等々力陸上競技場とは、神奈川県川崎市中原区にある陸上競技場である。
球技場としても使用され、サッカー・Jリーグの川崎フロンターレがホームスタジアムとして使用されている他、ジャパンラグビー・リーグワンの開催実績がある。
等々力陸上競技場 Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu Uvance Todoroki Stadium by Fujitsu |
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基本情報 | |
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所在地 | 神奈川県川崎市中原区等々力 |
開場 | 1962年 |
所有者 | 川崎市 |
使用チーム | 川崎フロンターレ |
収容能力 | 27,495人 |
グラウンドデータ | |
グラウンド | 天然芝 (107m×71m) |
ピッチサイズ | (105m×68m)[1] |
経歴 | |
競技場テンプレート |
上記の通り川崎フロンターレのホームスタジアムとして使用されている。2011年にはJリーグアウォーズの「Jリーグベストピッチ賞」を受賞している。
この競技場ではバックスタンドには屋根があるものの、かつてはメインスタンドは記者席など一部を除いて屋根が無いなど逆転現象も起こっていたりした。バリアフリー設備はバックスタンド1階席のみの対応であった(それらの現象は、新メインスタンド完成後に改善されている)。
最寄駅は南武線武蔵中原駅と東急東横線・目黒線の新丸子駅であるが、武蔵小杉駅からも路線バス(東急バス・川崎市バス)が出ている。また、フロンターレの試合の開催日には武蔵小杉駅からのシャトルバスが設定されている。なお、一般来客への駐車場開放は行っていないので、観戦は基本的に公共交通機関が推奨される。
収容人数は25,000人だったが、新メインスタンド完成後は27,495人に増加した。
1941年の等々力緑地の都市計画に1964年基づき建設され、1966年に供用が開始された。当初より多目的競技場として使用可能な構造おなっていたが、少しずつ改良がおこなわれている。
1993年にヴェルディ川崎がホームスタジアムとして使用開始したものの、収容人数がJ1基準未満でピッチは荒れており、緑色の砂をピッチに散布するなどして急場をしのいだ。そのため、95年ごろにかけてバック・サイドスタンドを2層式にするなど施設増強を行ったものの、結果として元々東京志向が強かったヴェルディは東京へ移転してしまった。
その後、1997年に川崎フロンターレがJリーグ準会員になり、99年にJ2、2000年にJ1に昇格し、この年には「川崎ダービー」がリーグ戦・カップ戦計4試合(結果は両チームとも1勝2分け1敗)が行われている。
その後、2002年からピッチなどの本格的な改修が行われ始め、2005年のフロンターレJ1再昇格や強豪への成長を機に、2万人を超える試合も増え、それに伴い大規模改修が声高に叫ばれるようになっている。
その結果、2008年に改修計画が発表された。デザインコンペを経て改修が正式決定、2013年より改修工事が開始され、2015年シーズン開幕前に新メインスタンドが完成。こけら落としとなるホーム開幕戦は完成を記念して「とどろきメモリアルチケット」と銘打たれた特別仕様のチケットが発売された。
2015年12月、第37回全日本女子サッカー選手権大会(皇后杯)の準決勝・決勝戦の会場として使用された。
2024年1月23日に富士通が当競技場の命名権を取得することを表明し、同年2月1日より名称がUvanceとどろきスタジアム by Fujitsu(略称:U等々力)に変更[2]。
この時点では、陸上競技場のままでバック・サイドスタンドを3層式にし、収容人数も35,000人程度にする案であった[3]。しかし、面積的な部分の問題や、当競技場の約半分がサッカーで使われることを理由に川崎市陸上競技協会が陸上競技場と球技場の分離と求めている[4]ことから、2021年5月末に川崎市は当競技場を球技専用スタジアムに、補助競技場を第2種公認陸上競技場に改修の骨子案を発表。
2022年11月8日に、東急を始め富士通やオリックス、川崎フロンターレ、丸紅、大成建設等の企業で構成する企業が等々力緑地の公園整備事業の落札者として選定[5]。整備内容の中に上記の陸上競技場の球技専用スタジアム化と補助競技場の第2種公認陸上競技場へ改修が含まれていた。
この企業は2023年1月13日に川崎とどろきパーク株式会社(以下、川崎とどろきパーク)を設立し、同年3月31日に川崎市と等々力緑地再編整備運営等事業契約を締結[6]。翌4月1日より等々力陸上競技場を含む等々力緑地一帯の運営・維持管理・再整備等の業務を開始。
なお、2024年2月時点で球技場化に向けての具体的な着工日は不明。
川崎フロンターレの試合で時々(いや、しばしば)起こる劇的な試合展開の事をこう呼ぶ。
以下の試合が有名だろうか。
2009年 | ヤマザキナビスコカップ準々決勝第2戦 (vs 鹿島アントラーズ) |
第1戦を0-1の敗戦で終えていたフロンターレが、敗北目前の後半ロスタイム4分のラストプレーでジュニーニョが起死回生のゴールを挙げ1-0(2試合合計1-1)とした試合。 鹿島側が既に守備的にシフトしていた事もあり、延長前半にフロンターレが2ゴールを挙げ準決勝進出を果たした。 |
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2011年 | Jリーグディビジョン1第13節 (vs ガンバ大阪) |
前半を0-0で折り返した試合だが、ガンバが51分にPKで先制する。 しかし、61分に中村憲剛が同点ゴールを決めると、後半ロスタイム4分にラストプレーとなるフリーキックを直接決め勝利を収めた。 |
2013年 | Jリーグディビジョン1第34節 (vs 横浜F・マリノス) |
2013年シーズンの最終節。対戦相手のマリノスは前々節に優勝に大手をかけたものの前節ホームでアルビレックス新潟に敗れ優勝を決められず。勝てば無条件で優勝、引き分け・負けでは鹿島vs広島の結果次第という状況。 一方のフロンターレも勝てば鹿島vs広島・浦和vsC大阪の結果次第でACL出場権を獲得できる上、川崎一筋13年の伊藤宏樹の引退前の等々力ラストマッチという状況。 さらに最終節のダービーマッチという事もあり、注目を集めた試合であった。 試合は後半9分のレナトのゴールを守り切ったフロンターレが1-0で勝ち、広島が鹿島を2-0で、C大阪が浦和を5-2で下したためマリノスは手中に収めかけた優勝を逃し、フロンターレはACL出場を決め、ピッチ上での両チームの選手の表情の示す通り、明暗の分かれる結果となった。 |
2016年 | Jリーグディビジョン1第6節 (vs サガン鳥栖) |
0-0のまま後半アディショナルタイムに突入、試合終了間際に大久保嘉人が決勝ゴールを決めて勝利を収めた。この勝利でフロンターレは首位に再浮上、大久保はJ1通算得点記録を159とし、広島の佐藤寿人を抜いて最多得点記録保持者となった(現在、記録更新中)。 |
上記の等々力劇場関連の動画
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最終更新:2024/09/14(土) 13:00
最終更新:2024/09/14(土) 12:00
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