萬代橋(ばんだいばし)とは、新潟県新潟市中央区の信濃川下流に架かる橋のことである。
萬代橋は現在、国道7号、国道8号、国道17号、国道113号、国道350号の経路となっている。また、新潟市の中心部を結ぶ大動脈としても機能しており、新潟駅万代口から万代シテイ、古町などを結ぶ市内のメインストリートの一部でもある。現在の橋梁は3代目で、2004年7月6日付で国の重要文化財に指定された、新潟市のシンボルともいえる橋である。
萬代橋の上流には八千代橋(新潟市道新潟鳥屋野線)が、下流には柳都大橋(国道7号・万代島ルート線)が、それぞれ架かっている。2002年5月19日に柳都大橋と、河口部の新潟みなとトンネルが同時開通するまでは、萬代橋が信濃川の河口に最も近い横断施設だった。
戦後から重要文化財登録前までの漢字表記は、当用漢字の『万代橋』を使用していたが、重文指定を機に表記が『萬代橋』に戻された。
元々は道路に加えて路面電車用の軌道を敷設して、のちの新潟交通電車線を通す併用軌道の橋になる予定だった。結局この計画は実現には至らなかったが、新潟市では現在、新潟駅から万代シテイ、古町、新潟市役所を経由して白山駅に至るBRT(バス・ラピッド・トランジット、バス高速輸送システム)を、2014年度の運行開始を目標に準備を進めているので、興味がある人は注目してほしい。
明治時代初期まで、新潟市内の信濃川には橋は架かっておらず、渡し舟しかなかった。当時の信濃川の川幅は約700mもあり、手漕ぎの舟では渡り切るのに約1時間掛かった。もちろん、天気が荒れれば渡る事はできなかったし、流れに取られたりして転覆事故に遭うことも少なくなかった。
初代橋梁を架けたのは、新潟日日新聞(現在の新潟日報社の前身の一つ)の社長・内山信太郎。第四国立銀行(現在の第四銀行の前身)の頭取・八木朋直が資金を工面して工事が進められ、1886年に開通した。木造橋で、橋長782m、幅員7.2m。建築費用は約33,800円を要した。
『萬代橋』は、内山が「萬代(永久などの意味)までも新潟の街の発展に尽くしてほしい」という想いを込めて命名したもので、当初は『よろづよばし』と訓読みした。ところが、次第に音読みの『ばんだいばし』という呼び名が徐々に定着して、結局正式な名前も『ばんだいばし』になっていった。
架橋当初は橋銭(通行料金)を徴収していたが、利用者からは不評だった。『金色夜叉』の作者・尾崎紅葉が1899年に新潟を旅行した時、萬代橋で橋銭を取られたことに憤慨していた、という話も残っている程だ。1898年には鉄道が沼垂駅まで開通して、通行量が増えつつある中で、萬代橋が個人所有になっていることを問題視する世論が徐々に高まった。その結果、新潟県は内山・八木らから萬代橋を買収して管理することが決定し、1900年(明治33年)4月1日付で県道となり、通行料金は不要になった。
1908年3月8日に発生した大火で、避難者の荷物から引火するなどして、初代橋梁は西詰側から半分以上が焼け落ちてしまった。
新潟県は大火の翌日午前9時から渡し船を開設したものの、荷車などは渡すことができず、荷物の輸送がままならなくなった。そこで焼け残った基礎杭を使用して、仮の吊り橋を焼失から4か月後の7月に架橋しながら本橋梁の架橋を同時に進め、2代目橋梁は1909年12月に開通した。初代と同じ木造橋で、橋長782m、幅員7.9m。建築費用は約126,000円を要した。当時既に架け替え計画が進んでいたのに加えて、初代橋梁の基礎杭をそのまま使用したことも、工期短縮につながった。
この木造時代の萬代橋を支えていた基礎杭が、実は現存している。1996年に当時の建設省が進めていた地下道の工事中に、基礎杭が発掘されたのである。萬代橋通りの地下道「万代クロッシング」にあるフリースペースに、ガラス張りで保存されているので、興味のある人は是非ご覧あれ。
現在も現役の3代目橋梁は、大正時代から徐々に盛んになっていた自動車交通に対応するために架け替えられたもので、1929年に開通した。RC造(鉄筋コンクリート)6連アーチ橋で、橋長309m、幅員22m。橋の長さは約6割も短くなり、幅は約3倍に拡がった。長さが6割も短くなったのは、大河津分水路の通水によって信濃川下流の水量が大幅に減って、川幅が狭まったから。これによって新潟市中心部の信濃川両岸では戦後にかけて四半世紀にわたって、埋立地の開発が盛んになった。
なお、建築費用は約240万円を要した。これは当時の国の年間道路予算の約7割、新潟県の年間予算の約2割にも及ぶ巨額な規模だった。参考までに、1932年に竣工した旧新潟県庁本庁舎の建設費は約162万円、1937年竣工の、同じ信濃川に架かる長岡市の長生橋の建設費は約78万円。これらと比較しても、県や新潟市が如何に萬代橋を重要な交通路として考えていたかが分かる。県は建設費の一部を埋立地の売却益で補い、県債の発行や国の補助金を活用するなどして費用を確保した。
鉄筋コンクリート製のアーチ橋にしたのは、1923年9月1日に起きた関東大震災の際、アーチ橋の損傷が少なかったことと、信濃川の河口に近い立地条件を考えて、潮風による塩害の負担を減らすことを考慮したため。橋脚の地下には高さ約15m、幅約8mに及ぶケーソンが埋設され、強度が確保されている。
緩やかな放物線を描く6連のアーチは、実は幅が違っており、中央から順に42.4m、41.5m、39.0mとなっている。景観を考慮して全体のバランスが計算されており、加えて中央部2箇所のアーチを広く取って、当時盛んだった河川交通を妨げないように配慮してある。この中央部のアーチは建設当時、日本国内の鉄筋コンクリート構造物として最大の支間(橋脚と橋脚の間の距離のこと)を誇っていた。
1948年8月23日、現在の「新潟まつり」の前身の一つにあたる「川開き」の2日目、恒例の花火大会が開かれ、その最後を飾るスターマインが打ち上がり始めたの見ようとした見物客が下流側の欄干へ一挙に殺到した。重さに耐えきれなくなった欄干は約40mにわたって信濃川へ落下し、約100人の見物客が川へ投げ出され、死者11人、重軽傷者29人を出す悲惨な事故となった。
この事故以後、新潟市内で花火大会が開催される際には、橋の上で立ち止まって見物をする行為は固く禁止されている。現在も新潟まつりの花火大会当日は、萬代橋をはじめ各橋梁には警察官や警備員が配置され、歩道では立ち止まらないよう随時呼びかけが行われている。また、阿賀野川で「ござれや花火大会」が開催される際、ござれや阿賀橋は歩道自体が全面通行止になる。
この「万代橋事件」は、1956年1月1日未明に二年参りで賑わう弥彦村の弥彦神社で発生した「弥彦神社事件」とともに、新潟県内で過去発生した重大群衆事故の一つに数えられている。
1964年6月16日に発生した新潟地震では、信濃川沿岸の埋立地を中心に液状化現象が発生し、加えて津波が信濃川を遡上して大規模な浸水被害が出た。信濃川の橋のうち、開通から間もない昭和大橋が、液状化現象の影響で複数の橋脚がすくわれて落橋した。また八千代橋は落橋しなかったものの、橋脚が大きく傾いた。どちらも取付部が激しく陥没し、人車とも通行不能に陥った。
しかし萬代橋は取付部こそ損傷はしたものの、橋の躯体そのものは崩壊せず、歩行者のみながら通行できる状態だった。すぐに応急工事が行われて、6月21日未明から車両の通行が再開され、被災者救援や復旧活動に充てられた。地震を耐え抜いたその強さは、当時の新潟市民に勇気と希望を与えた。
さらに11月から1965年5月まで、仮橋梁を架けて本格的な復旧工事が行われた。この際に橋長は現在の306.9mとなっている。
なお、現在の萬代橋は、1950年代に新潟市周辺で問題となった天然ガスの乱採取による地盤沈下と、この新潟地震で発生した液状化現象による地盤沈降の影響で、建設当初より約1.4m沈下している。
1985年8月、初代萬代橋から数え年で架橋100周年となる節目を記念して、萬代橋のライトアップが始まった。元々、3代目橋梁の架橋当初には橋脚に「橋側灯」が設置されていた。これは夜間に橋脚を照らして、船舶が橋に衝突するのを防ぐための設備だったが、戦時中に金属を供出したため撤去されたままになっていた。約40年ぶりに新たな形で復活したライトアップは、春と夏は鮮やかな昼白色、秋と冬は淡いオレンジ色で、夜の新潟の街の風物詩となり、2004年春まで続けられた。
毎年8月の第一金曜、新潟まつりの初日には、寄居町交差点から柾谷小路、萬代橋、萬代橋通り、東大通を経て東大通交差点に至る区間で「大民謡流し」が行われる。
この民謡流しは、元々は東堀通と西堀通で初日と2日目の2日間にわたって行われていたものだが、新潟市の市制100周年を記念して、1989年からこのルートに会場が移され、開催日数は市内交通への配慮から、初日の1日限りに削減された。萬代橋の橋上をはじめ、区間内とその周辺の合計7ブロックで約2万人が一斉に踊ることから、新潟市なども「日本最大級の民謡流し」としてPRを行っている。
3代目橋梁が架橋75年目を迎えた2004年4月16日、文化審議会は「橋梁デザイン史上における価値の高さ」と「技術的達成度を示す遺構としての貴重さ」などを評価して、萬代橋を重要文化財に指定する答申を出し、文化庁は同年7月6日付で国の重要文化財に指定した。道路橋が重要文化財に指定されたのは、東京都中央区の『日本橋』に次いで2例目。重文指定に合わせて、漢字表記が当用漢字の『万代橋』から、建設当初の『萬代橋』に戻された。
重文指定に合わせ、街路灯や橋側灯が架橋当時の姿に復元された他、歩道のバリアフリー化が行われた。街路灯には架橋当時の路面電車の計画に合わせて、架線を支えるためのフックが付いていたが、このフックも復元されている。徒歩で渡る時、街灯をよーく見てみよう。
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