柘植三郎衛門を撃退した賀衆の将士の名前の中に喰代の百地丹波という人物が登場する。
また正9年(1581年)9月に再戦に至るが、野氏が治める柏原で籠戦を戦った賀衆将士の名前の中に地新之太郎衛門、そして喰代百地丹波が登場する。

だが記述は以上であり、というかぶっちゃけ出番はこれだけである。百地丹波がどのように戦ったか、戦死したのか、生き延びたのか。そもそもどの賀衆の中でどのような立ち位置だったのか。そういった記述は一切ないただ名前が挙がっているだけの、ほぼ取るに足らないモブでしかないのが『乱記』の百地丹波なのだ。
なお地丹といいう人物もいるとか、喰代ではなくの方にいたのが百地丹波とか言われることもある。これは『乱記』の異本や、活字化に際して発生した表記ゆれだろう。

その後の百地丹波について書かれた資料はほぼなく、わずかに地氏に伝わる「大和地系図」くらいのものである。この系図によればこの百地丹波は「百地丹波守正西」で、賀の乱の後は高野山に逃れ、しばらく後に本領の大和口に戻って屋となって子孫が続いたという。

百地丹波という人物が存在したか、賀の有力者だったのか、ということは歴史学的には明できない。ただし『乱記』にある喰代口は大和にまたがっている)に地氏という地がいたことは、それぞれ玉氏所蔵宮座文書(文13年/1544年)、白山神社棟札(文7年/1838年)といった一次史料から散見される。少なくとも戦国時代賀に地氏という地がいたことは間違いない。
(ちなみに明治のころに伊乱記』を校正出版したのは、喰代在住百地氏である)

五右衛門物の百地三太夫

『賊禁秘談』などの石川五右衛門物語におおよそ共通して登場する忍者師匠。が、石川五右衛門に妻を殺されて裏切られたらしい。

ちなみに明治大正に流行した講談飛佐助』(立川文庫)では、真田十勇士ひとり隠才蔵が石川五右衛門の舎的な設定で登場したため、才蔵の忍術師匠も三太夫ということになっている。

この百地三太夫がいつの間にか百地丹波の甥だの同一人物だのということになり、あまり追及されないままふわふわした状態にあるのが現状である。
(歴史学的には至極どうでもいい人物なので、仕方ないのだが…)

伝説の忍者・百地

この『乱記』の百地丹波、石川五右衛門師匠の百地三太夫の2人の地が悪魔合体したとも言うべきなのが、近世後期から近代にかけて語り継がれた伝説び・地である。というか、この地なる人物はもはや戦国時代の存在であることも忘れられ、伝説びという性格だけが残っていった。ここではそのケーススタディとして、伊賀市の喰代の式部塚にまつわる伝説をあげていく。

この式部塚は、地元の伝承では百地丹波の本拠地跡の少し離れた丘の裾にある。地元では浮気封じのはさみという信仰の対となっていたが、その理由として複数の百地丹波の伝承が残されてはっきりしていないのである。

まず『温故』には武士地の伝説が出てくる。地の浮気相手が行き違いになって妻に殺され、その弔いの際に一夜で生い茂る異変を見た地は高野山に登った。この塚は毎年僧侶が弔い、異変を抑えているとする。

また、『故郷の伝説』ではこの逸話のバリエーションを載せ、この地は南北朝時代の南方の北面の武士とする。浮気相手の式部とは朝廷の官女であり、地の妻に殺されるまでは一緒だが、地の妻もその式部の後を追って井戸に身を投げてしまった。かくして地が二人を弔い、が生い茂る式部塚となったという。

さらに、石川五右衛門と百地三太夫の絡みとして式部塚が語られることもある。式部とは百地三太夫ので、『賀地における民話、伝説研究』では百地三太夫の妻が石川五右衛門に式部を殺させ、『賀西山村習俗調報告書』では石川五右衛門にそそのかされて忍術の虎の巻を盗み出した式部がられて井戸に投げ込まれている。中日新聞の「賀の伝説を探る」という連載では石川五右衛門仲になった百地三太夫の妻・おかんが式部を殺して百地三太夫の財産を奪って逃げた、という伝説も語られている。

なお、『名張市史』にもある通り、『賊禁秘談』では井戸に投げ込まれる百地三太夫の名前のほうがおかんであり、文学と口承の2つの伝播形態で百地三太夫の伝説が語られてきたことがわかる。

この式部塚の伝説にある通り、伝説上のヒーロー地は二人のどちらかわからない、渾然一体とした存在として生きてきたのであった。

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける百地三太夫の力一覧。

畿内で重宝する忍者で、賀衆の代表者扱いされていることも多い。1581年の定で戦死した扱いにされることが多いが、近年の作品ではその10年後の1591年まで存命の設定が増えている。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 - 政治 - 魅力 - 野望 -
武将風雲録(S1) 戦闘 79 政治 31 魅力 58 野望 60 教養 50
覇王 采配 81 戦闘 82 智謀 85 政治 11 野望 79
天翔記 戦才 182(A) 智才 180(A) 政才 20(C) 魅力 73 野望 82
将星 戦闘 92 智謀 92 政治 15
烈風 采配 70 戦闘 90 智謀 90 政治 15
世記 采配 91 智謀 90 政治 3 野望 1
蒼天録 統率 37 知略 54 政治 38
下創世 統率 - 知略 - 政治 - 教養 -
革新 統率 60 武勇 87 知略 93 政治 11
統率 56 武勇 87 知略 93 政治 11
創造 統率 53 武勇 83 知略 88 政治 27
大志 統率 65 武勇 89 知略 88 内政 31 外政 57

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