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1 ななしのよっしん
2011/04/03(日) 11:53:43 ID: zpBTrB38qm
ようやく劉表の記事が。ご苦労様です。
ところでせっかくですからいくらか修正案があります。
以下適当に列挙します。
"古代中国・三国志期"より、"後漢末期"の方が適切だと思います。
"非正史"とありますが、范曄の後漢書は正史です。
王叡は荊州太守ではなく、荊州刺史です。
荊南は豪族より、非漢民族のほうが多いのでは?
最初の袁紹との同盟は、直接に曹操との対立には関与していないと思います。
"諸葛亮の言"の部分の記述ですが、演義の方に移してはどうでしょうか。
"江夏八俊"も演義の設定ですね。
他にも、近年の再評価について書くのもいいかもしれません。
2 ななしのよっしん
2011/04/05(火) 17:26:18 ID: AlGQeaJWr2
>>1
近年の再評価についてググってもソースが見つからなかった。
あるのか?
3 ななしのよっしん
2011/12/07(水) 01:03:07 ID: rN70kLzIpy
4 ななしのよっしん
2012/04/06(金) 23:48:29 ID: kyJZQDSlCB
>>1
諸葛亮の言は演義に移すのでなく、正史にも同様の発言があったわけだから、それに即した形で概要の末尾にでも書いた方がいいと考えます。
荊南は非漢民族の方が多い、なんてことはないはず。永昌・日南あたりならまだしも、荊州南部はそこまで僻地ではありません。
"江夏八俊"は創作ですが、"八俊"であったのは史実なので、削除ではなくそのように直して記載すべきです。
"古代中国・三国志期"は間違いではないと思うのですが・・・。現在の"後漢末期~三国志期"という表記では時代が被りますからね。"大成した"、ではなく"生きた"にすれば間違いではなくなりますが。
5 ななしのよっしん
2012/08/26(日) 18:28:54 ID: v3VBACAzDv
6 ななしのよっしん
2012/10/18(木) 20:54:38 ID: l9yoPC+lrG
曹操や孫堅(孫権)をageるための記述かもわからんが、劉表は後漢朝に対する逆臣の一面もあるしな。
劉焉や劉備もそうだが、非光武帝系の劉氏は献帝無視・地方独立志向の連中が多いな。
7 ななしのよっしん
2013/02/10(日) 23:50:56 ID: EFv9Nx/m/l
>古くから地味肥え豪族や南の諸民族が割拠する州で
ジミで太った豪族が大勢いたのか・・・・・・んんッ?
8 ななしのよっしん
2013/02/11(月) 14:27:02 ID: 6cv2yLsX7w
近年の再評価って、三国志集解以前のことなのか以後のことなのか
劉表は史書でも董卓や袁術ほどボロクソに言われてたわけじゃないし、まあ手強い存在だったけど英雄の器が足りなかったという程度じゃない?
名君・名将だっただろうと言われてるのは袁紹だけだよ
沮授のageっぷりが疑わしいって切り口でね
郭図を低脳と思ってる人ももういないでしょ
9 ななしのよっしん
2013/02/13(水) 19:23:10 ID: l9yoPC+lrG
結局劉表や劉璋は、自分の支配域さえ守れればいい・中原や漢王朝がどうなろうと知ったこっちゃないって姿勢に思えるんだよね。
領土や領民・保護した知識人を守ったと言えば聞こえはいいけど、曹操に恭順しないし拡大政策もとらないし、かと思えば許昌の天子を蔑ろにするかのような行動もとってる。
他所に戦争を仕掛けて失敗したわけではないから、(陳寿が評価を併記してる)袁紹に劣ると考える人もいれば、袁紹よりマシと考える人もいると思う。
10 ななしのよっしん
2013/05/02(木) 11:15:14 ID: nZQyhQa6Gc
ほぼ丸腰で荊州入り→カイ越などの名士を味方につける→地方の豪族を就任パーティーに誘う、豪族は力を示そうとノコノコやって来る→全員捕らえてその場で処刑という、世間の軟弱なイメージとはかけ離れた事やってんだよね。
11 ななしのよっしん
2013/06/28(金) 14:16:33 ID: +NjvCOTpje
劉備を使って豫州に侵攻したりと野心家なんだよな
桓階たちの反乱がなければ歴史は違ってたかもしれん
12 ななしのよっしん
2013/07/01(月) 16:58:54 ID: F/t7GVACCt
劉璋と孫権に挟まれてるから、中々大規模な侵攻をやらかすのは難しいと思うけどね
まぁでもあそこで無茶苦茶な挟撃をされたら、間違いなく曹操と言うか許都は大ピンチだった
13 ななしのよっしん
2013/10/18(金) 00:17:59 ID: PZdDE+eWol
優柔不断とか言われるけど、こと守る時になると
荊州に侵入した孫堅や張済をことごとく討死させる
孫策が江夏から去ったと見るや怒涛の勢いで張羨討伐
交州刺史の張津が亡くなった時にはちゃっかり自分の息のかかった人間を派遣して支配を固める
・・・とやたら手際がいいんだよな
14 ななしのよっしん
2013/10/24(木) 17:29:55 ID: sPE11f5YyF
>>3
今読んでみて指摘しようと思ったけど、ずっと前からだったのね……
15 ななしのよっしん
2014/01/20(月) 21:43:48 ID: mq/na+43jv
基本的に現状維持優先で、攻めは苦手だが守りに入ると強く、
晩年は後継者問題でやらかしたけど、壮年期はなかなかの名君だった。
意外に孫権と似てるかもしれない。
16 ななしのよっしん
2014/09/01(月) 02:58:56 ID: cRJI5IeAjd
曹操が攻め来るまでは荊州を保持できてたわけだから相当だよね
袁術と上手く結び、孫堅・孫策とやりあい、袁紹と曹操の対立を乗り切ったわけだから外交手腕は凄いものだ
ただ勢力拡大は出来てなかったし、この人が壮年のキレを保ってても河北四州まで領地に加えて1強状態だった曹操の侵略に抗し得たかどうかは…ずっと敵対状態だった孫権と今更結べたかも怪しいだろうし
17 ななしのよっしん
2014/09/01(月) 07:23:53 ID: NjbtHLbfhu
曹操の根回しで、揚州の孫策・益州の劉璋・交州の張津・荊州南部の張羨(後に子の張懌)が劉表に敵対
さらに一兵も使わずに反劉表包囲網を作り上げてしまった曹操の外交力を恐れて味方の張繍が降伏
ついに劉表は南陽郡南部と南郡と江夏郡しか領有してない状態で孤立無援の五正面戦争を強いられることに
事ここに至って家臣団は、もう自立は諦めて曹操の傘下に入るしかないと主張し降伏論に傾く……
こんな状況で断固として抗戦を決定した劉表ってめちゃくちゃ剛毅だよな
そうしてひたすら耐えているうちに曹操の影響力が低下
孫策は曹操との敵対路線を取るようになり劉表との戦いから離脱
劉璋は家臣の趙韙に大反乱を起こされ劉表との戦いどころではなくなる
張津は連年出兵し多大な軍事負担をかけていたためそれに反発した部下の区景に殺される
こうして反劉表包囲網は完全に足並みが揃わなくなり、張懌はその隙を突いた劉表に猛攻を仕掛けられ滅亡
同時に劉表は軍を動かし南陽郡を奪還した
絶体絶命のピンチを耐え凌ぎ逆襲に転じ、最終的に以前に倍する領土を得た劉表は並大抵の人物じゃない
18 ななしのよっしん
2014/09/02(火) 20:10:03 ID: cRJI5IeAjd
まあ陳寿からの評価はフルボッコだったけどなw
猜疑心が強かったり決断できない性格で荊州ばかり守っていたのが逆に良い方向に働いたのかもしれんね
19 ななしのよっしん
2014/09/09(火) 11:21:36 ID: F/t7GVACCt
公孫サンや陶謙、袁術らと違ってある程度いいタイミングで本人は死ねたからな
20 ななしのよっしん
2014/09/24(水) 18:11:27 ID: 5nacN8GOLZ
いくらか劉備についていくやつは出たけど、おおむねちゃんと劉琮 に後継できたし
劉琮一派は曹操の下にはなったけど大過なく生きていけたし、文聘のように魏将として活躍する者も出た
この人を失敗と断じたら、三国時代の成功者はすげー少なくなるよね
21 ななしのよっしん
2014/09/24(水) 22:16:43 ID: F/t7GVACCt
>>20
「三国時代」の成功者は劉備、曹丕、孫権(オマケでその部下たち)だけでしょうな。
それ以外の後漢の群雄たちは結局、漢末独立レースから脱落したとも言えるわけで。劉表個人としては敗北・降伏する前に死ねたし、子孫は生き残ったしでマシな死に方ができたから敗者と断ずるのは微妙なところだけどね。
22 ななしのよっしん
2015/03/01(日) 12:19:35 ID: Cj7NIlbXyn
領地拡大した~い!ってなってもどっち方向に進むのっていう問題があるよね
とりあえず北と東は激戦地になるのは必須よね
23 ななしのよっしん
2015/03/05(木) 21:37:03 ID: VKJ99R/tiO
>>22
荊州は四方に通じた交通の要所だから、攻められ易い。
だから攻勢の際は、隣接の同盟勢力が欲しいところだけど、
同族の劉璋とすら国境でいざこざ抱えてる状態だしね。
それに、盟友に振り回される可能性もあり、
それ考えたら、あの時点で「悪くない策」と言えると思う。
24 ななしのよっしん
2015/07/19(日) 00:11:11 ID: r79/wttrVi
荊州牧への任命が董卓によるものだったことは先ず間違いがない。このことは荊州における劉表の正統性、更には劉備の正統性に疑義をもたらす
25 ななしのよっしん
2015/08/10(月) 17:07:50 ID: EFv9Nx/m/l
26 ななしのよっしん
2015/08/16(日) 07:02:56 ID: VIIYthpFoo
劉表・劉焉・劉備はそもそも光武帝の子孫でもないから特に天子からの恩恵も無いし、アホな漢朝に義理立てする気なんて更々無かったろうよ
中央で出世したっていつ首が飛ぶか分からん時代に、地方で独立したこいつらの野心や中央との駆け引きは中々カッコいい
27 ななしのよっしん
2015/09/13(日) 21:22:22 ID: 5nacN8GOLZ
正統ってのは漢から見て正しいってことで、事実上の滅亡がもう済んでロスタイムに入ってる漢の正統なんてこれほどどうでもいいもんはない
しいていえば強い奴が(正統でなく)「正当」なのであり、劉表は「正当」に荊州を支配していた
その点劉備は怪しいけど
28 ななしのよっしん
2015/11/21(土) 14:03:42 ID: X4yzD3K8vb
例え董卓の命であったとしてもやはり「正当」は「正当」でしょう。
実際派遣後に孫堅の本拠をこの後劉表が掌握してもなんの咎め悪評もなかった。孫堅は善政を敷き、しかも董卓追討で奮戦していたにも関わらず、ね。
「不当に」王叡を殺した孫堅(しかも太守止まり)と漢朝の正当な州牧では名分が違い過ぎるって事の証左でしょ。
29 ななしのよっしん
2016/04/14(木) 14:16:57 ID: EFv9Nx/m/l
董卓死後に「正当」な州牧が任命・派遣されなかったということは
正当ってことでしょ
もしそんなことしてたら王朝が董卓に膝を屈したと自ら認め権威を落とすだけ
30 ななしのよっしん
2017/03/07(火) 03:13:03 ID: 2BT9ketyZ3
「劉表は、温良博学な風をそなえ、よく人材を養い、文化を愛育し、ために天下の賢才はみなかの地に集まると、世上では中しているが」
「まさにそのとおりです。けれどそれはもっぱら劉表の壮年時代の定評で、晩年、気は老い、身に病の多くなるにつれ、彼の長所は、彼の短所となり、優柔不断、外に大志なく、内に衰え、虚に乗じて、閨門のあらそいをめぐり、嫡子庶子のあいだに暗闘がある」
吉川三国志でもこんな評だし、軍事面での派手さに乏しいけど全体を見ればかなり優秀な部類だったと思う
本人が主君になるより良い主君に仕えた方がもっといい結果を残しそうだけど
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