羽田健太郎単語

ハネダケンタロウ

2.7千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

羽田健太郎1949年1月12日2007年6月2日)とは、東京都出身のピアニスト・作曲編曲である。ファンからは「ハネケン」と呼ばれることが多い。

概要

1歳の時に銀行員のを亡くし、住宅会社に勤める外交員の母親と祖によって育てられた。4歳のときに他人との協調性を学ばせるため、祖の意見で東京少年少女合唱隊に入れられた。これが羽田音楽との出会いであった。小学2年生の時にピアノに転向をする。中学2年の進路相談で「音楽学校へ進みたい」と意志を明らかにしたが、今まで師事していたのは「町のピアノ教師」であり本格的な専門教育者ではない。羽田中学2年生まで本格的な専門教育を受けていなかった。

高校受験前に後の恩師に演奏を披露したら、駄出しを貰いショックを受け基礎から勉強をして、1年半後にビリから2番の成績で合格した。高校2年生の時に羽田母親グランドピアノを購入し、防音対策のために築する。羽田は有名になった後も終生このピアノを大切に使った。この年の夏休みに一日12時間もの猛練習で急速に実を伸ばした。

大学に進学した1967年、第36回日本音楽コンクールを受けるが第1次予選で落選。その後大学には内緒でホテルラウンジピアノを弾くアルバイトをして実演の経験を積んだ。これが後に受けるコンクールでの舞台度胸や実演の経験として功を奏した。大学4年の時に第39回日本音楽コンクールピアノ部門第3位入賞大学ピアノ科を首席で卒業

音楽大学卒業後、羽田クラシックアニストの現状が非常に厳しい事を認識していたことや苦労をかけてきた母親に一刻もく恩返ししたいという思いもあり、軽音楽に進む。スタジオミュージシャンとしては、クラシック出身でが確実に高いレベルでよく動く人材が当時は乏しかったため、非常に重宝され、から晩までスタジオにこもり、次から次へと録音をこなしていった(そしてこなせるだけの高い技術があった)。著書によれば、当時のサラリーマン給を2日で稼げるほど売れっ子だった。羽田回想によれば、「は要らないから休ませて欲しい」と思うほど、当時は仕事が次から次へと回ってきた。スタジオ録音全盛期の時代と、羽田の活躍の時期が重なったことは幸運であった。また、シンガーソングライター渡辺知子バックバンドリーダーをしたり、沢田研二の『勝手にしやがれ』のピアノ演奏を担当して、1977年紅白歌合戦でのピアノ演奏も担当をした。この時代から、作曲編曲としての仕事を開始する。

1970年代の終わりから1980年代ドラマアニメ音楽を携わることが多くなる。代表作としては『西部警察PART』、『宝島』、『マクロス』、『まんが水戸黄門』、『渡る世間は鬼ばかり』等の作品がある。またゲーム音楽でも『ウィザードリィ』も羽田健太郎が担当している。

30代~40代になるとクラシック仕事も徐々に増やし、また軽音楽奏者としても幅広く活躍するようになっていった。またテレビ番組にも出演するようになる。特に1990年1994年までテレビ東京でも放送していた『クイズタモリ音楽世界だ!』でのコミカルキャラクター人気があった。『ニュースステーション』での自然バックにしたピアノ演奏の中継も有名であった。

1998年12月からは慢性的な飲がたたって体調を崩し生死をさまよったが、復帰後は原点のクラシック音楽へ回帰をするようになる。晩年は、ソロコンサートと同時にジョイントコンサート揮者としての出演が多く、また長女・羽田紋子()とのジョイントコンサートも多かった。

また東京ヤクルトスワローズの大ファンで、神宮球場でも何度か『東京音頭』を演奏したこともあった。

2007年6月2日午後11時53分肝細胞の為東京都新宿区病院で死去。58歳

宮川泰・宇宙戦艦ヤマトとの関係

作曲宮川泰とは、2年ほど同じマンションの上下の階に住んで以来、盟友と呼べる仲であった。羽田ピアノの腕は宮川も認めており、宮川が作った曲にピアニストとして参加させた他、彼の息子である宮川彬良ピアノを習わせたこともある。

羽田の悪さを示した、宮川とのエピソードがある。ある日、羽田宮川部屋へ遊びに来た際、酔っぱらって、宮川スプーンゴルフクラブ冷蔵庫の網棚などをへし折った。当時はユリ・ゲラーによる超能力ブームがあったため、「宮さん、も曲がるよ!」と真似したのであった。怒った宮川に追いかけ回された羽田は、った風呂場にを着たまま飛び込み、そのまま上から蓋を閉められて「助けてー!」と叫んだとのことである。

宮川が手がけた『宇宙戦艦ヤマトシリーズでも、ピアニストとして多数参加。特に『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』のBGM「自動惑星ゴルバ」のテクニカルピアノプレイは必聴である。

1983年開の『宇宙戦艦ヤマト 完結編』では、宮川息子の彬良も一部参加)と共に作曲を手がける。羽田の起用は、「(ヤマト音楽が)マンネリ化を避けるために新しい血を導入しよう」ということで決まった。本作では、二人が同一のテーマ作曲し、ベストな方を採用するという、コンペ形式が取られた。
羽田ディンギル帝国側の音楽を多く担当。「するディンギル」・「抜けるヤマト」など、ダイナミックで勇ましくも悲哀を感じさせる曲が多い。また、「ハイパー放射ミサイル」のような、スピーディでかつおどろおどろしい曲も制作している。劇中の終盤、ヤマトにたった一人残った沖田艦長が、惑星アクエリアスに立ち向かうシーンで流れる、「SYMPHONY OF THE AQUARIUS」は、叙情的でかつ超絶ピアノ演奏と、ハイクオリティアニメ映像とが見事にシンクロしており 、物語クライマックスを盛り上げている。この曲は、アニメ音楽としては異例の演奏時間が9分強あり、ヤマト音楽の集大成と言える出来となった。なお、タイトルには「SYMPHONY交響曲)」とあるが、形式はピアノ協奏曲である。
音楽諸々に厳しい、『宇宙戦艦ヤマトシリーズプロデューサーである西崎義展も、羽田作曲音楽について絶賛しており、特に「アクエリアス45億年」・「ウルク歴史」・「SYMPHONY OF THE AQUARIUS」の3曲は驚愕したと述べている。

関連動画

関連商品

関連リンク

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

急上昇ワード改

最終更新:2024/03/28(木) 20:00

ほめられた記事

最終更新:2024/03/28(木) 20:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP