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1 ななしのよっしん
2009/02/12(木) 05:07:02 ID: HbOl0VJle5
オレはこの戦国の世を蹴りぬけてみせる!!
2 ななしのよっしん
2009/02/12(木) 17:40:34 ID: QYFXgLa7MC
家が残ったわけだし、ある意味きちんと戦国を蹴り抜いたつわものw
一族皆殺しになった連中だっているわけだし。
3 ななしのよっしん
2009/02/16(月) 21:01:21 ID: 795wzmMGPx
この人たしか剣の達人でもあるよね?
4 ななしのよっしん
2009/02/18(水) 01:59:29 ID: QYFXgLa7MC
達人かどうかは不明だが、
wikipediaには「塚原卜伝に新当流を学んだ」とあるから
多少の心得はあるだろう。
5 ななしのよっしん
2009/04/14(火) 11:46:56 ID: MBx1wVENQj
文化人としては好評価だったり、一部で人気を誇るのもわかるなw
それにしても信玄と家康相手とか相手がチートすぎる。
6 ななしのよっしん
2009/05/04(月) 06:01:34 ID: bmwVwyErid
7 ななしのよっしん
2009/05/29(金) 02:01:07 ID: wGUYT83Gti
作詞出来てサッカー上手くて剣術の心得があって教養もあり家も名門
生まれる時代を間違えたな
8 ななしのよっしん
2009/05/29(金) 20:10:07 ID: sJDvbcG1aW
早川殿と添い遂げてるし、普通に勝ち組。
77年の人生、謳歌し尽くしたんじゃないだろうか。
家康に応対を面倒臭がられるくらい、自由に振舞ってたみたいだしなw
9 ななしのよっしん
2009/05/30(土) 01:17:09 ID: FytlRanm+s
10 ななしのよっしん
2009/06/03(水) 18:04:36 ID: bjQrbLr59d
義父の氏康様が生きてたうちは良いが、跡を継いだ氏政が武田と仲良くしたがったもんで、両家の間のしこりとなっていた氏真の存在が邪魔になる。
んで刺客を送り込まれるが、事前に察知した早川殿がブチ切れて、厄介になっていた譜代家臣と旦那を連れて小田原から去ったとか。
11 ななしのよっしん
2009/06/09(火) 11:13:47 ID: CWasDoPjov
・現代、静岡がサッカー王国なのはこの人がいたおかげ
・清水エスパルス初代キャプテン
・戦国サッカーリーグ初代得点王
12 ななしのよっしん
2009/07/12(日) 19:17:35 ID: 9PMzyAX8EY
ちなみに「殿といっしょ」でも「ファンタジスタ」、といえば氏真。
13 ななしのよっしん
2009/08/07(金) 13:43:27 ID: FytlRanm+s
14 ななしのよっしん
2009/09/20(日) 21:49:54 ID: QYFXgLa7MC
忠臣蔵の吉良上野介義央は氏真の玄孫(孫の孫)
松の廊下にボールがあったら浅野内匠頭もきっと危なかったw
15 ななしのよっしん
2009/10/27(火) 13:20:04 ID: GQVrmC2fwO
大学の友達が最初半分ネタで選んで最終的に本当にこの人で卒論を書き上げてしまった
16 ななしのよっしん
2009/12/31(木) 18:10:59 ID: 0FWHNZnA9e
それがしにも関係のある話でございますか?
17 ななしのよっしん
2010/02/16(火) 11:17:01 ID: AmQr09J1Jd
「なかなかに世にも人をも恨むまじ 時にあはぬをを身の咎にして」
「悔しともうら山し共思はねど 我世にかはる世の姿かな」
達観というか諦観というか。そこが良さなんだろうけども
18 ななしのよっしん
2010/03/15(月) 16:15:28 ID: T0n8zhT172
氏真って実はそれほど愚将でなかったり?
・なんかかんかで77歳まで生き残る。しかも江戸幕府の名門旗本として家を残しつつ
・当時実行するには未だ反対も多かったであろう「天下に号令を下す為の」上洛推進派(=譜代の賢将)は桶狭間の大敗で勢力を落とし、当時の武将の一般的な考え「自分の領地の平安が第一」な保守派(=のちに奸臣といわれる家臣)が国政の実権をになうようになる。(積極的外征を封じられた?)
・対する敵は松平や武田。自国領地をこの隙に広げんがため、今川家家臣団の切り取りや攻め込む際の名目作りに今川家の(実際には事実無根、もしくは誇張した)悪評をすすんで広めたり、国力回復を行わせないよう工作活動を行った?
(ちなみに氏真の悪評を書いている「甲陽軍鑑」は武田家の歴史書)
父、義元ほどの求心力や指導力はなかった&相手が悪すぎたかもしれないが、今言われるようなバカ息子ではなかったかもしれない
それでも俺は通説な「ファンタジスタ氏真」が大好きだけどね
19 ななしのよっしん
2010/04/01(木) 04:42:49 ID: ykmJSeK9UL
歴史はどれもそうだけど、倒した側は倒された側を悪くする事で自分たちの行動を正当化する向きがある。
その極端なのが中国の歴史で、潰された朝はやれ暴君だ悪政だとケチョンケチョンに貶される。
今川氏真も斎藤龍興も、それぞれ武田・徳川、織田に都合良いように言われただけと見た方がいいかもしれない。
斎藤龍興もキリスト教についての理解や解釈が深くてルイス・フロイスに有能な人物と評されてたし、
今川氏真も、あの時代むしろ生き残って家名と血筋を存続させたのは有能な政治力があっての事だと思う。
20 ななしのよっしん
2010/04/01(木) 05:25:12 ID: BW/sOzqrvy
氏真は生きて家名のこしたけど、あの時代負けただけでも悪だからな。
家が滅ぶことによって死ぬ人間困る人間が数え切れないほどいるわけだし。
21 ななしのよっしん
2010/04/02(金) 06:08:47 ID: ykmJSeK9UL
>>20
>あの時代負けただけでも悪だからな。
それは江戸中期以降の考え。その思考は特に明治期~昭和初期に強くなっていった。
あの時代は、混迷が進むにつれて家名を存続させる方が勝ちという向きが強くなった。
実際にそういう風に生き延びた家が幾らも残ったんだから。
ヘタな意地を張って滅亡させたら元も子もない。
あえて言うなら、今川家は義元が調子こいて討ち死にした時点で命運が尽きていた(天下に覇を唱えると言う意味で)。
それを感じて配下が片っ端から寝返ったんだし、そういう状況になったらいざ戦うより戦わずに生き延びる方を考えるのが正しい。
情勢を見極めて何が最良かを正確に判断するってことでね。
今川は江戸幕府でも高家として何家も家系・血筋を残してる。
これは完全に途絶えた家系に比べたら比較にならないほど勝ち組。
22 ななしのよっしん
2010/04/11(日) 21:05:05 ID: kwvOYcYNS6
氏真が武田氏から追われたときに、家康は成り行き上とはいえ手厚く保護してるし、そのことを家康から知らされた信長も「敵だけどぶっちゃけどうでもいい」とか言って放っておいてる。
考えてみると氏真には人付合いの才があったのかもしれないね。
特に家康と氏真は結構仲良かったみたい、というか家康が恩に着るほど優しい人だったのかもしれない
23 ななしのよっしん
2010/05/04(火) 15:00:19 ID: x+6WkItS+V
弔い合戦しようにも親父が戦争に金つぎ込んでたので財政火の車。
同盟破棄した武田への制裁に塩の取り引きを止めるも、空気を読まない軍神のおかげで実を結ばず。
暗君では無かったが、状況が悪すぎたと言えるのかもしれない。
もっともこの危機的状況を打破するような器量が備わっていなかったのも事実なわけだけど。
でもなんか憎めないんだよね、この人。
24 ななしのよっしん
2010/05/10(月) 21:42:51 ID: ysdfeJHtnl
>>22
築山殿の件もあって、家康は降伏してきた氏真を死ぬまで半軟禁、
監視下に置いたままだったという文献も
(信憑性はさておき)残ってるので、一概に仲が良かったとまでは・・・
25 ななしのよっしん
2010/06/19(土) 16:43:19 ID: cAc75/OMXL
氏真は織田・徳川が武田と戦っていた時に城将返り咲いたけど、
無能で罷免された。
個人としての能力はともかく、戦国大名としての武略、謀略能力は皆無だったとみていい。
26 ななしのよっしん
2010/07/16(金) 15:17:11 ID: eb49boRNcN
・城将の罷免は、氏真から辞めたという説がある。
今川旧臣が武田と徳川に別れて争っているから、元当主が一方には加担できないという義理かもしれない。
・義元存命時は三河・尾張攻めに専念する義元に代わって氏真が駿河の統治を行う。
氏真とその幕僚の政事が、小氷河期の日本全国を襲った永禄の大飢饉から今川家と領民を救った。
・織田の猛攻を受けた徳川が離反した後、氏真は東三河で諸将の適切な配置を行い、徳川の侵攻を防ぐ。
・遠江国人衆の一部が自立の動きを見せると、素早い決断で粛清を行う。
遠江国人衆が離反の動きを見せただけでも東三河の戦線は補給を脅かされる。実際、今川の名将・小原鎮実はこれで東三河から撤退した。
結果的に粛清は今川家を延命させた。
・掛川城では、城将・朝比奈泰朝が徳川勢に対して必死の抵抗を行い、氏真の助命を条件にようやく開城した。
駿河から氏真に従ってきた家臣たちも奮戦している。
今川の家に対する忠義だろうが、泰朝は氏真主従を送り出した後、帰農して徳川にも武田にも仕えなかった。
・氏真は北条・徳川・上杉と協力して武田包囲網を結成、今川を慕う旧臣を糾合して武田勢を撃退し、駿河を奪還している。
この包囲網は、
1.上洛を目指す織田家と、四面楚歌に追い込まれた武田家の利害が一致。織田家の要請を受けた徳川家が武田家と同盟。
2.信玄の出来た息子・武田勝頼と重臣筆頭・山県昌景が北条勢相手に連勝。北条家を窮地に追い込む。
*武田勝頼は大量の鉄砲と重甲冑で武装した軍団を運用して勝利を重ねた。勝頼や織田・徳川は軍団の編成と運用を今川義元に倣い、長篠合戦では互いが桶狭間の戦を手本にして戦っている。
氏真も父から受け継いだ軍勢と軍略を駆使して戦い続け、斜陽の今川家を支えた。
3.武田家と同盟した陸奥の蘆名盛氏が北越後の国人衆を調略して越後に侵攻。上杉家は一時的に領土の半分を奪われるほど追い詰められた。
等々、氏真にはどうしようもない同盟者の裏切りや敗北が原因で消滅した。
無敗とされるチート武将たちも、脇役扱いの名将相手に負け続けた時期がある。
氏真も見方を変えれば、名君・北条氏康や義将・上杉謙信を操り、名将・武田信玄と神君・徳川家康を苦しめた名悪役だった。
27 ななしのよっしん
2010/07/16(金) 15:20:52 ID: eb49boRNcN
さらに
・家名を存続し、家臣の忠義に報いた。
・妻と別れることもなく共に戦国の世を生き抜いた。二人とも、当時としては珍しい高齢で往生した。
・剣術・槍術・弓術・茶道・歌道・舞など個人技がチートレベル。社交性がありどこへ行っても人気者だった。
28 ななしのよっしん
2010/07/19(月) 15:50:14 ID: vZ1RvpzL2D
甲陽軍鑑には駄目君主とされつつも、剛毅な人物で将としては愚ではないと書かれてるね
結果は伴わなかったけど内政面での着眼点も悪くない
問題は叛いた者に尽く強硬な処置をとって、内乱が収まったときには国がスカスカになってしまった事じゃないかねぇ
29 ななしのよっしん
2010/08/20(金) 09:57:42 ID: pWGDtfSzcm
氏真は無能でいいっしょ。所詮家名に泥を塗った男でしかないんだから。
そもそも海があって、金山があって、家名があって、三河、遠江、駿河の三カ国を領有していて、義元亡き後も数年は北条、武田と同盟結んでいて北条は最後まで味方でいてくれて、それでもあっさり滅亡。
よく武田、北条、織田、徳川の間で厳しすぎるとか言われるけど、戦国時代は北から南までどこにいっても厳しいよ。
むしろ毛利の隣なら讒言、誅殺、離反のコンボで最終的に謀反、暗殺、という結末になりかねないからまだ楽なほう。
30 ななしのよっしん
2010/08/21(土) 15:21:47 ID: x+6WkItS+V
そうなると信玄のお隣さんなのに最期まで生き延びて家名も残した氏真さんがテラチートに思えてくるから不思議。
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